2‐41 ルイ視点
テオドールは何もない空間に人差し指を掲げる。その指が動くたびに、黄色に光る線が現れた。迷うことなくサッサっと指を動かすテオドールは、この執務室と光の精霊の地を繋ぐために、魔法陣を描き始める。
「ヴァンの力を借りるから、10分後の0時ぴったりには出発できるだろう。ルイもしっかり心の準備をしておけよ」
「あぁ、わかった」
テオドールは器用に魔法陣を描きながら、視線は魔法陣から動かさずにポケットからペンダントを取り出した。
「それから、このペンダントは向こうにつくまで借りとくからな」
ペンダントというのは私が普段から身に付けている、ヴァンと私とを繋ぐペンダントのことだ。
テオドールがヴァンから聞いた話だと、ペンダントはヴァンの魔力を通じて光の精霊の地へと繋がっているのだそうだ。
今回はテオドール、ヴァン、私の3人が精霊の地へと向かう。その為、普段よりも大きな回路を必要とする。その緻密で難易度の高い作業もテオドールによると、普段使う瞬間移動の応用だからできないことはないそうだ。
テオドールが唱える呪文により、徐々にペンダントから淡い光が漏れ始めているのを確認していると、シリルがこちらへと一歩近づく。
「殿下、無事に元の世界へとお戻りになれることを願っています」
「あぁ、シリルには世話になった。お前がいてくれて心強かった。それと、キャロル嬢にも感謝を伝えておいて欲しい」
「わかりました。必ず伝えておきます」
私の言葉に、シリルは真面目な表情で頷いた。
キャロル嬢とは、精霊召喚の儀を最後に会うことは出来ていなかったが、シリルに託すことできっと感謝の言葉はしっかりと伝えてくれるだろう。
だが、ひとつ引っかかっていることもある。私の世界のキャロル嬢と、この世界のキャロル嬢の違いだ。
「感謝の気持ちとして、菓子をキャロル嬢に持っていって欲しい。……王宮料理人サミュエル・エモニエという人物がいる」
「エモニエ男爵の五男ですね。確か変わった創作料理が得意とかで殿下が特にお気に召している料理人だったと記憶しています」
「あぁ、間違いない。彼に菓子を作ってもらい、直接キャロル嬢に持って行くように手配してくれ」
私の言葉に、シリルは不思議そうに眉を顰めた。
「……何故でしょう」
「私ができるキャロル嬢への感謝の気持ちだ」
「菓子が……ですか?」
「両方だよ」
――珍しくも美味しい菓子。そしてそれを作ってくれる穏やかで温かい人柄を持つ料理人。彼らがこの世界でどうなっていくかは分からない。それでも、彼らに接点さえあれば、何かしらのきっかけになるのではないだろうか。
彼らの未来が重なるかは分からないし、自己満足な行動であることは分かっている。
だが、自分が思うよりも遥かにあの二人に肩入れしたようだ。そんなことを考えると、自然と笑みが漏れる。
その時、テオドールの呪文の声が止まった。
一瞬訪れた静寂に顔を上げると、執務室の床に広がった魔法陣の中央にヴァンを抱えたテオドールが立っていた。
「ルイ、こっちの準備は万全だ。光が消失する前にこっちに来い」
「あぁ、わかった。シリル、元気でな」
「はっ、はい! 殿下もどうか……どうかお元気で!」
魔法陣の中央へと足を進めながら、シリルへと声を掛けると、シリルは寂しさを滲ませた笑顔をこちらに向けた。
そんなシリルに手を挙げて答える。魔法陣から出ていた光が更に強力に輝き、目の前にいたシリルの姿が徐々に光で見えなくなった。
「光が強くなる。10秒ゆっくり目を閉じるんだ」
テオドールの言葉に、目を閉じると心の中で1、2、3とゆっくりと数える。
そして10を数え終わった後、瞼を静かに開ける。
すると、そこは先程までいた執務室の光景から一変していた。
辺り一面に瑞々しい草木の香りが広がる。自分が立つその場所は、月夜に照らされた草木がさわさわと優しい音を奏でる。周囲を見渡そうと体を翻すと、足元からジャリッと土を踏む音が鳴る。
「ここは……森の中か?」
「あぁ。ここが光の精霊が暮らす精霊の地だ」
暗闇に目を凝らしながら戸惑いを滲ます私の肩をポンッと叩いたのは、興奮したように瞳を輝かすテオドールだった。