2‐18 ルイ視点
「話はわかりました。……いえ、わかったとはいえませんね。殿下の言葉は理解しましたが、状況を正しく把握できてはいません。ただ、殿下が私の知る殿下とは少し違うことだけはわかります」
「それで十分だ。私もシリルと同じように混乱しているからな」
互いの違和感を埋めるように、私はシリルと何時間も話し合いを続けた。だが、話をすればするほど、自分が今いるこの場所への違和感が浮き彫りになるだけだった。
それでも諦めずに話を続けることができたのは、目の前にいるシリルが自分のよく知るシリルと同じであったからに他ならない。
私の変化に鋭く、理解しようと努めてくれる相手がいることは、現状のなかで唯一の救いだった。
「つまりは、殿下の知る現実ではラシェル・マルセルは殿下の婚約者として、現在でも生きているのですね」
「もちろんだ。何度説明されようと、シリルの持ってきた書類を読み込もうとも……やはり信じられない」
私の今手に持つ書類には、先程シリルが話していた通りにラシェルがシャントルイユ修道院へ行くことになったこと。そして、その道中でラシェルは侍女のサラと御者と共に賊に襲われたことが書かれている。
そして……。
「……間違いなく、ラシェルは……」
「はい。報せを聞いてすぐにマルセル侯爵家に向かい私自身が確認しました。確かにラシェル嬢はお亡くなりになりました」
思わず拳に力が入り、手に持っていた書類がぐしゃりと形を変える。
「ラシェルを守ることもしないとは……私は一体何をしていたんだ!」
自分への怒りが込み上げる。
シリルの語った私とラシェルの関係は、あまりにも温度を感じさせず、冷えたものだった。
なぜラシェルがキャロル嬢を攻撃することになったのか。なぜいとも簡単に婚約を解消したのか。なぜ……なぜ……。
頭の中でどす黒いモヤが大きく自分を渦巻いていくのを感じる。
「……殿下は本当にラシェル嬢を大切に想っているのですね」
その声にハッと顔を上げると、シリルが目を瞠りながらこちらを見ていた。驚きと困惑を露わにした表情を向けながら。
「……あぁ。ラシェルを襲った賊を今すぐになぶり殺したいな。
……だが、同じぐらい。いやそれ以上に、どれほどラシェルを私が苦しめたのかと思うと、心底嫌悪感でいっぱいになるよ」
「殿下……ですが、あなたは私の知る殿下ではありません」
「あぁ。だが、私は私なのだろうな。
もちろん何がどうなって、この状況になったかは分からない。それでも、夢だと簡単に片付けられない状況だ。私にとって、目を逸らすべきではない問題なのだろう」
――自分であって自分でない。だが、確実に自分の知らない記憶のなかで、私はラシェルを苦しめる元凶であったのだから。
自分の知る現実と、シリルの語る現実は似通っているようで違う。互いの記憶をすり合わせるように時系列をシリルが書き並べるのを横目で確認しながら、目覚めてからもう何度目かもわからない深い溜息が漏れる。
だが、表にまとめたことでわかったことがある。
どうやらある時から、流れが変化している。
――シリルの語る3年前……。ラシェルは魔力を失っていなかった。
この違いがもしかしたら私たちの関係性を大きく変えた可能性が高い。だとしたら、そこに何か手掛かりがあるのではないだろうか。
私がこの場にいることに意味があるのなら、この世界のことを知るべきではないだろうか。
そう考えた私がまず真っ先に思い浮かべた場所。3年前から私が足しげく通う場所。まずはそこに向かい、自分の目でこの状況をしっかりとみようと考えた。
「侯爵、急な訪問になり申し訳ない」
「いえ。こちらこそ長く休みをいただいてしまい申し訳ありません。……あれからというもの、妻が体調を崩して臥せっておりまして」
「……そうか」
私がまず向かったのは、マルセル侯爵邸だ。
美しい庭園も、開放感あふれる吹き抜けの広間も、綺麗に整えられた応接室も何もかも変わっていない。
だが、唯一変わったものがある。
いつ訪問しても温もりと明るさのあったこの場所が、まるで月が隠れた闇夜のように静けさと暗闇に閉ざされた空間になっていることだった。
目の前の侯爵もつい先日、オルタ国に向かう前に『殿下、くれぐれもラシェルをお願いします』と朗らかに笑っていた侯爵とは別人になっていた。
