2‐59
翌日、私とルイ様は闇の精霊たちに別れを告げた。
ネル様に早くしろと急かされながら、ここに来た時と同じく神殿でクロを抱きながらルイ様と並ぶ。ネル様が杖を振ったその瞬間、私たちが立っていたのは、オルタ国の客室だった。
「ルイ様、帰ってきたのですね」
「あぁ。窓から見える景色は間違いなくオルタ国だな」
窓から外を覗くと先程まで精霊の地で早朝だったはずの青空は、曇り空で月が隠れた暗闇に変わっていた。
「つい最近までここに滞在していたというのに、何だか遠い昔のように思えます」
「そうだな。色々あったから」
ルイ様の苦笑いに、私も頷く。
「ところで、本当に今日は私が崖から転落した日なのだろうか。それにしては、随分と静かなようだが。騎士も誰もいないな」
ルイ様は辺りを見渡して、広い室内には私たち以外がいないことに不審に思ったようだ。
「あの時はオルタ国の魔術師の方々が手を尽くしてくれていたのですが、もう助からないかもしれないと。なので、私とルイ様を2人きりにしてくださっていたのです。その時にネル様が現れて」
「……そうだったのか」
何とも言えない表情でルイ様は、無言で空っぽになったベッドを眺めた。
――あの日から随分経った。私はもう大丈夫だと思っていたけど、あの時のことを思い出すと未だに怖くなる。
――コンコン
「ラシェル嬢、いいかな?」
「あっ、はい! 大丈夫です」
その時、ノックの音と共に扉の向こうからテオドール様の声が聞こえた。先に動いたのはルイ様だった。
ルイ様が扉を開けると、テオドール様は目が零れ落ちてしまうのではないかと思う程、瞠目し茫然と立ち尽くした。
「まるで死者を見るような目だな。……よく見ろ。ちゃんと生きているぞ」
「ルイ? えっ、何……ど、どういうことだ」
困惑するテオドール様を他所に、ルイ様は嬉しそうにテオドール様の両肩に手を置いた。
「あぁ、昨日まで一緒だったけど、どこか懐かしいな。やはりテオドールもこっちと向こうでは違うのだろうか。お前に会うとほっとするよ」
「……え? 死にかけておかしくなった訳? てか、死にかけてたはずだよな」
状況が掴めずに助けを求めるように私に視線を向けるテオドール様は、焦りながらも喜色を露わにした。
「テオドール様、皆さんが来るまでに説明します」
テオドール様を部屋に招き入れて、私たちはソファーに座りながら今までの経過を説明した。信じられないと愕然とするテオドール様だったが、ルイ様の傷も全快し後遺症も一切ない元気な姿を見たら信じずにはいられない、というようだった。
「オッケー、なるほど。……色々根掘り葉掘り聞かなきゃいけないことはまだあるけど。一応、話は分かった。つまり、死にかけから一気に元気になった理由を周りに説明しなきゃいけないってことだよな」
私が頷くと、テオドール様は頭を抑えながら、ふうっとため息を吐いた。
「なるほどな。それじゃあ、ここは俺に任せてくれるか?」
「良いのですか?」
「もちろん、俺はこういうの得意だからさ」
ニヤリと笑い、こちらにウインクするテオドール様は、その言葉の通りあっさりと周囲を納得させていくのだった。
テオドール様と相談した後、私たちはリカルド殿下とイサーク殿下のお二方を部屋に招き入れた。リカルド殿下は未だ蒼褪めた顔が戻らないまま、テオドール様の説明に口を一切挟むことなく真剣な表情で聞いた。
一通りの説明がされると、リカルド殿下はようやく強張った頬を僅かに解し、何度も瞬きを繰り返した。
「あぁ、王太子殿下。本当に良かったです。……正直、今も夢を見ているようです」
「信じられない……まさか、闇の精霊王が……本当に現れたのですか?」
闇の精霊の地へ行ったこと、並行世界のことなどはもちろん内密だ。だから、今回ルイ様が助かったのは、私の祈りを闇の精霊王が聞き入れた、ということになっている。
「え、えぇ。本当に一瞬のことですし、闇の精霊王が現れたとなると大事になるので、出来る限り口外しないで頂きたいのですが」
スラスラと設定どおりに説明していくテオドール様とルイ様と違い、私はどこかぎこちなさを隠しきれない。
そんな私をフォローする様に、私の肩にルイ様が手を回した。
