2‐28
「……ルイ様」
「ラシェル」
「……ルイ様? ……ほんとうに……ルイ様」
「ラシェル。あぁ、無事だったのか……本当に、本当に良かった」
「でも……ルイ様はまだ意識が戻っていないはずで……」
うまく状況を飲み込むことができない。混乱する頭で、なぜ、どうしてばかりが浮かび上がる。それでも、久々にルイ様が目を開けて私の名を呼んでくれることに、歓喜に胸が震えた。
震える手でルイ様へと手を伸ばす。だが、伸ばした手がルイ様へと届くことはなかった。
「あぁ、やはり。ラシェルのところに行くことはできないのか。……すまない、この先に私は進むことができない」
「どういうことですか? なぜルイ様がここに。どうしてその光の中にいるのですか」
私の目の前には、先程の青い光が大きな四角い箱に変化していた。ガラス張りのような部屋には、ルイ様1人分ほどの広さしかなく、手を伸ばしてもルイ様自身に触れることは叶わない。
手を伸ばすも、ひんやりとしたガラスのような見えない壁に阻まれる。
この氷のような冷たい感覚を私は知っている。
まるで、初めて私だけが精霊の地に入った時と同じような感覚。精霊の地とそれ以外を隔てる見えない壁。それが今の私とルイ様を隔てているように感じる。
「時間があまりないから驚かないで聞いて欲しい。私は今、ラシェルがいる世界とは違う別の世界線にいるようなんだ」
「違う世界線? まさか……そんな……だってルイ様は先程も昏睡状態で。今もベッドで寝ていたはずなのに」
ルイ様から放たれた言葉に、私は驚愕に目を見開いた。
「あぁ。こっちのテオドールと出した結論では、闇の精霊王は私とこの世界の私、体はそのままに意識だけを取り換えたのではないか、ということだ」
「そんなことが……」
本当に可能だろうか。その言葉を発しようとして飲み込む。
きっと、闇の精霊王であれば可能なのだ。なぜなら、私を蘇らせたこと自体が闇の精霊王にとっては負担なく簡単なことだと言っていたのだから。
――つまり、ルイ様は闇の精霊王がいう【メイン軸】とは違う、この無数のあったかもしれない世界のひとつのどれかにいる、ということなのだろう。
「闇の精霊王様は、ルイ様を助ける条件としてゲームをしよう、と仰っていました。私には具体的なゲーム内容は伝えられておらず……」
「なるほど……崖から落ちた私は、命の危険があったのだね。……ラシェル、沢山心配をかけた。今もそうだろう。心配ばかりかけてすまない」
「い、いえ、そんな!」
眉間に皺を寄せて申し訳なさそうに唇を噛むルイ様に私は首を左右に振った。助かるか不安な中で、ルイ様の命の危機に唯一差し出してくれた手を、私は無我夢中で掴んだ。それがどういうことかも知らず。
「まさかルイ様がそのような状況にあることも知らず、何もできず申し訳ありません」
「そんなことはないよ。君が助けを求めてくれなければ、私はラシェルと二度と話すことさえ叶わなかったかもしれない。……そう考えれば、今の状況でさえ慈悲があったのだろう。それが精霊王のゲームであろうと」
ルイ様は、自身の手をジッと見つめると何かを決意したかのようにギュッと拳を握り、顔を上げた。
「ありがとう、ラシェル。状況は何となく掴めてきたよ。……つまり、君は精霊王の元にいる、ということだね」
「えぇ。クロも一緒です」
「そして、もうひとりの私は意識が戻らないのだな。……それなら、尚更早くラシェルの元へ戻らないとまずいな。……もうひとりの私が目を覚ます前に」
「え? 申し訳ありません。よく聞こえなくて」
何やら考え事をするように顎に手を当て、小さく呟いたルイ様の声は、私の元に届かなかった。聞き返すと、ルイ様は首を横に振り気まずそうに微笑んだ。
「いや、良いんだ。とりあえず、今の状況を説明するよ。あぁ、あとテオドールから聞いた私の置かれた状況についての仮説も話しておいた方が良いだろうね」
戸惑う私に、ルイ様はポツポツと自分の状況を説明してくれた。
オルタ国で崖から転落後、目を覚ますとデュトワ国の執務室にいたこと。既にオルタ国の式典は終わっており、帰国後であったことから、2つの世界の時間の流れは同じではないかということ。
そしてテオドール様に自分の現状を伝え、協力を求め、今はテオドール様、シリル、アンナさんと共に元の世界に戻る為に試行錯誤をしているそうだ。
ここに来られたのは、突如闇の精霊王がルイ様の目の前に現れ『ヒントをやる』とだけ告げられ、ルイ様の足元にある大きな砂時計が下がるまでがタイムリミットだと言われたそうだ。
「砂時計……そんな、もう半分も過ぎてしまっている」
「あぁ、だからできる限り冷静に状況を把握しようと思ったのだけど、やっぱり難しいな。いざラシェルを前にすると、嬉しさと愛おしさが勝ってしまう」
「この砂が全て落ち切ってしまったら……」
「あぁ、この光の空間は全て閉じてしまうようだ。私は元いた場所に戻るのだろう」
そこまでを話すと、ルイ様は辛そうに眉を顰め、唇を噛み締めた。
「そんな。元いた場所、ですか。それは一体……」
そこまでを口にして、ハッと顔を上げる。
――もしかして……。
唐突に闇の精霊王ネル様が言っていた『かつてのメイン軸』という言葉が浮かんだ。
私が元いた世界。それが『かつてのメイン軸』であるのなら、それは一体どうなったのだろうか。そんな疑問が頭をかすめた。
「もしかして、ルイ様のいる世界……とは……」
胸が嫌な音を立てる。どうか外れて欲しいと強く強く祈る私の願いも空しく、ルイ様は苦しそうにひとつ頷いた。
そして直後に、ルイ様が告げた言葉に、私の考えが正しかったことを知る。
なぜなら、ルイ様が重い口を開き告げた言葉
――それは、私とルイ様の婚約破棄と、私が殺害されたという、過去の事実だったのだから。