2‐43 ルイ視点
『ルイ、開けないのか?』
「いや、開ける。……だが、正直ここまですんなりと来られるとは思わなかった。だからこそ、妙に緊張してしまって」
『大丈夫だ』
ヴァンは私の不安などお見通しのようだ。だが、このどっしりとした態度の契約精霊を見ていると、安心感がある。
「あぁ、お前がいてくれるんだから大丈夫だよな」
『いや、そうではない。私も初めて入るのだから、大丈夫だという意味だ』
――は?
「お前も緊張してるんじゃないか」
『当たり前だろう。こんな機会でもなければ入らない場所だ。いくら精霊といえども、緊張ぐらいする』
自分よりも緊張している相手を見ると、緊張が解けるとはあながち間違っていないのだろう。
いつも悠然とした態度の鷹が、今は雀のようにこじんまりとしながら私の肩から離れようとしない。 その可愛らしい姿に、自然と頬が緩む。
「何してるんだ? ほら、いくぞ」
ヴァンと私のやり取りを後ろでじれったく思っていたのだろう。テオドールがあっという間に扉を押した。
ギィッと鈍い音を立てながら、ゆっくりと開かれる。目を凝らすが中は暗闇で何も見えない。
『私の後ろを着いて来てください。この中は広くまやかしも多く存在します。迷子になったら出て来られませんからね』
少年は杖の先を光らせ灯り代わりにしながら、こちらを振り向き真剣な表情で念を押した。
意を決して踏み出すと、室内はひんやりとした空気が流れていた。下から吹き抜ける風が肌を掠める。
「階段が続くのか」
少年が手に持つ杖のライトが周囲を淡い光で包む。ようやく暗闇に慣れて辺りを見渡すと、冷たい風が吹く先には先の見えない階段が続いていた。
壁に手を当てながら少年の後を続く。
コツコツと靴の音が響く中、誰も口を開くことはなかった。だが、最後の階段を降り切った先、広がった光景に私もテオドールも感嘆の声を上げずにはいられなかった。
「綺麗だな……。あの絵の通りだが、それよりも更に幻想的だ」
「あぁ。だが、ここに来てようやく確信したよ。やはり、ラシェルがいた場所は、ここと繋がっている」
王宮に飾られていた時空の部屋の光景は、間違いなく目の前に広がる世界を描いたものだ。闇の精霊王が現れて砂時計の僅かな時間でラシェルに会った時、連れられてた先も同じような場所だった。
だが、ラシェルに会った時は無我夢中で辺りをじっくりと見渡す時間もなかった。
部屋という概念を一気に崩されたように、まるで星空の中に閉じ込められたよう。
テオドールは目元を綻ばせ、遠い光に手をかざした。その姿はあまりに美しく、この世のものとは思えないほどの儚さを滲ませた。
同じように私も手を光へと伸ばす。すると、無数の光の中で他とは段違いの輝きを放つ巨大な光を遠くに捉える。
「あれは……」
『もう少し先に行ったところに一番大きな光があるでしょう? あれがあなたの元いた世界です』
「あの光が……私のいた世界……不思議な気分だ」
少年が迷わずに進む先にはその大きな光があった。
近づくにつれ、光は私を呼ぶように点滅をし始めた。初めて見る光にも関わらず、温かさと懐かしさに胸の奥底がじんわりと熱を持つ。
『元に戻る方法は簡単です。この光に手をかざしてください。そうすれば、あなたともう一人のあなたが同期して、自然とあるべき場所へと戻してくれます』
「そんなにも簡単なのですか」
『元はあなたの世界ですから。既にあなた方の道は互いの世界に繋がっています』
少年は私を勇気づけるように、力強く頷いた。
「早く戻ってやれ。ラシェル嬢もお前のことを待ってるよ」
「あぁ、テオドールありがとう。ヴァン……」
『私はいつでも其方と一緒だ。何かあればいつでも呼びかけに応じよう。……其方と話せて楽しかったぞ』
「僅かな時間で会ったけど、私もヴァンと話ができて嬉しかった」
では、とゆっくりと光へと手を近づける。
指先が触れた瞬間、勢いよく溢れ出た光が私を包む。
先程感じた温もりが更に心臓に直接響くように増した。思い浮かべるのは、私を信じて待っていてくれるラシェルの姿。
――ようやく。ようやく君の元へ戻ることができる。
期待と安堵に胸を高鳴らせた。
その瞬間、手が触れた先にバチンッと静電気と呼ぶにはあまりに強い、まるで雷に打たれたような衝撃が訪れる。
「な、なんだっ!」
触れた手の先から旋風と共に弾かれた勢いで、思わずその場に尻餅をつく。
何が起きたのか理解ができず、茫然と辺りを見回す。すると、同じように驚愕に目を瞠るテオドールと視線が合った。
「ルイ? ……どういうことだ……戻れたはずじゃ」
「……弾かれた。一体何が何だか……」
差し出されたテオドールの手を借りながら体を起こすと、高位精霊の少年が困惑する姿が目に入った。
『な、何故。弾かれるなんてあり得ない……どうして……』
誰もが何も言えずに茫然と立ち竦む中、私の真後ろから凛とした声が響いた。
『拒絶されたのだ』
反射的に勢いよく振り返る。すると、そこには予想だにしていなかった人物の登場に、絶句する。
「せ、精霊王! まさか」
目の前には、この場にいるはずのない光の精霊王その人が立っていた。
――いつの間に……物音ひとつせず、気配さえ一切感じなかった。
冷や汗を掻きながらも、状況を把握しようと目線を動かす。視線が重なったテオドールも同じ状況なのだろう。僅かに焦りの色が見える。
だが、それは高位精霊である目の前の少年も同じだったようだ。
『お、王! 今日は戻られないはずでは!』
膝をつこうとする私や高位精霊の言葉に、精霊王は視線だけでその行為を制した。
『良いか、これだけは教えてやろう。互いの世界に戻るには、意志が必要だ。戻りたいと願う意思が』
ハッと顔を上げる。
きっとこれは私が元の世界に戻れなかったことへの答えだろう。
精霊王と対峙していること、元の世界へ戻れない恐れへの恐怖から、先程からずっと心臓が大きな音を鳴らす。警告音のように耳鳴りさえする。
だが、それでも精霊王から視線を逸らしてはいけない。今逸らせば、精霊王の助言の続きを聞けない。そんな予感がする。
「……意志ならば、十分にあります」
『其方は、だろう?』
「私以外に誰が……まさか!」
気がついた瞬間に、ドクンと心臓が軋む。
この場合、意志が必要になるのは2人。ひとりはもちろん私だ。そして、もうひとり元の世界に戻りたいという意思を持たなければいけない人物がいる。
『そうだ。どうやら、もう一人の其方には、元の世界に戻りたいという意思がないようだ』
「その場合は……一体……」
『何も問題ない。其方ともうひとりの其方が元に入れ替わらずとも、世界の均衡は崩れることはない』
精霊王は、淡々と私に伝えた。その声色からは喜びも楽しみも焦りも、何も感じない。ただ当たり前のように、事実を述べた。
その事実が、私にとって一瞬のうちに地獄に落とされるようなものだと知ってか知らずか。
「……う、嘘だろう。では……私は帰れないと?」
茫然と立ち竦む私に、精霊王は肯定を表すように沈黙した。
黄金の瞳は、全てを見透かすように静かにこちらを見遣った。
長く続いたルイ視点ですが、次回からラシェル視点に戻ります。
続きもお楽しみいただけると嬉しいです。