「私は、今回の事件自体も公にしたくありません。聞いたところ、私が転落し生死の境を彷徨ったことを知るのは、デュトワから連れて来た私の騎士とオルタ国の医師、魔塔の魔術師ぐらいなのですよね」
「はい。王太子殿下の事故のことは目撃者が多い分、広まっているかとは思います。ですが、重傷だということを知っている者は然程多くないかと」
「では、申し訳ないのですが、知っている者には口止めを。そして、今回の件は私自身が足を滑らせた事故だったと広めてください」
ルイ様の言葉に、リカルド殿下は眉を顰めた。
「こちらとしては有難いですが、本当に良いのですか。証拠は揃えられると思いますから、事の発端である我が母を罪に問うことは簡単かと」
だが、ルイ様はリカルド殿下の言葉に首を横に振った。
確かにリカルド殿下の協力があれば、オルタ国の王妃が故意に襲ったことが原因だったと告発することは可能だろう。けれど、ルイ様は違う選択をした。
「いえ、今はそれをしたくありません。ですが、こうなった以上怪我を理由に滞在期間を延長することが出来ると助かります」
「もちろん、それは問題ありません。必要なものは全て揃えましょう。何なりとお申し付けください」
「感謝します」
リカルド殿下の隣で話を聞いていたイサーク殿下も、顎に手を当てて顔を顰めた。
「ですが、何故……」
「ラシェルもリカルド殿下から闇の魔術を学んでいる最中です。それに何より私は、オルタ国との友好関係を崩したくない。折角、リカルド殿下と手を携える未来が見えたのですから。未だリカルド殿下の地盤が強固にならないうちは、混乱を招きたくないのです」
儚げなに微笑むルイ様を見たリカルド殿下とイサーク殿下は、両国の未来をただ憂い、献身的な隣国の王太子として映っただろう。それが証拠に、彼らはいたく感動したように納得し、ルイ様に感謝の言葉を述べた。
だが、後ろで顔を背けながら愉快そうな笑みを隠すテオドール様には、ルイ様の演技など全てがお見通しだったようだ。今にも吹き出してしまいそうなテオドール様を隠すように、私はテオドール様の前へと出たのだった。
♦
療養を理由に、客室から一歩も外に出られない殿下の代わりに各方々への対応に追われていたテオドール様が、ようやく落ち着いた頃、不満げな顔を隠しもせずにルイ様の元へと訪ねに来た。
「で、本当の理由は?」
テーブルを挟んでお茶を飲んでいた私とルイ様への挨拶もそこそこに、テオドール様はぶっきらぼうにルイ様にそう尋ねた。
「数日ぶりに顔を合わせたと思いきや、いきなり何だ」
「お前のせいで、俺は休む暇も無く駆り出されているんだよ」
「それはすまなかった」
「だから、オルタ国王妃を野放しにした本当の理由を教えろよ。あんなわざとらしい演技までして」
テオドール様はドカッとソファーに座ると手摺りに肘をつき、身を乗り出した。ルイ様は苦笑いを浮かべながら、カップに口をつけた。
「……オルタ国王妃には、もう少し泳いでいて欲しい」
「はぁ……だよな。そんなところだろうと思ったよ」
テオドール様は力が抜けたようにソファーに身を預けると、ふうっと溜息を吐いた。
「何やらお前の母君について疑念を抱いているようだけど、オルタ国と繋がっていると思っているのか?」
先日テオドール様に説明した際、時空の部屋の役割とルイ様を助ける条件として、ルイ様が並行世界から出られなくなったことは伝えている。私の前世についてまでは話していないが、その世界での私が亡くなっていること、私が殺された時の不審な点など、話せる範囲で詳しく説明していた。
並行世界とこの世界では、少しの違いで人生が大きく変化することもあれば、全く同じ運命を辿る場合も多い。だからこそ、私が暗殺された事件の関係者が、この世界においても不審な行動を取る可能性は否めない。
そして、ルイ様が今誰よりも怪しんでいるのが、ご自身のお母様である王妃様だったのだ。
「あぁ、そうだな。カトリーナ嬢の一件でヒギンズ侯爵家は力が弱まったことや、ラシェルが闇の聖女となったことで、私たちの結婚を邪魔する問題はないだろう。だが、もう一つの世界の件がある以上、疑惑の種は全て摘み取ってしまいたい」
