2‐32 ルイ視点
「ルイ! ルイ! おい!」
「あ、あぁ。……テオドール」
突然目の前に現れたテオドールに、私は動揺に口がうまく回らない。
――今さっきまで、私の目の前にはラシェルがいた。そう、目の前に。
だが、今は違う。戸惑いながら周囲を見渡してみれば、ここは元々いたトルソワ魔法学園のアリーナのようだった。
「どうだった。ラシェル嬢には会えたのか」
「あぁ……会えた。会えたよ」
胸の前で握りしめた拳は、先程まで固いガラスのような壁を押さえていた。だが、今はその手は何もない空を切るだけだ。
久しぶりに会えたラシェルに指一本触れることもできず、涙を拭うことさえ叶わなかった。
それでも、私は確かにラシェルに会い、ラシェルに約束したんだ。――絶対にラシェルの元へと辿り着くと。
眉間に皺をよせ苦痛に顔を歪める私に、テオドールは気遣うようにそっと肩に手を置いた。
「きっかり5分だった。俺の前からルイが消えた時間だ」
「……どういうことだ」
「闇の精霊王が現れてお前にラシェル嬢と会わせてやると告げただろう。その後すぐ、俺たちの前からルイは消えた」
「では、テオドールたちにはラシェルの姿は見えていなかったのか?」
「あぁ。俺の目にはルイが闇の精霊王と共に消え、5分後に再度同じ場所に現れたこと以外には何も。シリルやキャロル嬢もそうだろう?」
テオドールの言葉に振り返ると、緊迫した表情で固唾を飲むシリルとキャロル嬢が戸惑いがちに頷いた。
「……そうか、では私だけがあの不思議な異空間へと飛んだということだな」
そう、闇の精霊王。彼の出現は突然のことだった。
私たちはここ、トルソワ魔法学園アリーナでテオドールとキャロル嬢が協力をしてくれ、精霊召喚の儀を行っていた。もちろん目的は光の精霊王を召喚するためだ。
最初から闇の精霊王に辿り着く手などない私たちは、光の精霊王ならば応じてくれる可能性が僅かでもないだろうかと考えたからだ。
闇の精霊が存在しないとされるこの世界のデュトワ国において、闇の精霊王に繋がる道を早急に探るのは難しい。だが、闇の精霊王と対になる光の精霊王ならば、何か手掛かりを掴むことができるのではないかと思った。
もちろん光の聖女であるアンナ・キャロル嬢が協力してくれることが条件だったが。
「殿下……大丈夫ですか?」
考え込む私に、おずおずとキャロル嬢が私に声をかけた。
彼女はこの世界のラシェルと友好関係にはない。そのため、協力してもらうのは相当難しいと考えていた。それでも何度もシリルと共に大教会を訪れ、私の置かれた状況やもうひとつの世界について説明するにつれ、思うことがあったらしい。納得した上で協力してくれることになった。
「キャロル嬢も協力してくれてありがとう」
「いえ、私は全然。それに、協力したといっても、私の力が及ばず光の精霊王を呼び出すことは叶いませんでしたが」
申し訳なさそうに俯くキャロル嬢にテオドールは、すぐに「いや」と否定をした。
「そんなことはないよ。キャロル嬢が協力してくれたことで闇の精霊王召喚にプラスに働いた可能性があるよ」
「それなら良いのですが」
「光の精霊王に関しては元々召喚は駄目元なとこもあるし、この辺はまた俺やルイで考察してみるよ。何より粘り強く祈り続けてくれてありがとな」
「あぁ。テオドールとキャロル嬢がいなければ諦めていたかもしれない。本当に感謝している」
普通は魔術師が複数人で描く魔法陣をひとりで描き、難しい呪文を唱え続けたテオドールや、魔法陣の中で光の精霊王に祈りを続けたキャロル嬢。この2人がいなければ、今回の精霊召喚の儀は難しかった。
それでも、そんな二人が手を尽くしても、光の精霊王は現れなかった。頭の隅に<諦める>という言葉が浮かび上がった瞬間、暴風と轟音と共に現れたのは、予想もしていなかった闇の精霊王その人だったのだ。
「闇の精霊王とはその後何か話したのか?」
「いや……闇の精霊王が現れたあと……」
私はテオドールたちに説明するべく、闇の精霊王が現れたあと自分に起こったことを想い返した。
♢
闇の精霊王は魔法陣を中心に竜巻の風に乗るように、空に浮かんで現れた。
『存分に足掻いている王子様に、特別にラシェル・マルセルに会わせてやろう。ただし、時間はその砂時計の最後の一粒が落ちるまで』
彼は圧倒されて言葉を失う私たちを他所に、手に持つ砂時計を私へと投げた。キラキラと光る砂が煌めく様に思わず目を奪われていると、それが合図かのように私の周囲を光の壁が覆う。
まるで逃げ場のない箱に閉じ込められたように戸惑う私に精霊王からの説明がないまま、私の周りには一切の光が消え。真っ暗な闇に放り込まれたようだった。
『次に会う時は俺の元に辿り着けるかな? それとも時空の扉が閉じてゲームオーバーになるかな? さぁ、一瞬の逢瀬を楽しんでくれ』
暗闇の中で、精霊王のものと思われる声が響くと同時に、眩しい光が砂時計から溢れ出た。目を凝らしながら周囲を見渡すと、徐々にぼんやりと浮かんできた目の前の光景に驚愕に目を見開く。
――ドクン、ドクン
痛いぐらい音を立てる鼓動が体中に駆け巡り、目頭がカッと熱くなった。
ぼんやりと現れたシルエットに思わず手を伸ばす。
「……ラシェル」
なぜなら、目の前に会いたくて会いたくて、常に焦がれて何度も頭に思い浮かべていた相手が目の前に立っていたのだから。