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体中が熱い。
息が早くなる。
目蓋が重い。
何か冷たいもの、冷たいものが欲しい。
あっ。
頭の上に温かい何かが触れる感触がした直後、冷んやりとしてきた。
「気持ちいい……」
何か呟く声が聞こえ、今まで寝苦しかったのが嘘のように呼吸が楽になる。
すると、今度は急に眠気が襲ってきた。
眠い。
「ラシェル、おやすみ」
優しい声で誰かが私の名を呼んだ?
聞き慣れた安心する声。
髪を撫でられる感触がある。とても大事なものを扱うかのように優しさに溢れた感覚だ。
でも、誰? 目を開けようとするも目は開くことなく、その前に私は眠りへと落ちた。
♢
「お嬢様、熱も下がりましたし、咳も出なくなりましたね。良かったです」
「サラ、ありがとう」
「あの熱を出した日から今度は咳も出るようになって、ここ一週間はずっとベッドの上になってしまいましたね」
そう、あの発熱した時から今日で一週間が経った。
風邪も合わさってか、私の熱は何度も上がり下がりを繰り返した。
そして、ようやく落ち着いた。
やっぱり、この体は少し体調が悪くなるとすぐに悪化してしまうようだ。
これは本当に気をつけなければ危ないかもしれないな、と考えながら苦笑いになってしまう。
「そういえば、寝込んでいる間に誰か来たかしら?」
「はい、殿下がお越しに。今日届けられた花もこちらに活けておきますね」
「殿下、そう殿下も足を運んでくださったのね」
「はい。熱が上がってすぐに、急いでいらっしゃいました。お嬢様が寝られるまでお側についてくださっていましたよ」
「そう、では後でお礼を申し上げないと」
そこでサラは「あっ」と目線を上に上げて思い出したかのように声を上げる。
「そう言えば、殿下と一緒に魔術師様もいらっしゃいました」
「魔術師様?」
「はい。長い銀髪の一見女性とも見間違えるかのようなお美しい方でした」
銀髪の中性的な美形で魔術師
そう聞いてすぐに浮かんだ人物
テオドール・カミュ
現在22歳、カミュ侯爵の嫡男である。
後の侯爵となるが、現在はフリオン子爵を名乗っている。
前魔術師団長を父に持ち、本人も高い魔力を持つらしい。その才能は国一番と言われた父をも超えるだろうと言われているとか。
新人ながら魔術団で既に頭角を現していると有名だ。
彼と殿下は歳の離れた幼なじみであるから、私も挨拶ぐらいはしたことがある。
初対面でも距離感が近く、殿下の婚約者であるからと名前で呼ぶ事を簡単に許してくれた。
だが、元々年齢も離れているし前の生でもあまり関わってはこなかった。
その彼が何故我が家に?
しかも見舞いに同伴?
どういうことかしら。
「あぁ。そういえば、殿下は随分お疲れのようでしたね」
「えっ?」
サラが花を綺麗に花瓶に活けながら、私へと視線を向けた。
「少し目元に隈が出来ていたので」
「そうね、暫く来られないとおっしゃっていたから忙しいのかしら。
それなのにお見舞いにいらしてくれたなんて、申し訳ないわ」
「いえいえ、それだけお嬢様を心配なさってたのですよ。
だって、あの殿下が血相を変えてお越しになりましたから。それに、シャツのボタンを掛け違えていました」
サラが内緒話をするかのように口元に手を当てて小声で言う。その内容を想像し、思わず目を丸くしてしまう。
「殿下が?想像つかないわ」
「はい。私も見間違えたのかと何度もこっそり確認してしまいました」
あの殿下が。
シャツのボタンの掛け違い。あのどこまでも完璧な風貌の殿下が。
それは、何だか可愛らしい。
徐々にふつふつと込み上げてくる笑いを堪えて切れず、思わず「ふふっ、あの殿下が」と呟きとして漏れてしまう。
そしてサラと目が合い、また二人で肩を震わせることとなった。
一頻りサラと二人で笑い合った後、コンコンとノックの音がする。
「はい」
「失礼するよ」
返事の声と同時に入ってきた父は、私の顔を見ると安心したかのように目尻を下げる。
「お父様、いくら娘の部屋だからといって返事をしてすぐドアを開けるのはどうかと思いますよ」
「はは、すまない。ポールからラシェルの体調が良くなったと聞いてね。すぐに顔を見たくなったんだよ」
「まぁ!それなら仕方ないですわね」
ダークブラウンの髪色に深緑色の少し垂れ目な優し気な顔つきの父は、40歳だというのに童顔なこともあり10歳は若く見える。
母ではなくこの父に似ていれば、私ももっと優しそうに見えただろう。
父の弟の息子であるエルネストの方がよっぽど似ていると思う。
だが、私は優しい母が大好きだ。今回寝込んでいた時も、寝不足になりながらも側にいて看病してくれていた。
そういえば、さっきのこと。
父にあの事を聞けば分かるかもしれない。
「そういえば、殿下が見舞いに来てくださったそうなのですが。その時にテオドール様も同伴されたとか。
お父様、何か聞いてますか?」
「ふむ。そういえばフリオン子爵も来たとポールが報告してくれていたな」
父は思案顔で、顎に手を置いている。元々髭が生えにくい為、毎日綺麗に剃っている顎に手を置いて摩るのは、父が考え事をする時のくせだ。
「どうやら殿下は最近彼と一緒にいる事が多いらしい。彼は噂通り優秀な方だからね、殿下の調べ物に役立っているのだろう」
「調べ物?」
「あぁ、詳しくは陛下に止められているから言えないが」
陛下に止められている?
テオドール様と協力して内密な仕事でもしているのかしら。
「ちなみに、フリオン子爵は医療面にも詳しいらしいから、その関係で連れてきたのだと思うよ」
「本当に優秀な方なのね。では、テオドール様にもお礼の手紙を書かなくては」
「そうだね。
……ラシェル、とても残念なのだが……私はこれからまた城に戻らなくてはならない」
「そうなのですね。お父様もお体に気をつけて」
「あぁ、本当に顔色が良さそうになって安心したよ。でも、病み上がりなのだから無理はしてはいけないよ」
父は少し申し訳なさそうに眉を下げるが、娘への確かな愛しさを感じさせる柔らかい表情で私の髪をゆっくりと撫でる。
「えぇ、今日はまだもう少し休むこととします。
お父様、心配してくださってありがとう」
父は穏やかな顔つきでひとつ頷き、名残惜しそうに部屋を出て行った。
そして、私はもう一眠りしたあとにサラに頼んで机からベッドに便箋を持ってきてもらう。
殿下とテオドール様、そして見舞いに来てくれていたエルネストにお礼の手紙を書くためだ。
手紙を送った数日後
あのテオドール・カミュから、要約すると《訪問をしたい》という内容の手紙が届くこととなり、驚くことになる。