「そもそも何故、王妃様はカトリーナ様との婚約を勧めたがっていたのでしょう」
「それは私も疑問だ。……元々、ラシェルと私の婚約は私の希望を陛下が快諾した形だ。もう一人の候補であったカトリーナ・ヒギンズが、母上のお気に入りだったのは確かだろうな」
王妃様とは妃教育の時に会うことはあったが、ヒギンズ夫人と違い冷淡な反応はなかった。それどころか、ルイ様との関係性を心配してくれたり、お茶に誘って頂いたりと親切に感じていた。
前世では学園に通い始めてルイ様との仲が修復不可能になる頃になると、王妃様に誘われることも減った。今思えば、確かにその時期から、カトリーナ様の口から王妃様の名が出ることが増えた気がする。
――けれど、何故カトリーナ様なのだろう。デュトワ国の、ルイ様の治世の地盤を固めるのであれば、三百年ぶりに誕生した光の聖女であるアンナさんを推すのが普通だと思う。
世間もきっとそれを望んでいたと思う。
「……考えられるのは、オルタ国の影響力をデュトワ国で増す為、だよな」
「カトリーナ様が妃になると、何故オルタ国の影響力が増すのですか?」
私の問いにテオドール様は、口を開いた。
「ヒギンズ前侯爵は何よりも権力を欲した。あのタイプは、娘を後の王妃とする為ならば何でもするだろうな。現に随分と後ろ暗いことをしていたらしいよ。摘発までは至らなかったが、麻薬売買に関わっていた疑惑もある。それに、ヒギンズ夫人と王妃が親しかったのは、夫人の縁者がオルタ国に嫁いだかららしい。……もしかすると、王妃が裏で関与している可能性はあるよな」
麻薬売買という言葉に、驚きに言葉を失った。ヒギンズ前侯爵が隠居したのは知っているが、貴族であろうと重罪に問われる麻薬売買に、まさかヒギンズ前侯爵が関わっている可能性があるとは。
「私もテオドールと同じ考えだ」
「ヒギンズ侯爵家が力を付ければ、王妃の影響力も増す。それによりオルタ国が介入しやすくなるってことだろう?」
「あぁ、そうだな」
その話を聞き、ふとカトリーナ様の姿を思い出す。ルイ様の婚約者である私に対しての憎しみを露わにした表情、修道院から逃げ出してまでの執念。そのどれもが狂気を感じさせた。
もしそれがカトリーナ様の気持ちだけでなく、周囲からそう信じ込まされていたのだとしたら……それは悲しいことだと思う。
「もしかすると、本来ならルイ様の婚約者はカトリーナ様だったのかもしれませんね。であれば、カトリーナ様があれだけルイ様の婚約者の座に固執していたのも分かります。それが、私が婚約者になったばっかりに計画が狂ったのかも」
あんなにも優しかったヒギンズ夫人が、私が殿下の婚約者になったと同時に、態度を一変させた。幼い頃、親友と呼べる程仲良かったカトリーナ様は、私に刃物を向けて襲おうとした。
それも全ては私が邪魔だったからに他ならないからだろう。
「ラシェルは以前、ヒギンズ侯爵家をよく訪問していたのだろう。何か変だと思うこととかはあったか?」
ルイ様の問いかけに、何かあっただろうかと考え込む。ヒギンズ侯爵家を訪問していたのは、もう数年前だ。それでも前世での日々を合わせると、沢山の記憶の中から思い起こす。
何かあっただろうか、と考えているその時、テーブルに置いたカップが目に入った。
黄色い小さな花が描かれたカップには、赤茶色の紅茶が入っている。
「そういえば……甘いお茶」
ふと呟いた私に、ルイ様は首を傾げた。
「お茶?」
「えぇ。昔からヒギンズ家に行くと、甘い蜂蜜風味のお茶が出されるのです。疎遠だった間も時々贈って下さっていたのですが、魔力を失ってからは飲まなくなりました」
幼い頃からよく訪問していたこともあり、当たり前に飲んでいたあの紅茶は、どこの産地のものだったのだろうか。
花の柔らかい香りにとろりとした蜂蜜を思い起こす味わい。一度飲めば忘れない味は、私のお気に入りの紅茶だった。けれど、同じ茶葉を取り寄せて欲しいと頼んでみたが、珍しい茶葉だからと断られた覚えがある。その代わり、取り寄せた時には、おすそ分けをしてくれていた。
「そのお茶がどうしたんだ?」
