2‐37 ルイ視点
ミリシエ伯爵による鬼の指導は、こちらの世界でも相変わらずのようだった。
休む暇も無く素振りや打ち合いをし、伯爵の部下が呼びに来る頃には私もアルベリクも汗だくになっていた。
「いやー、そろそろ騎士団のほうへ向かわねばならないようで」
そんな中、ひとり爽やかな笑みを浮かべながらタオルで汗を拭うミリシエ伯爵からは一切の疲れを感じさせない。
「貴重なお時間を稽古にあててくださりありがとうございます」
「いやいや、殿下は私の大事な弟子ですからな。またいつでも稽古を見ましょう」
「ありがとうございます」
私たちに教えながらも一緒に剣を振るっていたはずのミリシエ伯爵は、来た時と同じように明るい表情で演習場から出て行った。
ミリシエ伯爵が見えなくなると、隣に立っていたアルベリクは力が抜けたようにドサッとその場に座り込んだ。
「立てるか? 手を貸そう」
「……結構です。くそっ、力が入らない」
アルベリクは私の差し出した手を恨めしそうに睨みつけた。
私は彷徨ったままの手を引っ込めると、アルベリクのタオルと水筒を本人へと手渡した。素直に受け取ったアルベリクは、勢いよく水を飲み干す。
そして、気まずそうに視線を床へと落とした。
「笑えばいいでしょう。毎日練習しているくせに体力が全然ない。本当に嫌になる」
「笑わない。お前の努力を笑う奴なんて気に掛ける必要もない」
私の言葉にアルベリクはポカンとした表情で顔を上げた。だが、すぐに自嘲の笑みを浮かべてため息を吐く。
「……あなたはそういう人ですよね。努力した分だけ成果が出て結果を出す。嫉妬することも嘲ることもない。そんな正しい人だ」
「私はお前が思っているような聖人君子ではない。嫉妬もするし感情に振り回されることだってある。……後悔ばかりだよ」
「兄上が? 後悔? ……似合わないな」
眉を顰めながらポツリと呟くアルベリクに、思わず肩を竦める。
――似合わないか。この世界のアルベリクがそう思うのも当たり前だろう。
嫉妬に駆られて我を失いそうになることも、誰かを失うことの恐ろしさに心が冷え切る想いも、冷静さを失って考えるよりもまず体が動くことも。
全てはラシェルに惹かれたことから生まれた感情なのだから。
「自分と向き合えてこそ、真っ直ぐに人を見ることができることも私は知らなかったんだ。何でも自分でやらなければいけないと思っていたが、それも間違いだった。人には得意不得意があるだろう」
「兄上にも不得意があると?」
「ははっ、当たり前だろう。私が何でもできるように見えるのであれば、それは周りの力によるものも大きい。私の手が回らない部分はシリルが補ってくれるし、視野の狭さを広げてくれるのはテオドールだ。それに第三騎士団がいるお陰で、安心して行動範囲を広げられる」
――この世界にきてからもそうだ。自分の無力さを実感してばかりなのだから。
自分の手をジッと見つめたあと、ギュッと拳を握る。そして、顔を上げてアルベリクへと視線を向ける。
「お前のことを尊敬しているよ」
「兄上が私を尊敬……ですか?」
「あぁ。この軟膏に使われている薬草は何か分かるか?」
ポケットから取り出した軟膏は、オルタ国へと向かう前に手に入れたものだ。この世界でもそれは同様だったようで、何かあった時の為に普段から持ち歩いていたものだ。
その軟膏をアルベリクへと手渡すと、アルベリクは缶の蓋を開けて香りを確認するように鼻を近づけた。
「これは! サームルですね。希少な薬草で我が国にはほとんど流入していないはずですが……どこでこれを?」
「帝国の使者から頂いたものだ」
「やはり。この薬草は帝国の南部地方でしか取れない希少なものなので。傷の修復を助ける薬草で、現地では昔から傷薬として使われてきたようですが、栽培方法が難しく量産することができないそうです」
「希少だというのに、アルベリクはよく知っていたな」
「えぇ。一度教授から見せていただいたことがあったので。これ、少し触ってもいいですか?」
「あぁ、もちろん。執務室にもう一つあるから持って帰ると良い」
先程まで私たちの間に絶えず流れていた緊張感が一瞬で吹き飛ぶように、アルベリクは「良いのですか!」と目を輝かして笑った。
「生き生きとしているな。お前は本当に植物が好きなのだな。昔から図鑑を抱えて庭園を見て回っていたよな」
私の言葉にアルベリクは、ハッとし視線をフイっと外した。
「……よく覚えていません」
消え入るように呟きながらも、大事そうに軟膏の缶をポケットへと仕舞うアルベリクに思わず笑みが漏れる。
元の世界でアルベリクと交流がなければ、弟の人柄を理解することができなかっただろう。だが、こうして対面してみるとアルベリクはこの世界も元の世界もどちらも何も変わりない人物だということが分かる。
「アルベリクのその知識は、この国にとって財産となる。今後必ず、専門家として大きな力となるだろう。でも、それだけじゃない。私がお前を尊敬しているというのは、お前自身の粘り強さだ。興味のあることに頑張れる人はもちろん多いだろう。だが、苦痛を感じ不得意と自覚した上であっても、手を抜かずに日々努力できるお前を尊敬する」
「兄上……」
知識豊富で手を一切抜かないアルベリクは、ここ数年沢山の補佐をしてくれていた。その代わりに他国の珍しい品種の植物を集めるルートを確立させられたのだが。
「この後、少し時間はあるか? 私の執務室に一緒に寄って欲しい」
汗が引いてきたのを確認し、私はアルベリクにそう告げた。
すると、アルベリクは不審そうに目を細めた。だが、先程までのような拒否する態度を取ることはせず、怪しみながらも素直に私のあとを着いてきた。