2‐27
ここに来てからというもの、精霊王であるネル様があまりにも気安く関わってくれるからこそ、私は勘違いしていたのかもしれない。
確かに風貌は人に似て、言動は少し幼さの残る人懐っこい雰囲気だからこそ、大切なことを忘れていた。――精霊。いえ、精霊王とは世界を変え、人を蘇らせることさせできる異次元の存在だということを。
その存在は時に慈悲深く、時に無慈悲な神の存在。
ひとり部屋の中でぼんやりと考え込んでいると
――ガチャッ、とドアが開く音に顔を上げた。だが、周囲はすでに真っ暗な夜の闇に包まれていた。
その時ようやく、私は部屋のベッドに座ったままモヤモヤと考え込んでいる内に、いつの間にか夜になっていたことに気がついた。
『失礼する。何だこの部屋は、暗いな』
「あなたは……黒馬さん」
その声は黒馬の精霊のものだった。黒馬の驚きを僅かに含ませた声と共に、周囲の魔石ランプがぽわっとオレンジ色に灯された。
『あぁ。部屋から出て来ないから、王から様子をみるように言われただけだ』
「……申し訳ありません。少し考え事をしていて」
『いや、私はどちらでも構わない。興味があるわけでもない』
黒馬の精霊は、私の目の前まで来ると、ジッとこちらを見つめた。
『なるほど。珍しく王が少し考えごとをしていると思ったら、其方と何かあったのか』
「いえ……私が勝手に一人で考え込んでいるだけです」
『それはどうかな。……何せ、王は精霊の王としては、まだまだ若い』
「そうなのですか?」
『あぁ、誕生してからまだ二百年ほどだ」
「に、二百? それは、えっと……精霊として若い……のですね」
『あぁ。私からみてもまだまだ幼さを感じる。だからだろう、人への興味が抑えきれない。其方は王にとって初めてできたお気に入りのおもちゃなのだ』
「おもちゃ……ですか」
『闇の王は好奇心旺盛で退屈を嫌う。幼き日から、王は王として生まれた。普通の精霊とも違う。ましてや、王にとっては人の命も虫の命も皆同等。命が尽きることは何の意味も持たない。自分とは一切関係のないことなのだ』
その言葉にズキンと胸を軋ませた。分かっていたことではあるが、それでも直接的な言葉で告げられると、先程考えていた様に精霊と人間との大きな隔たりを感じる。
『だが、王はよっぽど其方を気に入っているようだ。其方……いや、其方を含めた人間そのものを知りたいと思い始めたようだ』
「人間を……ですか? でもネル様は元々人間に興味があったと」
『あぁ、人の行動は矛盾だらけで合理性に欠ける。感情に振り回されて失敗だらけだ。だからこそ、逆境の中でどんな行動を取るのか見ることが楽しかったのだろう。だが、今はその先を見始めたようだ』
「その先ですか。それは一体どういうことでしょう。何かきっかけが?」
『それは王本人に聞いてみると良い。私は王に言われてここに来たに過ぎない』
その言葉に、最後にみたネル様の姿を思い出す。子供のように拗ねた彼の様子に、次に会った時にどう対応すればいいのかと頭を悩ませる。
『どうやら王は其方を気分転換させるためにと考えたことが裏目に出たことにがっかりしたようだ。そして、其方の気概を殊の外気に入った。だから、特別にプレゼントを用意したと言っていた』
「プレゼントですか?」
その時、私の右手から温かさを感じ、手を顔の前へと掲げた。そこには、中指に付けた覚えのない指輪。そして、台座には紫色の魔石がはめられている。
その魔石から扉のほうへと、光が一直線に伸びている。
「これは魔石? この光は……どういうことですか?」
右手を左右に動かしても、指輪から伸びる光は方向を変えながら扉を指し示し続ける。
『この石を持って、光の指し示すままに進めばいい。そうすれば、きっとその先に贈り物はあるだろう』
そう言うと、黒馬は戸惑う私の背を頭で押した。その勢いでもつれる足を前へと動かして、部屋のドアから廊下へと出る。
夜の屋敷は物音ひとつせず静寂に包まれている。それでも廊下の至る所に灯されたランプと、時々感じる精霊たちの気配が私の心を安らげてくれた。
だが、徐々に光の差す先を進むにつれて、違和感を覚えた。
――どういうこと? ここは今日ネル様に連れてきてもらったルートと同じ? ということは、この光を辿ると……。
光の示すまま長い長い階段を下りていく。目の前に出現したのは、間違いなく今日の昼間にネル様に連れられた場所に他ならない。
「ここはネル様でないと入れない場所だったはず。でも、光はここを指しているのよね。……いいのかしら」
恐る恐る扉に手をかざすと、扉はいとも簡単に開いた。
足を踏み入れた先は先程と何ら変わりなく、満天の星空のような美しい光景が広がっていた。
昼に感じた気持ちと同じく、ここにくると何故だか自然と張り詰めた心が安らぐ。まるで歓迎されているかのような不思議な感覚さえある。
――黒馬の精霊は、光の指し示す先にプレゼントがあると言っていたけど。
一体、贈り物とは何を指しているのだろうか。疑問だらけの私とは裏腹に、指輪の光はこの部屋に入った瞬間から、ピカピカと点滅を始めた。
「こっちに進めばいいの?」
点滅しながら進む道を照らす指輪に問いかけ、歩みを進めると、ひとつの光が私のほうへと近づいてきた。
その光は指輪と共鳴するように、青い光を強弱させながら私の周囲を飛び回った。
「この光はもしかして、昼間にみた光かしら」
私の言葉に、青い光はそうだと言わんばかりに私の周囲をくるくると回り始めた。
「理を外れた世界……か。あなたの世界もいずれ消えてなくなってしまうのかしら。そう思うと寂しいわよね」
ネル様の言葉を思い出しながら、青い光へと手を伸ばすと、その光は〈大丈夫〉と私を慰めるように寄ってきた。
頬に触れた光から、じんわりと柔らかさと温もりを感じ、なぜだか無性に泣きたくなるような切なさが伝わってくる。
――なぜなのかしら。ネル様はこの光に意思はないと仰っていたけど、私にはこの光が意思を持っているようにみえる。それどころか、なぜか遠い昔から知っているみたいな懐かしさを感じる。まるで、母に抱き締められたような安らぎ。
「あなたは一体……」
その時、指輪の光が紫色から青へと変化し、目の前の青い光と一体化し、陣風と共に巨大な光の渦が巻き起こる。
「な、なに?」
眩しさと強烈な風に、思わず目を瞑る。だが、その時吹きすさぶ風の轟音の中で微かに私の名を呼ぶ声が聞こえてきた。
「……ル……シェル……ラシェル」
――私の名を呼ぶ声……。この声……私は知っている。
そんな……まさか!
そんなはずはない。だって、彼は今も目覚めることなく固く瞼を閉じたまま。それでも、私があの人の声を聴き間違えるはずがない。
震える手をギュッと握りしめながら、ゆっくりと目を開ける。
すると、そこにはいつも凛々しく頼もしいあの方が、眉を下げ今にも泣きそうな顔をしながら必死に私の名を呼んでいた。