「いえ……何かあるという訳ではないのですが。あれは何だったのだろうと少し不思議で」
「どこか引っかかることがあるのだろう? アルベリクに尋ねてみよう。あいつなら詳しいだろう」
アルベリク殿下が調べて下されば、きっとすぐに分かるだろう。彼は薬草類だけでなく茶葉にも詳しいと聞く。だけど、そう言われて簡単に頷くわけにもいかない。
アルベリク殿下はただでさえお忙しい方。それなのに、私がふと思い出した件をわざわざ調べていただくなんて恐れ多い。
「でも、何も関係しないかもしれませんから」
「良いんだ。何も無ければそれで良い。むしろ、その方がよっぽどいい。……だけど、ラシェルが気づいた点や違和感があった点など何でも教えて欲しい。君に危害が及ぶ可能性があるものは全てを排除したいからね」
朗らかな視線を向けられて、思わず頬が赤くなる。
こういう時、ルイ様が私に寄せてくれる信頼がとても嬉しくなる。
「ルイ様……」
私の呟きに、ルイ様は笑みを深めた。テーブルに置いた手の上から大きな手が重なる。穏やかなルイ様の瞳に吸い込まれそうになり、視線を逸らすことが出来ない。
その時、その空気を取っ払うように、コホンと咳払いが聞こえ、ハッとする。
音の先には、手のひらに顎を乗せて呆れたように渇いた笑みを浮かべるテオドール様がいた。
「はいはい、甘い空気はその辺にしておいて。早速それぞれのこれからやることを整理しておこうか」
テオドール様は、足を組み直して背もたれから体を起こすと、真面目な表情でこちらを見遣った。いつもの飄々としたテオドール様の空気感から一変、仕事モードの顔つきになったテオドール様に、私とルイ様も姿勢を正す。
「まずルイはもうしばらく部屋から動けないから、ここで指揮を執る」
「あぁ、分かった」
「オルタ国王とルイの母君の兄妹関係については、ルイは詳しくないんだろう?」
「そうだな。母からは国王について何も聞いたことがない。そもそもオルタ国のことを話したがらないのもある。……まぁ、私自身が母と世間話する関係でもないし、アルベリクや他の兄妹なら私よりも知っていることはあるかもしれない。それに、オルタ国王とは伯父と甥の関係ではあるが個人的な付き合いはない」
王妃様の目的がデュトワ国において、オルタ国の影響力を増すことならば、その裏には必ずオルタ国王がいるはず。
オルタ国王は、気難しい人だと聞く。息子たちの後継者争いが加速する中でも、後継者を決めることがないのは、自分の力が弱まるのを恐れている為ではないかとリカルド殿下に聞いた。
それが本当ならば、国王として、父として、何とも身勝手なのだろうと不快な気分になる。
「ルイはオルタ国王デュトワ国と王妃の兄妹関係は知らない、か。じゃあ、その辺りはラシェル嬢」
「あっ、はい!」
「この国の貴族からオルタ国王とルイの母君の兄妹関係を探れるかな? 余裕があったらオルタ国王妃の周辺の噂も」
「はい、分かりました。丁度お茶会に誘われていたので、それとなく話題に出して聞いてみます」
テオドール様の言葉に頷くと、テオドール様は「よし」と目を細めて微笑んだ。
「怪しまれると向こうに警戒されるから、引き際を見極めつつ、頼むな」
「……分かりました。肝に銘じておきます」
「ははっ、あんまり気を張りすぎるなよ」
引き際か。確かに、この件を探ることは、一歩間違えればオルタ国とデュトワ国の間に亀裂を生み、隣国同士が再び冷戦状態となりかねない。
近隣国で力を増している国がある以上、今ここでこの二国が対立関係になる事は、両国にとって損害になりかねない。
「で、俺はオルタ国にいるヒギンズ夫人の縁者を探ってみる。どう? こんな感じで」
テオドール様がルイ様に同意を求めるように顔を上げる。ルイ様は、腕を組みながら鋭い視線で考える素振りを見せながら、「そうだな」と首を縦に振った。
「あぁ、問題ない。悪いな、私が直接動けないばかりに負担を掛ける」
「仕方ないさ。それに、ルイのいう並行世界での問題は、この世界にも同様にある可能性は高い。両国やラシェル嬢の安全が保障されない以上は、念のため動くしかないだろう」
「まぁ、私がいる限りラシェルにはかすり傷一つも負わせないけどな」
