2‐50
先日、殿下に私の過去を話してからというもの、殿下は時折物思いに耽ることが増えた。何かに悩んでいるような表情が多く、それとなく声を掛けてはいるが、微笑みで躱されてしまう。
それでも、日々一緒に元の世界へと戻るためのヒント探しをしたり、お茶をしたりと、互いのことを少しずつ知っていくことで、厚い壁に隔たれた距離が少しずつ近づいているようにも思える。
最近の殿下は、綺麗に作った微笑み以外の表情を浮かべることも増えた。更に、私が気にしているのを感じ取ってくれたのか、前世での私の死後の話をポツポツと話してくれるようにもなった。
自分が既に生きていない世界でも、世界は存在する。そのことが、どこか不思議でどこか切なく感じる。ただ、両親が憔悴しきっていることや殿下とテオドール様の関係性が悪化していることに言葉を失った。
「君のご両親には、とても申し訳なく思っているんだ。きっと私の顔など見たくもないだろうけど。君が修道院に行くように取り計らったのは私だからね。……まさかあんな事件が起こるなんて思ってもいなかった」
「……あの事件はどのように取り扱われたのですか」
「表向きには君が賊に襲われた、と。だが、君も疑っている通り、あの賊は雇われた者たちだ」
「一体誰が、どんな目的で……」
「すまない。犯人はまだ特定されていないんだ」
「そう……なのですね」
あの事件のことを思い出すと、未だに恐怖で震えてしまう。だが、震える手を強く握りしめて殿下に尋ねると、殿下は気まずそうに視線を外した。
もしかしたら、殿下は何かを知っているのかもしれない。殿下の反応から、ふとそんな予感がした。それでも、これ以上は踏み込まれたくないと警戒心を強める殿下に、私は更に聞き出すことはできなかった。
「もし何か思い出したことなどあれば、ぜひ私にも教えてください」
「……あぁ、そうしよう」
この会話をした日以来、殿下から私の死後の話をされることはなくなった。
それでも気まずい雰囲気があったのはこの時だけで、その後は殿下も壁を作る様子もなく、いつもと変わらない日々を送っていた。
だが、今日は朝から殿下の様子がいつもと全く違った。
今日もまた、殿下と元の世界に戻る術を探す約束をしていた為、殿下の部屋の扉をノックする。すぐに出てきた殿下は、朝から沈んだ表情をしていた。
いつもであれば、ヒント探しのために書庫や時空の部屋に向かうことがほとんどだが、今日は殿下の希望するまま湖へと散歩へ出かけた。
森を一望できる位置にある神殿から、石の階段をゆっくりと降りていく。神殿のすぐ傍に位置する湖は、精霊王の魔術で道が整備されてあることもあり、私のお気に入りの散歩コースのひとつだ。
どこかぼんやりと考え込む様子の殿下に、今日は時空の部屋に行くかどうかを尋ねる。すると、何故か殿下の表情は一気に強張った。
そして、殿下から告げられた言葉は、私にとって予想だにしないものだった。
「なぜ一時中止をするなどと仰るのですか?」
殿下から告げられたことは、元の世界へと戻る為のヒント探しをやめたい、ということだった。
一刻も早くこの世界と元の世界、2人のルイ様の意識を戻す。同じ希望を持った協力者として、私たちは上手く関係を結べていると思っていた。
だからこそ、殿下の申し出はそれを拒否されたようで愕然としてしまった。
「今日までだって、色々調べてところで対して何も得られなかった。……だったら、私たちがあえて何か行動せずとも、構わないだろう」
湖に掛かるレンガ造りの橋の上、手すりに手を置いた殿下は、キラキラと光る湖を見つめながら、私にそう告げた。
「私はそう思いません。昨日何も得られなかったからといって、今日もそうだとは限りません」
「無駄足になるかもしれない」
「だとしても、今日何もしなければ得るものは0です。ですが、無駄かもしれないけど、行動すれば、もしかしたら得るものは僅かでも見つかるかもしれない。少しでも手掛かりが掴める可能性があるのなら、私は行動するべきだと思います」
昨日まで元の世界に早く戻りたいと言っていた殿下と今日の殿下はどこか違う。それに、昨日までは僅かに歩み寄れた気がしたのに、今日は壁ができてしまった気がする。
