2-42 ルイ視点
『ここからは私が案内してやろう』
聞きなれない声に辺りを見渡す。すると、不思議そうな顔をしたテオドールと目が合った。
「ん? どうした?」
「いや……今の声は」
『何をしているんだ。時間がないぞ』
声の所在を確認しようと彷徨わせた視線の先にはヴァンがいた。暗闇の中で無数に輝く星空を背に、ヴァンは大きな翼を広げながら頭上を飛んでいた。
「もしかして、ヴァンが喋っているのか?」
「あぁ、そうか。ルイは初めてヴァンの声を聞いたのか偉そうな態度が声に現れているだろう?」
驚く私を他所に、テオドールはヴァンへと視線を向けながらにやりと笑った。
「テオドールはいつもこんな風に精霊の話し声が聞こえるのか?」
「あぁ、そうだな。精霊は人間の言葉を理解しているが、人間側はそうじゃないだろう? だから精霊側も色々と悩むことも多いらしいよ」
「……お前は精霊の悩み相談もするのか」
未だ底の見えないテオドールに、思わず苦笑する。だが、そんな悠長に考えるゆとりもないまま、ヴァンは先を急かすようにスピードを上げた。
『おい、無駄口を叩いている暇はないぞ。もう少し早く走れ』
「こんな森の中に時空の部屋があるのか?」
『そうだ。光の精霊王が管理する時空の部屋は、精霊王が住む神殿内の離れに存在する』
「離れか。では他の精霊に見つかる可能性もあるのでなはいか?」
「その辺りは大丈夫……だと思いたい。ヴァンの事前情報によると、神殿内といえども、時空の部屋がある離れには基本的に他の精霊は寄り付かないらしい。それに、一応、俺もここに着いた時点から、俺とルイには認識疎外の魔術を使ってるし」
「……いつの間に。というか、お前、そんな術も使えるのか」
「ははっ、まぁね」
テオドールはヴァンに合わせて走りながらも、したり顔でこちらを見遣った。
「お前は本当に食えない奴だな」
「またまた。ルイは俺のことをいつだって頼りにしてるくせに」
「まぁな。お前だけは敵に回したくないって心底思うよ」
並走しながら答える私に、テオドールは堪らないとばかりに噴き出した。隣でケタケタと笑うテオドールに、冗談めかしながらつられて笑った。
しばらく並んで走っていた時、テオドールが遠くに何かを見つけたのか、弾んだ声で前を指さした。
「あっ! 見ろ、灯りが見えるぞ」
木々の隙間に見える僅かなオレンジ色の光を目指し、ヴァンがスピードを上げて滑らかに木の間を潜り抜けていく。
置いて行かれないように、私たちもスピードを上げて後を追う。
着いた先には、こじんまりとした石造りの建物がポツンと建てられていた。
「ここが……もしかして」
『あぁ、着いたぞ。この扉の先だ』
「ここに、時空の部屋があるんだな」
私の肩に乗ったヴァンが羽を畳みながら、そうだ、と頷く。
「鍵はないのか?」
『もちろんある。だが私は所持していない』
所持していない? どういうことだ。
目の前まで辿り着いたのに、入れないなんてことは……。
『心配せずとも大丈夫だ。時空の部屋は精霊王にとって何より重要な場所だ。だからこそ、光の精霊だからといって、全ての精霊が自由に出入りすることはできない。だから、今回は鍵を持つ高位精霊に協力して貰った』
鍵を持つ高位精霊? 初めて聞く話に、思わずテオドールのほうへと振り返る。
テオドールはヴァンの話を既に聞いていたようで、腕を組みながら相槌を打っていた。
「その高位精霊は?」
『そこにいる』
ヴァンが顔を向けた先に、先程まで一切気配がなかった空間に、ひとりの少年が佇んでいた。
「いつの間に……」
10歳ほどに見える少年は、長い銀髪に黄色い瞳を持ち、穏やかな笑みを浮かべている。彼は私の戸惑いなど気にせずに、にこやかにこちらへ歩を進めた。
『話はあなたの契約精霊である鷹から全て聞いています。闇の精霊王のいたずらに巻き込まれたデュトワの王子はあなたでしょう?』
「は、初めまして……私は」
頭をフル回転しながら状況を把握しようと努めつつ、目の前の高位精霊に挨拶を返す。自己紹介を続けてしようとした私に、高位精霊の少年は手で制した。
『いえ、自己紹介は結構です。私はあなたのことを元々存じ上げています。それよりも、王が気づく前にあなたは元の世界に戻った方が良いでしょう』
初めて会うにも関わらず、どこまでも友好的な態度に困惑する私に助け舟を出すように、テオドールが少年へと一歩近づいた。
「ヴァンが言っていたな。精霊王は人間と触れ合うのを嫌うから力を貸すこともしないかもしれない、と。精霊王の身近にいる高位精霊であるあなたも同意見なのでしょう?」
『もちろん』
「では、なぜ協力してくれるのですか? ヴァンはルイの契約精霊だから、ルイのために協力することは分かる。だが、あなたは違いますよね。精霊王の意志に逆らうことになるのでは?」
少年はテオドールの問いに、さらりとした艶のある銀髪を掻きながら眉を下げた。
『確かに……そうなるかもしれません。精霊が人間に肩入れすることを王は望みません。ですが、デュトワ国の王子の一大事ですから……。これが正しい選択なのかはわかりませんが、鷹に事情を聞いた時、私はあなたを助けたいと思った。だから、直感を信じてあなたに協力しようと決めたのです』
少年の真っ直ぐな瞳からは嘘を一切感じられない。
仕えるべき王を裏切る形になるにも関わらず、自身の信念を曲げたくはないという意思さえ見える。
初対面の高位精霊の慈愛溢れる眼差しに、胸が熱くなるのを感じる。
「……ありがとうございます。あなたの助けは生涯忘れることはないでしょう」
『では、どうかデュトワの民が今後も精霊を常に近しく感じてもらえるようにしていってください。そして精霊たちが今後もこの森に住めるように、自然を大切にしていただきたい。私たち光の精霊は、いつでもデュトワの民と共存していることを忘れないで欲しい』
「もちろんです」
力強く頷く私に、高位精霊はその見た目と同じ子供のような率直な笑みを浮かべた。
『安心しました。では、今鍵を開けましょう』
少年が手元に杖を出すと、そこから光が現れた。
先程までレンガで覆われた壁に、重厚な扉が出現する。そして、カチッと鍵が開く音が聞こえた。
『どうぞお入りください』
少年の優しい物言いに、唾を飲み込み、扉に手をかざす。