ルイ様の頼もしい言葉に思わず胸をときめかせる私を他所に、テオドール様は深い溜息を吐いた。
「はいはい。それよりも、お前はもう無茶して突っ走んなよ。お前たちは俺に心配を掛け過ぎなんだよ」
「それは……そうだな。流石に命がなければどうにもならないことは学んだ。もう一人でどうにかしようとはしない」
「……それなら良かった」
気まずそうに視線を逸らしながら頬を掻くルイ様に、テオドール様は兄のような優しい顔で笑った。
ルイ様が死の淵に立った時、テオドール様の悲しみ、憤りは強く私の心に残っている。きっとテオドール様は、誰よりも側で、時に遠くから見守りながら私たちを気に掛けてくれている。
心配を掛けまいと黙って行動することが相手の為だと思ってしまう。だが、自分を心配してくれるからこそ、時に頼り、時に弱さを打ち明けて共に悩み立ち向かうことも大事なことだとルイ様自身が学んだ。
テオドール様とルイ様、お二人が再び穏やかな笑みを向け合う日々が失われることがなくて、本当に良かった。心からそう思った。
だが、そんな空気を一変させたのは「あっ!」と何かを思い出したように大きな声を出したテオドール様だった。
「やば、そういや忘れていた」
「いきなり何だ」
「……はい。ルイに預かり物」
そう言って、テオドール様が胸元から取り出したのは、一通の手紙のようだった。それを受け取りながら、ルイ様は不思議そうにしながら、宛名を確認した。
「何だ? シリルからだ」
「今日早馬で届いたらしいから、急ぎの用なんじゃない?」
「……そんな大事な手紙なら早く渡してくれ」
「ははっ、悪い悪い。ほら、何が書いてあるか読めって」
慌てたように机にあったペーパーナイフで封を切ると、ルイ様は真剣な表情で手紙へと視線を走らせた。
だが、徐々に険しくなっていく表情に、ただ事ではないのではないかと心配になる。
「何だと!」
「どうかしたのですか?」
一枚目を捲り、二枚目の便箋へ視線を落とした瞬間、ルイ様は驚愕に目を見開いた。
「おい、ルイ。何が書いてあったんだよ」
テオドール様はルイ様の元へと駆け寄り、椅子に座るルイ様の肩に自分の腕を回す。
「あぁ。どうやら……母上がオルタ国に向かっているらしい」
ルイ様の言葉に、今度は私とテオドール様が息を飲んだ。
「王妃様が……何故」
「私の事故の件で、調査団がデュトワ国から派遣されるようなのだが、母上が……同行すると自ら名乗り出たらしい」
一国の王太子が他国訪問時に事故にあったとなれば、調査団が派遣されるのは分かる。だが、王妃自らが派遣団と共に来るというのは、よっぽどのことだとルイ様もテオドール様も思ったのだろう。
静まり返った室内で、テオドール様がまず動いた。
「……少し探って来る」
「あぁ、頼む」
言葉少なに、顔を見合わせたお二人は頷き合った。そして、そのままテオドール様は言葉を発することなく、踵を翻し部屋を出て行った。
テオドール様が去った室内は、また静かで重い空気が流れる。
眉を寄せて険しい顔をしたルイ様は、目を瞑りながら鼻根を押さえた。
――王妃様は、なぜ……。
だが、その疑問の答えを私は持ち合わせていない。ただ、考え得ることといえば一つしかなかった。
「ルイ様を心配して……ということでしょうか」
「心配? 母上が私の? まさか。熱を出しても見舞いにも来ない人なのに?」
私の呟きに、ルイ様は鼻で笑いながら首を横に振った。
「母上は、オルタ国出身ではあるが、デュトワに嫁いでから公式な訪問でしかオルタ国に戻ったことはない。しかも二度だけだ。その二度というのは、先代国王と王太后が死去したのみ。デュトワ国には、私は傷を負ったが全治三週間程度で命に別状はないと伝えている。……到底、母上が来るような状況ではない」
「では、何故なのでしょうか」
「ただの気まぐれならいいが。もし……何かが動き始めた、ということなら」
私はルイ様が、私の元いた世界で何を見てきたのかは分からない。だけど、私の死の原因に、何かしら王妃様の関与を確信めいて疑っている上、当の本人がこのタイミングで現れる。
嫌な予感に冷や汗が出る。
「……何もなければ良いのですが」