2‐56 もう一人のルイ視点
目が覚めた時、私は執務室のソファーの上に横たわっていた。体を起こすと、テーブルの上にメモが置かれているのを見つけた。
――ルイへ。
色々話すこともあるが、とりあえずおかえり。後日改めて伺おう。
あと、意識のないお前を精霊の地から負ぶって帰って来てやった俺にしっかり感謝するように。
テオドールより。
そのメモを手に取り、フッと息が漏れる。
「本当に帰って来たんだな」
体に掛けられていたタオルケットをソファーの端に寄せると、大きく背伸びをする。
窓へと視線を向けると、まだ日が昇り始めたばかりの早朝のようだった。窓際へと向かい、朝日を眺めていると、あの精霊の地にいた日々が夢のように感じる。
今も微かに残るラシェルを抱き締めた温もりを思い出し、そっと瞼を閉じる。すると、コロコロと変わる表情が鮮明に浮かび上がる。『殿下』と優しく私を呼ぶ声が、頭の中で響き渡る。
「……もう、本当にいないのだな」
こんなにも記憶しているというのに。
こんなにも欲しているというのに。
目頭が熱くなり鼻がツンとなるのを振り払うように、首を軽く振る。そして、色んな感情を振り払うよう、ゆっくりと目を開けた。
♦
「本棚の3段目、右から6番目」
小さく呟きながら目当ての本を指でなぞる。その本を取り出した先、棚の奥へと魔力を込めると、一つの鍵が手の中に現れる。
その鍵を手に、次は本棚の一番上の段、左から2番目の鍵付きの本を抜き取り、先程の鍵を使い本を開ける。
すると、そこには数十枚の紙が折りたたまれて仕舞ってある。
「流石の私も、ここは見つけられなかったか」
本と一緒に折りたたまれていた紙を手に持ち、執務机に座る。そして折りたたまれていた紙を開くと、そこにはびっしりと、ある事件について調べた情報が記載されている。
その事件とは、もちろんラシェルが関わる二つの事件だ。聖女への毒殺未遂の件、そしてラシェルが殺された事件について。
宰相が担当することになり、全てを引き継いだが、私はこの事件についてある程度確信を持って、とある人物の関与を疑っていた。
だが、それが本当ならば国は更なる大混乱に陥る。自国だけでなく隣国も巻き込む大騒動だろう。きっと陛下もしくは宰相も何かを察したのだろう。だからこそ、この件から私に手を引くように言ったのだと思う。
私も同じように、その人物が怪しいと思いながら、今すぐその罪を暴くことは国にとって良くないと判断した。何故なら、ラシェルが聖女を毒殺しようとした事件だけでも国に激震が走っただけでなく、その彼女が殺された。これ以上、騒ぎを大きくすることは国を揺るがし他国に狙われる可能性も強まる。
だから、長期的に関与した者たちを水面下で暴き出し罰していくという陛下の考えに同意したのだった。
――だが、あの夢にも思える日々がそんな自分を変えた。まさか、私がこんな決断をするなんて、陛下はもちろん、シリルやテオドールでさえ驚くだろうな。
友人たちの驚く顔を想像すると、思わず口角が上がる。だが、そんな私らしくない選択を、テオドールはきっと驚きながらも支持してくれるだろう。シリルも文句言いつつ、きっと私の考えを先回りして沢山の情報を集めてくれるのだろう。
何より、もう二度と会うことができない彼女に、誠実でいられるのなら、それで十分だ。
「……恋、か」
私のこの想いは、恋と呼ぶものなのだろうか。声に出したところで、未だに答えは出ない。もしそうだとしたら、恋と呼ぶものは何て苦しくもどかしく、切ないものなのだろう。
だが、人を狂わせるものとはよく言ったものだ。
私が今自分の感情を優先しようと動くのも、それであれば理解ができるのかもしれない。
――心臓を掴まれたように……苦しいものだな。
♦
昼過ぎの時間が空いた時、私は目的の人物を尋ねる為、王宮の端に位置する王妃宮へと尋ねた。
目当ての人物は、コンサバトリー内で植物を眺めているようだった。外で待機していた侍女に声を掛け、ガラス張りのコンサバトリー内へと入ると、彼女の目の前まで歩いていく。
「母上、お加減は宜しいのですか? ここ数ヶ月、ずっと籠もりきりでしょう」
突如現れた私に、母上は「まぁ、珍しい!」と驚いた声を出したが、すぐに柔らかい笑みを浮かべた。
幼い頃から体が弱かったらしい母は、オルタ国でも随分と大事に育てられたようで、世間知らずなところが多い。16歳で一回りも年上の父に嫁いで来てから、必要最小限の公務以外は、弟妹たちと王妃宮に籠っていることが多い。
真っ白な肌に、手入れのされた美しい銀髪を編み込んでアップに纏め、花を愛でる姿は、とても成人した子供を持つ母には見えないだろう。
「えぇ、大丈夫よ。最近は気が滅入ってしまうことが多くて、公務もままならないわ」
「そうですか。早くお加減が良くなるといいのですが」
朗らかに微笑みながらも心の中で、あなたが公務を放り出しているのはいつものことでしょう、と悪態を吐く。
「あなたの婚約式までには、体調を整えるわ。あっ、そうそう。ヒギンズ夫人がね、今度あなたを別荘に招待したいのですって」
