2‐25
「過去の世界?」
『あぁ、あったかもしれない未来。うーん、そうだな。言うなれば理を外れた世界ってやつ』
「理を外れた世界……それは私を生き返り過去に戻ったことと関係があるのですよね」
『まぁな。お前が知っての通り、お前たちの日々の選択、行動次第で、容易に世界は変わっていく。だとして、選ばなかった世界はどうなるのか。そう考えたことはないか? 例えば、毎朝決まった時間に起きる人がたまたま寝坊した。いつも通る道をその日だけ違う道を通った。そのことが人生のターニングポイントになる可能性もある』
選ばなかった世界、か。考えたことがなかった。だが、精霊王の力で時を遡るという特殊な状況を除けば、日々私たちの思い付きや行動でいくらでも、その後は変化するだろう。
些細な意識、選択次第で周りの環境や自分自身は、いつだって変わることができる。たとえば、私のように。
「あったかもしれない未来とは……私が元いた世界、ということでしょうか」
『あぁ、それも一つだな。お前のいた世界はかつてのメイン軸。俺はお前が知っての通り、過去の力を司る。好きなように時の流れを止め、過去に戻すこともできる。俺が関与するメイン軸を変えることだってできる。それでも一度生まれた世界は存在したままだ』
メイン軸? 聞きなれない言葉に内心首を傾げる。だが、それよりもまず、この無数の光全ては……。
「つまり、この光全てが私たちの選択によって変わっていった……あったかもしれない未来、ということでしょうか」
『そういうことだな。俺が干渉するのはあくまでメイン軸。他はこの空間の数ある光のひとつに過ぎない」
「では、選ばなかった世界に住む人たちはどうなるのですか? 他の世界にも私が存在すると?」
『もちろん。だが、さっき言ったようにメイン……つまりはこの光以外が崩壊しようと基本的にどうでもいい。このひとつの均衡を守りさえすれば、あとは勝手に派生するものに過ぎないからな。あぁ、でも何個か大きい光が浮かんでいるだろう? あの辺は結構気に入っているやつなんだ!』
ネル様の説明は、私がすぐに理解するにはあまりにもあっさりし過ぎている。だが、頭を必死に働かせ整理しようと努めた。
「並行世界……それが本当に存在する、ということでしょうか」
『あぁ、無数にな』
にわかには信じられない話ではあるが、ネル様はさも当たり前のように大きく頷いた。
だが、そもそも今私は精霊の地にいる。ましてや精霊王の誕生する場所に立っていることも夢のような現実だ。
だからこそ、全てを納得し消化できなくともネル様が嘘をついているようには思えない。
――きっと、これも真実。そしてネル様自身は私が信じずともどうでもいいのだと思う。そこが重要なわけではないのだろうから。
『メインを外れた世界は、長い年月をかけてメインに吸収されて消失するものもあれば、まったく違う道に反れていくものもある。気に入っている世界はああやって置いておくんだ。時々こいつみたいに面白い光を放つからな』
ネル様は、先程から変わらずに私とネル様の間を浮いている青い光をからかうように笑いながら優しく掴んだ。だが、その光は何かを主張するように青みを更に濃くする。
『あとは、そうだな。世界が崩れないように、定期的に掃除をするだけだ』
「掃除……ですか?」
『あっ、実際に見せてやるよ! ほら、あの遠くの光の束を見ておけよ!』
ネル様は良いことを思い付いたと言わんばかりに、期待に満ちた瞳をこちらに向けながら私をビシッと指差した。
そして、パチンと指を鳴らして杖を出現させ、それを振り上げて遠くの一か所を指し示した。ネル様の視線先を追うように顔を上げると、そこには無数の小さな光がきらきらと瞬いていた。
だが、ニヤリと笑みを浮かべたネル様が杖を一振りすると、無数の輝きは一瞬のうちに輝きを失い、そして跡形もなく消え失せた。
――えっ? 消えた……。何……何が起きたの……?
目の前の光景に、私はただただ唖然とし瞠目したまま声を失った。
闇に煌めく無数の光の中、一か所だけ、不自然なほど暗闇が広がっている。
何が起きているのか理解ができず、立っている足元からじわりじわりと冷たさを感じ、震えが止まらない。
だがそんな私の様子に気づかないネル様は、『どうだ!』と期待に満ちた目でこちらを振り返った。
それでも、私は一瞬で消え失せた光が脳裏に焼き付き、返事を返すことなく目を伏せた。
『何だ? どうした?』
「……今消えたのはこの光と同じ。……あの光には世界があって、そこに生きていた人たちもいたのですよね」
震える声で呟いた私の声は、怪訝そうに眉を顰めたネル様にも届いていたようだ。
『ん? それがどうした?』
どうした。どうした……か。
それはそうだろう。ネル様にとっては、無数にある世界を整理したに過ぎない。
――それでも、それが一瞬で消え去ってしまったら……一体どうなるのだろうか。
「あの光の世界の人たちは、その世界はどこへ行くのですか?」
『どこって、消滅以外ないけど? それに同じような世界は無限にある。お前が何を気にしているのかしらないけど、あれはメイン軸を遠く外れた世界だ。そもそも残す必要もないゴミを捨てたにすぎない』
「ゴミ……ですか?」
ネル様にとって、並行世界のひとつに過ぎない無数の世界は、ただのゴミの集まりなのか。そこに沢山の命が懸命に生きようと関係ない。
呟くように聞き返す私に、ネル様は眉を寄せた。
『お前たちはゴミが溜まったら捨てるだろう。俺が定期的に時空の整理をすることは、ゴミ箱からゴミが溢れないように片づけているようなものだ』