2-38 ルイ視点
王太子執務室に戻ると、私は執務机へと向かった。引き出しの三段目、私の魔力でしか開かない特殊な鍵を回し、一冊のファイルと小瓶を取り出す。
そして、ファイルの中から目当ての紙を見つけると小瓶と共に、アルベリクに差し出した。
「お前に頼みがある」
「頼み……ですか」
「あぁ。この小瓶に入った毒草の入手経路と、そこに書かれた特徴の薬草を見つけてきて欲しい」
「これは……」
アルベリクは私が手渡した紙に書かれた文字をなぞるように上から下へと視線を動かした。徐々に険しくなるアルベリクの目元が、いかに自分が難題を吹っかけているかがわかるようだ。
「すまない。今ここで全てを話すことは出来ない。内密に調べて欲しいことだからこそ、弟妹にも母上にも一切公言しないで欲しい」
「詳細を話せないようなものを私に探させるのですか? それに、この小瓶……これは!」
アルベリクは小瓶の栓を抜くと鼻を近づけた。そして、すぐに何かに気がついたように驚きに目を見開いてこちらを見た。
「あぁ。ラシェルがキャロル嬢に盛ったとされる毒草だ」
「盛ったとされる? その事件の件であれば、私の師が毒草の特定に関わっているのでよく知っています。ですが……どうして……」
――どうして、か。
アルベリクが困惑している理由はわかる。
なぜ、今頃になってこの世界の私とラシェルが婚約破棄となったきっかけである、アンナ・キャロル嬢毒殺未遂事件を追っているのか、と言いたいのだろう。
あの事件のことは、この世界にきてから随分と調べた。
ラシェルとキャロル嬢、2人だけの茶会の際、毒草が含まれた茶葉で淹れられた茶を一口含んだキャロル嬢が、血を吐いて意識を失った。幸いにも口に含んだ毒の量が少量だったこと、すぐに解毒剤を飲むことができたことで、命に別状はなかった。
「どうして今頃また調べようとしているのか、だよな。お前がそう思うのもわかる。だが、私にとってはまだ終わっていないことなんだ。それに、お前も気づいているだろうが、この事件は不審点も多い」
「えぇ。マルセル嬢が使用したトラルという毒草は、猛毒であることもあり特殊な手続きをしない限り手に入らない。それを、王都のカルソウヌ地区にある路地裏の薬局で入手したとのことですが……。事件が起きた時には、薬局は閉まっていて店主も行方不明だったとか」
「あぁ、そうだ。そして、ラシェルが茶葉に毒草を混ぜたことを認めたこともあり、深追いはされなかった」
――そう、国で手続きが必要な猛毒の入手経路が不明なまま、深追いをしなかった。……それをこの世界の私が本当に許したのだろうか。
ラシェルが賊に殺された件もそうだ。不可解なことが多いにも関わらず、私は入念に背後を調べた形跡がなかった。
そこが不思議なんだ。
いくら世界が違い状況が変化したとして、元の自分の性格はよく分かっている。国の暗部、膿はとことん調べつくさねば気が済まないような人間なんだ。だというのに、何故?