「何故、私がヒギンズ侯爵家の別荘に行く必要があるのですか?」
少女のようにころころと笑う母に、私は冷えた心を隠すことなく笑みを深めた。
「それは……だって、婚約するまでに一緒に過ごす時間を持つ方が世間的にも受け入れやすいでしょう?」
私の婚約者が空席となった今、新たな婚約者の筆頭候補は聖女であるアンナ・キャロル男爵令嬢だと噂されている。だが、母はカトリーナ・ヒギンズ侯爵令嬢を勧めたいようだった。
きっと別荘に滞在することがあれば、熱愛をでっち上げて世間に広めるのだろう。そして、世論を味方につけるべく悪女に騙された王太子が真実の愛を見つけた、などという下手なラブロマンスの出来上がりだ。
――安っぽい上にくだらない。仮にもオルタ国の元王女で現デュトワ国の王妃がこんな無能とは。本当に嘆かわしい。
「新しい婚約者? そんなものを作る気はありませんよ」
「何故! あなたも納得していたじゃない」
「納得? 母上の勧める縁談をいちいち断るのが面倒ではぐらかしていましたが、納得したことなど一度としてありません。そもそも、今の国の状況を考えるとヒギンズ侯爵家の令嬢であるカトリーナ・ヒギンズと結婚したところで、何のメリットもありませんから」
私の言葉に、母は目を見開き言葉を失った。
だが、母のこんな表情を見たところで、イライラとした気持ちは落ち着くことはない。それどころか、腹立たしさは増すばかりだ。
それをぶつけるように、私はニヤリと口角を上げたまま、母に一歩近づいた。
「ご存知ですか? ヒギンズ家の当主夫妻がどれほど周囲から恨まれているのか。表に出ていないだけで、叩けば埃が山のように出てきそうですよね。全て明るみにするのも良いかもしれませんね」
「な、何てことを……」
一気に蒼褪めた母の表情を見ると、母はその辺りを知っているのだろう。ヒギンズ侯爵家がどれほど欲深いかを知っていて、協力者として選んだ。
とても正気だとは思えない。国の行く末がどうなろうと関係ないというのか。私には、母が何を考えているのかが一切理解できない。
だが、今の私にとって母の望みなど知ったことではない。私が今知るべきことは、事件の真相なのだから。
「あぁ、母上はヒギンズ夫人と随分仲が宜しいようでしたね。確か、この国に嫁いで来た頃からの仲だとか」
「……それが何だというの」
これしきのことで狼狽える母を見ると、表舞台にあまり出ないのは母の希望でもあるだろうが、陛下自身も母の王妃としての役割に満足していない可能性もある。
陛下は、父親としては尊敬出来ないが、王としては見習う部分も多い。母上は、私以外の弟妹に対しては、母として十分に愛情を注いでいるらしい。だが、王妃としては十分ではない。
政略結婚ではあるが、ここまで真逆だと不仲なのも納得がいく。
「いいえ、別に。……そういえば、この植物は母上がオルタ国の王妃から頂いたものなのでしょう? 私は初めて見ますが、とても興味深いですね。アルベリクに詳しい話を聞いてみようかと思います」
先程まで母が眺めていた植物の鉢に手を触れると、母は蒼褪めていた顔色を一層悪くした。その表情を冷めた気持ちで眺めながら、私は今日一番の笑みを顔に乗せた。
「まさか、毒……なんてことはないでしょうし、ね」
「あ、あなた……何を言って……」
母に対して持つ感情ではないのだろうが、蒼褪めた姿も必死に否定する姿も、私にとってひとかけらも同情心が湧かない。
どうすれば口を開くだろうか。私の今一番に考える感情は、それのみだった。
「今、ここで全てを正直に話しておいた方が、身のためですよ。母上」
「私は何も……何も……知らないわ」
今していることは王太子としては正しくない判断なのだろう。ラシェルの死の真相を暴くことは、間違いなく王宮内の混乱が増すことだ。
それに、こんなことをしたところでラシェルが帰って来てくれることなんてない。それが分かっていて尚、居ても立っても居られない。
自分の中にこんな激情があったなんてな。知らなかった。
それでも、ラシェルに恥じない自分でいることを誓うよ。
君を二度と裏切らない自分でいるために。切実に生きると決めたのだから。
それでも……未だ痛み続ける胸の苦しさに目を背けながら。
ラシェルの元の世界である並行世界はここで一区切りとなります。
ここまで元の世界のルイやテオドールたちを見守ってくださりありがとうございました。
感想などもいつもありがとうございます。とても励みになります。
また、書籍版のご報告にはなりますが……。
5巻があと数日……11月10日に発売です!
応援してくださる方々のおかげです。本当にありがとうございます。
イラストは引き続きRAHWIA様が担当してくださっています。
5巻書き下ろし外伝では、もう一人のルイ視点『ラシェル最期の手紙』を収録。
闇の精霊の地から元の世界に戻ったルイが見つけた物とは。ルイがラシェルを失った日とは一体いつなのか。
5巻の詳細は活動報告をご覧ください。
「逆行した悪役令嬢~」連載版の今後の展開もお楽しみいただけますと幸いです。
次回は、ついにあの二人の再会……!?