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「これは?
何やら椅子に車輪が付いてますけど」
「車椅子というものだ。
これであれば、屋敷内の庭を散歩出来るかと思って」
王太子殿下が訪問と一緒に何やら不思議な椅子を持ってきたと目を丸くしてしまう。
どうやら、馬車の小型版ということなのかしら。
思わずじっくり、この《車椅子》とやらを見る。
椅子に大きな車輪と小さな車輪が付いている。椅子の後ろには持ち手があることから、これを押して貰うと動くのか。
確かによく考えられている。
「市井では荷車を使ったりするそうだ。この車椅子も隣国では割と使用されているらしいと聞いて」
「確かに、これであれば疲れずに庭園を眺められそうですね」
「あぁ、話に聞いたものを職人と相談しながら作ってもらったんだ。……座ってくれるだろうか?
もちろん耐久性は大丈夫だ。私が座って動きも確認した」
殿下はいつもの自信満々の姿ではなく、眉を下げてどこか不安気な様子だ。
確かにこの急な贈り物には驚きはしたが、私の為にと考えてくれたのだろう。
「殿下が座ったのですか?」
「あぁ、ラシェルが座って怪我でもしたら困るから」
「殿下が、これに」
一国の王太子がああでも無い、こうでも無いなんて話し合いながら作ってくれたのだろうか。
想像するだけで口元から思わず笑いが込み上げてきてしまう。
「ふふ、ありがとうございます。
今日は調子がいいので、早速庭に出てみませんか?」
「あぁ!外までは私が抱いていこう。
シリル、車椅子を広間まで運んでくれ」
「わかりました」
車椅子の脇に控えていたシリルが、サッと車椅子を持ち上げると先に部屋を出て行く。
そして、殿下は椅子に腰掛けていた私を優しく横抱きにし、ゆっくりと部屋を出る。
殿下は前にも横抱きにして運んでくれたが、この体勢は本当に恥ずかしい。
少し見上げると、すぐに涼しい顔をした殿下の整った顔があるのだから。
それにしても、車椅子か。
食事によって少しは力が出るようになったので、家の中は極力歩くようにしている。何度か休みながらではあるが。だが、移動だけで体力を消耗することもよくある。
椅子を私の元へ運んでくれるサラにも、申し訳なく感じていた。でも、これがあれば手を煩わすことが減るのではないか。
広間まで着くと、殿下は私を丁寧に車椅子に座らせる。
「すぐに戻ってくるから、君たちはここで待っていてくれ」
車椅子を押すのは殿下のようで、私の背中の方へとまわった。
「座り心地はどうだ」
「えぇ、大丈夫です。これであれば長く座っていても痛くなさそうです」
「それなら良かった。では進むぞ」
「わぁ!本当に椅子が動きました!」
「あぁ、出来る限りゆっくりと進むが早かったら教えてくれ」
「お嬢様、帽子を。外は日差しが出ておりますから」
「あら、すっかり忘れていたわ!ありがとうサラ」
進み出した私たちの元にサラが足早に近づいて、私に帽子を差し出す。
ツバの広いものだ。
暫く外出などしていなかったから、外で帽子や日傘を差すことさえ忘れてしまっていた。
そして、「進むぞ」と殿下は私に一言かけてからゆっくりと動き始める。
動く椅子は想像よりも座り心地は悪くない。
それ以上に低い目線で動くことが変な感じがする。
大きな玄関扉を通り、まず感じたのは久しぶりに感じる外の空気。
目を閉じて大きく深呼吸をする。
あぁ、空が青い。
鳥の声が聞こえる。
なんて、なんて美しいのかしら。
殿下が押す車椅子はゆっくりと庭園の中へと進んでいく。
ダリアにバラ、秋の優しい風に連れられた花の香りに包み込まれるかのよう。
「こんなにも外の世界は輝いているのですね。
空の青さ、花の甘い香り、噴水の水しぶきの煌めき。
当たり前のこと過ぎて忘れていました」
「私も君と一緒でなければ、花に足を止めて空を見上げ、美しいと考えることもなかったよ」
車椅子を咲き乱れる花と庭園中央の噴水の近くに止め、殿下は私の隣に立つと私と目線を合わせるように膝を立ててしゃがんだ。
「殿下、こんな素敵な贈り物をありがとうございます」
感動の余りうっすらと涙が込み上げそうになる。
庭園を見渡す私は、多分本当に幸せそうな顔をしているのではないか。
きっと、この瞬間を私は忘れない。
戻ってこれた。この美しさに気づくことが出来たこの気持ちを。
殿下は「まいったな」と小さく呟くと、
「あまりにも眩しいな。
ありがとう、ラシェル」
「何故?お礼は私が伝えるべきことで……」
「いや、これでいいんだ。
こんなに世界を美しく思うのも愛おしい時間も初めてなんだ。
気持ちを全く言葉に表せないが、全て君がくれたものだ」
殿下が何を考え言ったのかは分からない。
だが、何かを理解したような清々しい表情と決意の顔に私は何も言えなくなった。
殿下はすぐに「さぁ、体が冷える前に戻ろう」と殿下の着ていた上着を私の肩へとかけ玄関へと戻った。
帰りがけに
「暫くは来られないと思うが、家庭教師は手配しておいた。
何かあれば手紙をくれ」
とだけ私に伝え、颯爽と帰っていた。