「何かしないと落ち着かない、ってことか」
「……そうですね。殿下の仰る通りかもしれません。二つの世界の殿下の意識がすり替わっている状況は、私にも原因がありますから。巻き込んでしまい、殿下に申し訳ない気持ちでいっぱいです。だからこそ、この状況を一刻でも早く打破したいと、焦っているんだと思います」
「君は……全く迷いがないんだな」
「迷い、ですか?」
殿下は沈んだ声で呟きながら、眉を下げた。手摺りに体を預けて橋の下を見つめる殿下の目は、どこかぼんやりとしていた。
「いや、変なことを言った。忘れてくれ。……最近考えることが多くて、頭がうまく働いていないのかもしれないな」
その弱った声を聞いて、初めて殿下が何かに思い悩んでいるのではないか、とようやく気がついた。
殿下とルイ様を早く元に戻したいという焦りから、今目の前にいる殿下の気持ちを蔑ろにしてしまったのだろう。
「急激に色んな情報を頭に入れて、日々悩ませているのですから、疲れてしまうのも無理はありません。それなのに、配慮が足りず申し訳ございません。……眠れていなかったり、お身体の具合が優れないなどありますか?」
「いや、体調は問題ない。これは自分の内面的な問題だから」
「もし良ければ、何に悩んでいるのかお聞きしても良いでしょうか……。あの、ひとりで思い悩むよりも、人に打ち明けることで楽になることもあるかもしれません」
「ラシェル、ありがとう。だが、君に明かしたところで困らせるだけだ。ただ……少し時間が欲しいんだ」
――時間が欲しい、か。
いつもと違って絞りだすように呟いた声に、殿下の苦悩が見えてくるようだった。
一度死んで過去に戻った当初、私には受け入れるだけの多くの時間があった。支えてくれたサラや両親がいた。
でも、殿下にはそんな時間も相手もいない。だからこそ、ひとりで抱え込んでしまったのかもしれない。
本来ならば、私がもっと気に掛けなければいけなかったのに。
「……分かりました。今日は休みましょう! 今日は色んなことを忘れて過ごすのも良いかもしれません」
「……すまないな。君にだって焦りたい事情があるだろうに」
明るい声色と笑みを浮かべて告げた私に、殿下はほっとしたように顔を上げた。そして、申し訳なさそうに眉を寄せた。
それに対し、私は首を横に振りにっこりと笑った。できるだけ、殿下の心が楽になるようにと気に掛けながら。
「いえ。きっと殿下の元の世界で……ルイ様だって悩みを抱えながら、藻掻いていると思います。それでもきっとルイ様なら、辿り着いてくれるはずです。だから、殿下も……」
励まそうとした私の言葉は、殿下にとって逆効果だったようだ。
なぜなら、ルイ様の名を告げた瞬間、殿下の表情は、傷ついたように歪んでいた。
そして、瞳はこちらを責めるようにどこか苛立ちを滲ませていた。
「それは、嫌味か? 当て付けか?」
絞りだす様な、地邸を這う声にビクリと肩が揺れる。
「何が……ですか?」
「あえて呼び方を変えているのか、と聞いているんだ。君はいつだってそうだ。私のことは殿下と。彼……もう一人の私のことは名で呼ぶだろう」
「それは……ルイ様のことは元からそう呼んでいて……特別な理由がある訳では」
困惑する私の顔を見た殿下は、一瞬ハッとしながらも顔を背けた。
「君が私を見る目も呼び方も、気に障るんだ。私は偽者だと言わんばかりな態度が気になって仕方がない」
「そのようなこと! 思っておりません。殿下は殿下で……ルイ様はルイ様です」
偽者などと思う筈が無い。私は、殿下ともルイ様とも過ごした日々がある。
もちろん殿下と婚約者だった日々は、表面的な部分でしか互いを知らなかった。それでも、ここで過ごす数週間の日々により、殿下とルイ様の違いが日々浮き彫りとなるようだった。
同じ人物だけど、過ごした日々、環境で人は変わるということを。
だが、殿下は私の言葉に拳を握り、切なそうに笑った。
「……それが嫌なんだよ」
――私がルイ様と殿下を別の人物として捉えることが嫌ということ? それとも……もっと違う意味がある?
「君にとっての唯一のルイ・デュトワは私ではない。君が待っているのは、いつだって違うルイなんだ」