目の下の大きな隈、やつれた頬を見れば、眠れぬ日々を過ごしていることは明らかだ。
「どこで間違えてしまったのだろうと、そればかり考えます」
「あぁ」
「1人娘ですから、大事に大事に育ててきました。昔から素直で好奇心旺盛で、目に入れても痛くない。私にとってはそんな子だったのです。ですが、そんなあの子を囲って世間知らずに育ててしまった私たちが一番悪いのでしょう」
侯爵は何度もラシェルへの後悔と無念さ、更に私に対しても謝罪の言葉を口にした。だが、こちらに向ける視線は僅かに憎しみと不快の色が隠されていなかった。
それもそうだろう。シリルの話によると、私はラシェルに心の通った対応をしていなかった。あげくに聖女との恋仲まで噂された結果、シャントルイユ修道院へと行くことになったのだから。
その話を聞かされた私自身、嫌悪感に吐き気が止まらなかった。だからこそ、侯爵の反応は当然のものだ。
会話は何度も途切れては、長い沈黙が続いた。結果として、早々に会話は打ち切られることになった。だが、それでもこの館から離れがたい。ラシェルの欠片がいたるところに散らばっているこの場に少しでも長く留まりたかった。
私がラシェルの自室を尋ねたいと頼むと、侯爵は眉を顰めて不信に思ったようだが、それを言葉にせずに吞み込み部屋に案内してくれた。
人払いを願い、1人ラシェルの部屋の窓際に立つと、今自分がどこにいるのか、何をしているのかがわからなくなる。
つい先日訪問した時と一切変わっていない家具の配置。窓から見える美しい庭園は、何度も一緒に散歩した場所だ。
不思議なほどに何も変わっていない。
ただひとつ、この部屋の主がいないだけ。それだけで、胸の奥がぽっかりと空いた虚無感が広がる。
ラシェルの両親は愛に溢れた優しい人たちだ。ラシェルとの思い出が至る所に溢れた場所に、肝心のラシェルがいないことにどれほど胸を痛めているだろう。どれほどの苦しみだろう。
ふと最後に交わした侯爵との会話を思い出す。
「こんなことを言っては不敬だとは承知です。殿下に話しても今や何の意味もないこともわかります。ですが……」
「気にせず言って欲しい」
「殿下の婚約者でさえなければ、あの子は今も生きて、笑っていて幸せになったかもしれない。……そう何度も考えてしまうのです」
――苦しいな。胸を抉られるような痛みが消えてなくならない。
「……私の婚約者でなければ、か。それはそうなのだろうな」
自嘲の笑みが漏れる。
だが、ラシェルが今の私の発言を聞いたらどうするだろうか。ムッとした表情で『ルイ様、何度もいうように、これは私が望んだことなのです』とでも言いそうだな。
ラシェルの可愛らしくむくれた顔を思い出して、ふっと頬が緩む。
だが、もちろん私の目の前には愛らしい微笑みを浮かべるラシェルも眉を寄せて大きな猫目をつり上げるラシェルもいない。
あるのはただ思い浮かべたラシェルの虚像と静寂だけ。
こんなにも思い出すものが沢山あるというのに、ラシェルだけがいない。想像以上に苦しいものだな。
戻れるだろうか。ラシェルのいる場所に。
そんな不安がないといったら嘘だ。頭を使わないと、体を動かさないと、すぐにでも恐怖に飲み込まれそうだ。
だが、私は諦める訳にはいかないし、諦めるなどという選択肢は最初からない。
それでもこの現実に狂わずに進むことができるのは、ラシェルの存在に他ならない。きっと待っていてくれる。それを信じて疑わずにいられるからこそ、歩みを止めることはできない。
誰がどんな目的でこのようことをしたのかはわからない。だが、恋と呼ぶにはあまりに純粋な綺麗さだけでなく、どす黒い執着を伴うこの想いを止める術もない。
――ラシェル、必ず探し出して強く抱き締めよう。決して離さぬように。
「……さて、そろそろ次の目的地に向かうか」
後ろ髪ひかれながらも、私はラシェルの部屋を出る足を止めることも、振り返ることもしなかった。
前回の展開への感想と続きを楽しみにしているとのお言葉、本当にありがとうございます!とてもとても励みになります。
もうしばらくルイ視点が続きますので、お付き合いいただけると嬉しいです。
コミカライズも開始していますので、小説の更新と合わせてぜひ今後ともよろしくお願いします。