2-36 ルイ視点
テオドールと別れたあと、騎士団長であるミリシエ伯爵との約束の場所である演習場へと向かう。だが、そこには既に先客がいた。
その人物はこちらに背を向け、剣を振っている。剣を振る度に、私と同じ金髪が僅かに揺れた。私が近づくと、彼はこちらに気がついたようで剣を下ろして振り返った。
「……兄上」
私を兄と呼ぶ目の前の人物は、私よりふたつ年下の弟――アルベリクだった。
彼はこちらに視線を向けると、嫌そうに眉をしかめた。
「今でも剣を続けているのだな」
「意外でしたか?」
眉間に皺を寄せたまま、こちらを睨むように見たアルベルクは嫌そうにベンチにドカッと座った。そして、自嘲の笑みを浮かべながら眼鏡を外すと、ベンチに置かれたタオルで荒々しく顔を拭い、また眼鏡をかけなおした。
「もう止めるのか? 今からミリシエ伯爵が来るから一緒に訓練するか?」
「遠慮します」
荷物をまとめようとする弟に向けて声をかけると、弟はベンチから立ち上がり勢いよくこちらに振り返った。
「……はぁ。一体どういう風の吹き回しですか?」
「どういうって。弟と交流を図りたい兄の気持ちが分からないかい?」
「まったくわかりませんね。いつも通り無視していただいて結構です」
アルベリクは大きなため息を吐くと、機嫌悪そうに顔を背けた。
――この世界にきてから、アルベリクとは初めて顔を合わせるな。
弟は元々、根っからの学者肌だ。大量の図鑑や文献を抱えて、忙しなくしている姿をよく目撃する。今は学園に通いながら研究を続けているが、卒業後はそのまま院に進み、薬学を専門に更に深く学びたいと言っていた。
アルベリクの知識やアドバイスは私にとっても頼りの一つであり、関係性が良くなった今は執務の部分でもよく手助けしてくれている。
だが、この世界の私とアルベリクの関係はそうではないらしい。私が来てからというものピリっとした空気を纏うアルベリクに思わず肩を竦める。
「随分と上達したな。毎日かなり練習しているのだな」
「は? 嫌味ですか?」
「嫌味? まさか。本当に上手になったと感心しているんだよ」
子供の頃のアルベリクは、大人しい性格で本を好んでいた。そして、私に構ってもらいたいのか一緒に勉強や剣の稽古をしたがっていた。
だが、幼い頃から兄弟とは別に育てられた自分にとって、家族の情など存在せず、アルベリクが何故私にこだわるのかがいまいちよく分からなかった。
そんな私の様子をアルベリクも感じたのだろう。そのうち、弟は私と仲良くしようとすることを諦めたようだった。
元々剣術が好きな私と違い、アルベルクは座学が好きなようだったが、私とのわだかまりが解けるまでは、剣術の稽古を毎日かかさなかったそうだ。
そこが不思議で、以前聞いてみたことがある。
その時アルベルクは、こう答えた。
『兄上が私に一切興味のないことが悔しくて仕方なかったんです。昔から、私にとって兄上は、何でも完璧な自慢で憧れの存在でしたから。あなたに近づくことができれば、興味を持ってくれるかと思い、嫌いで苦手意識の強い剣術を毎日練習していました。今となっては無駄な時間だったと思いますが』
元の世界のアルベルクは、そう気まずそうにそんなことを私に語ってくれた。
アルベルクの本心に、慕ってくれたことへの感謝と同時に申し訳なさを感じた。
『ここ数年は兄上の執務の手伝いをしているうちに、あなたがどれほど人の気持ちがわからない人かが理解できましたが。でも……あなたが私の力を借りたいと言ってくれたことや、あなたにも欠点があることを知れたことで随分肩の力が抜けました。そのこともあってか、あんなにもこだわっていた剣術は、きっぱりと止めてしまったのです』
あの時のすっきりとした表情をしていたアルベルクを思い出すと、この世界のアルベルクはどこか窮屈そうな顔をしている。
元の世界では1年前にやめた剣の稽古だが、この世界のアルベルクは毎日真面目に稽古しているのだろう。
「では、お先に失礼します」
立ち去ろうとするアルベルクの肩を掴むと、がっしりとした筋肉を感じる。私の手を振り払おうとする手を掴むと、豆だらけで固くなった手に気がつく。
「剣を持つ手だ。……お前は本当に努力家だな」
「何をするのですか」
驚きに肩を震わせたアルベルクは、こちらをキッと睨む。
元いた世界で数年前まで同じようにツンケンしていたアルベリクを見ているようで、自然と笑みが零れてしまう。
そんな私を見ていたアルベリクが、驚愕に目を見開いた。
「……本当にあなたは兄上ですか?」
「他に誰だというんだ?」
「い、いえ……変な質問をしました。失礼します」
私の視線を気まずそうに避けるアルベリクに、フッと息が漏れる。
本当にこの弟は私をよく見ている様だ。
今度はアルベリクが立ち去るのを黙って見送ると、アルベリクは何かを探るようにこちらを振り返った。そして、僅かに首を傾げながら演習場を後にするため、踵を返した。
だが、その時タイミングよくミリシエ伯爵が「いやー、遅くなって申し訳ない」とよく響く声で笑いながら演習場に入ってきてしまった。
「おや? 今日はアルベリク殿下も一緒ですか。珍しいですね。ですが、兄弟仲が良いのは良いことだ。さっ、稽古を始めましょう」
「いや……私は……」
ミリシエ伯爵の有無を言わさぬ勢いに、アルベルクが若干押されていると、ミリシエ伯爵は私とアルベリクの重い空気を一気に取っ払うように、アルベリクの肩に腕を回した。
「あぁ、ウォームアップをすませているようだ。感心感心!」
「いや、だから……私はちがっ」
アルベリクは剣の稽古は毎日欠かさないが、ミリシエ伯爵のことは苦手としているらしい。たじたじになりながら押され負けているアルベリクに助けを求められるように、視線を向けられた。
「ミリシエ伯爵、アルベリクは」
「王太子殿下、時間は有限ですぞ。あなたはまだ準備をしていないのですか」
既に師匠モードになっていたミリシエ伯爵の怒気を帯びた顔つきに、慌てて剣を準備する。
――この鬼団長と有名なミリシエ伯爵は、剣のことになると普段の大らかさが一変する。叱責される前に、黙っていうことを聞いておく方が得策だ。
アルベルクにすまん、とジェスチャーするとアルベリクからジトっとした視線を向けられた。
だが、アルベリクも観念したのか大きなため息を吐くと、手に持っていた荷物をまたベンチへと戻し、剣の準備をした。