17
「久しぶりだね、ラシェル嬢」
「ご無沙汰しております。テオドール様」
あの手紙から数日、体調も安定した私は今日応接間にテオドール様を迎えていた。
殿下とテオドール様でどのような話がされたかは分からないが、殿下も今日のテオドール様の訪問は了承している。
今日殿下も来る予定で調整していたそうだが、多忙の為来ることは叶わなかった。
テオドール様は長い銀髪を黒い紐で一つにまとめ、黒のローブを纏っている。
スラリとした長身と甘い顔立ちに、殿下と二人で並ぶと、いつも女性たちの視線は全てその二人へと注がれていた。
こんなに女性から熱視線を浴びているのに、未だ婚約者も持たないらしい。
どうやら、弟さんもいることからそこまで結婚に拘りをもっていないようだ。
《あいつは変わり者だから》とは殿下の言葉である。
「この間、よく眠れたでしょ?」
「この間?」
「あぁ、俺の顔見ていなかったか。この前来た時、苦しそうだったから強制的に眠りの魔術を掛けたんだ」
テオドール様は目の前に置かれたカップを持ち上げて一口飲むと、ニヤリと悪戯っ子のような顔をする。
確かに寝込んでいた時に一度、急に苦しさがなくなり眠気が強くなった時があった。
あれはこの人の魔法だったのか。
「先日はありがとうございます。わざわざお越しいただききまして」
「いや、ルイの付き添いだからね」
王太子殿下を呼び捨てとは。
いくら親しいといっても大丈夫なのだろうか。
驚いたような顔をしたのに気づいたのか、テオドール様は「あぁ」と納得するように頷く。
「あいつとはプライベートは同等な関係にしているんだ。勿論、他人がいる所ではそんな気軽に話さないよ」
「他人」
えっ、私は他人よね?
「君はさ、俺の勘が大丈夫って言ってる」
「勘?」
「そう、勘。結構そういうのに頼るの大事なこと!
いつも真面目な話ばっかりでかしこまってると疲れちゃうでしょ? 俺もあいつも、それに君も」
「私が疲れる、ですか?」
「あぁ、表面上は出てないけど思い詰めたような硬いオーラしてるよ。
何があったのかなんて知らないけど、もっと肩の力を抜けば?」
「肩の力?」
「そう、もっと楽に生きればいいよ。特別なものを得たり失ったり、そんなの俺たちにはどうしようも無い。
だったらさ、笑って生きようよ」
何を言っているの?
この人は私のことを何も知らない。
何があったか、何をしてしまったのかも知らない。
それなのにこんなに軽く言ってのける。
だが、知らないからこそ言えるのかもしれない。
知らないからこそ、この人には私が気づかない何かが見えるのかも。
それにしても、《笑って生きようよ》か。
確かに過去に囚われ過ぎているのはわかっている。
だが、日々に必死過ぎてそれをどうしようとも思っていなかった。
それにしても軽い言葉だ。
でも、軽いけど重い。
彼の言葉は、氷を溶かす陽だまりみたいだな。
ふとそんなことを思ってしまった。
私がついポカンと気の抜けたような表情になるのも、気にも留めずにテオドール様は今度は目の前のマドレーヌを手に取ると口に放り込んだ。
暫くモグモグと咀嚼し紅茶で一息つく。そして、ようやくまた口を開く。
「だってさ特別でしょ、君」
「あの、特別ってどういうことでしょう。王太子殿下の婚約者という意味ですか?」
「まぁ、あいつにあんな顔させるのも特別だよな」
うんうん、とテオドールは揶揄うように笑いながら何度も首を縦に振る。
そして、「それもあるけど違う」と私の膝の上を指す。
「そこの猫、君のだろ?」
は?猫?
思わず指を指された膝の上を見る。が、何もいない。
いつものように私のワンピースの生地と置かれた自分の手があるだけだ。
「あれ?見えない?」
「えっと、何かありますか?」
「あっ、そっか!魔力がないのか。名前つければ見えるか」
「名前?」
「そうそう。忘れてたよ。
君さ、黒猫が膝の上にいます。さて、なんと名付ける?」
はい?黒猫?
黒猫
クロネコ
クロ?
「クロ」
「クロ!そのまんま!」
私の答えにテオドール様は思わず吹き出す。ツボに入ったようで手のひらで顔を覆って、何度も「クロ、クロ!」と自分の太腿を手で叩いて爆笑している。
しかも、側で控えていたサラも顔を背けながらも肩を震わせている。
仕方ないじゃない、急にそんなことを聞かれても。
思わずそんなに笑わなくてもいいのに、と頬を膨らませそうになる。
「いやー、精霊にクロなんて名付けるとはね。どこの飼い猫だよ」
ん?
は?
精霊?
「あれ、もう見えるでしょ。膝の上」
テオドール様の言っていることに疑問が浮かびながら、私は首を動かして下を見ると
そこには、確かに黒猫が
『ニャー』
膝の上でゴロゴロ寝転びながら、鳴いた。
えっ、君どこから来たの?