このところずっと胸の奥で引っかかった棘が気にかかる。
「兄上?」
思考の海に沈み込む寸前、アルベリクの声に意識が浮上する。
「あぁ、すまない。そうそう、この話は知っているか。……ラシェルがあの店で購入したと思っていたのは、猛毒の毒草ではなく、『呪いの薬』と呼ばれる腹痛嘔吐が症状となる軽度の毒を持つ毒草であったと」
「いえ……それは」
「しかも、自分が盛った毒が猛毒だったことを知ったのは修道院へと向かう直前だったそうだ」
私の言葉に、アルベリクは考え込むように顎に手を当てながら先程私が渡した紙へ、もう一度確認するように視線を移した、
「その話は知りませんでした。真実を隠されていたのですか?」
「いや、先日アンナ・キャロル嬢から預かった手紙に書いてあった。ラシェルが修道院へと向かう直前に、キャロル嬢に謝罪の手紙を渡していたそうだ。そこに……殺意の否定と茶葉についてのことも記載されていたようだ」
「では、キャロル嬢がその事実を黙っていたのですか?」
アルベリクの言葉に、私は首を横に振った。
「いや、彼女はラシェルの死が自分のせいだったのではと後悔し、手紙の封を開けられなかったそうだ」
先日の精霊召喚の儀でキャロル嬢に協力を求めるために、大教会へと何度も足を運んだ。その際、キャロル嬢は私にラシェルからの手紙を差し出し、後悔の念を打ち明けた。
『これを読む前に彼女の訃報を聞き……どうしても封を開けることができなかったのです。ですが、殿下とシリル様の話を聞き、私も向き合わなければいけない時がきたと……私が……私の存在が彼女を苦しめ、破滅させ、殺してしまったのです』
そう暗い顔で告げたキャロル嬢は、この世界にきてから何度もみた顔だった。マルセル侯爵、そしてテオドール。皆、今のキャロル嬢と同じ表情をしていた。
「おそらく、あの事件にはラシェル以外の他の人物が関わっているように思う」
アルベリクは私の話に黙って耳を傾け、「なるほど」とポツリと呟いた。
「勝手なことだと分かっている。こんな怪しい頼みを聞いてくれだなんて都合がいいことも。だが、お前にしか頼めないことなんだ」
「そのような内密で動かなければいけないものを私に頼んでも良いのですか。裏切るとは思いませんか」
「あぁ。私が損得なしに唯一信用できる肉親がお前だけだからな」
「なっ! なにを……」
元の世界でアルベリクの人柄はよく分かっているつもりだ。それに、権力に興味のない弟が、あえて私を追い落とそうとする必要がないことも十分に承知の上だ。
「頼む」
断られる可能性もなくはない。だが、それでも今頼れる人間が限られた中で、ここでアルベリクには何としても引き受けてもらいたい。
願いを込めてアルベリクを真っ直ぐに見据えると、アルベリクは大きなため息を吐いた。
「……はぁ。……無償ではありませんからね」
「引き受けてくれるのか! ありがとう」
喜びに思わずアルベリクの両手を握ると、アルベリクは「なっ!」と声を上げて狼狽えた。
「本当に今日のあなたはどこか変です。……調子が狂うな」
困惑しながらも拒否する素振りのないアルベリクにほっと胸を撫で下ろした。
と同時に、もう一つ懸念がある。それは自分自身のことだ。今、ラシェルが何故殺されなければならなかったのか。それを追っているが、私には時間がない。
優先すべきことは、元の世界に戻ること。そして、行動に移す日は既に決めてある。
――だとしても、何としてでもこの手で彼女のこの世界での無念を晴らしたい。
「できるだけ早く調べてくれると有難いが、もしもお前が調べた結果を持ってきたときに、私がそれをぞんざいに扱った場合……」
「はぁ? 自分で頼んでおいて何ですかそれ」
「もしも、だ。その時は、その結果をシリルとテオドールにも伝えてくれ。……必ず」
念を押した私に、アルベリクは困惑の色を深めたが、それ以上は何も言わなかった。黙って頷くアルベリクに、私は眉を下げて笑みを向けた。
話しは終わったと退出すようとドアに手をかけたアルベリクに「そういえば」と声をかける。
「母上の最近の様子はどうだ」
「特に変わりありませんよ。あぁ、兄上の婚約を急いでいるようですが」
婚約という言葉に、不快感を隠すことができない。苛立ったように黙った私に気づかぬまま、アルベリクはこちらに背をむけたままふと考えたように、目線を上げた。
「それにしても、なぜ母上はヒギンズ侯爵令嬢との婚約を進めようとするのでしょうかね。普通は光の聖女であるキャロル嬢との婚約を望むでしょうに。……まぁ、父上が保留にしている以上、まだこの件は進みそうにありませんが」
アルベリクはそれだけ言うと、今度はドアを開けてそのまま退室した。
残った私は、またチクチクと胸の奥底ですっきりとしない想いが渦巻いていた。
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