2-12
今日から祝祭が始まる。リカルド殿下は忙しいなか時間を捻出してくれ、午前中の1時間だけ教えてくれることになった。
――本当にリカルド殿下には感謝しかないわ。それが親切だけではないにしろ、私にとって、今はリカルド殿下が教えてくれることが全てなのだから。
それに、昨日一日教えていただいたことで、少しコツを掴めてきた。だからこそ、僅かな時間でも教えて貰えることが有難い。
リカルド殿下、テオドール様と共に昨日と同じ部屋へと向かう道中、目の前から騎士を沢山付けて歩いてくる人物を見つけ立ち止まった。
「これはこれは、闇の聖女様。お会いできるのを楽しみにしておりました」
――彼がファウスト第一王子……。
やはり双子だからかリカルド殿下とよく似ている。違うのは、ファウスト殿下は顎上で髪が切り揃えられているのと、少し目元が吊り上がっていること。そして、どこか底意地の悪そうな笑みを浮かべるその表情だろう。
そんなファウスト殿下はリカルド殿下を見遣りながら、小ばかにするように鼻を鳴らした。
「リカルド、お前もいたのか。どうやら聖女様は、我が弟と随分親しくしていただいているようで」
「リカルド殿下には、初めての訪問の私にこの国のことを親切に教えていただいております」
「そうですか。弟が聖女様にご迷惑をおかけしていたら申し訳ないと思いまして」
「……兄上、そろそろ時間なのでは? 母上がお待ちなのでしょう?」
リカルド殿下はいつもと同じように微笑みを浮かべたまま、一歩横にずれて道を譲った。
それに対し、ファウスト殿下は苛立ったように「くっ、こざかしい」と呟きながら、目の前を通り過ぎる。だが、すぐに足を止めるとこちらへ顔だけを向けた。
「聖女様、何かあればいつでも私にどうぞ。この国のことを一番知っているのは私です。いつでもあなたの力になりましょう」
私が微笑みで返すと、ファウスト殿下は満足げに髪を掻き上げ、軽快な足取りで去って行った。リカルド殿下はそんなファウスト殿下へ冷たい視線を投げたあと、「さぁ、私たちも行きましょう」と後ろを振り返ることなく、足を進めた。
昨日と同じ部屋で、昨日と同じように魔道具に魔力を込めていると、目の前の椅子に腰かけていたリカルド殿下が机に手をつき、手のひらに顎をのせながらただ遠くを見つめ心ここに非ずというようにみえる。
「どうかされましたか?」
「あぁ、すみません。いえ……あぁ。先程は兄が申し訳ありません。……身内の恥をさらすようでお恥ずかしですが、あれが兄のファウストです。傲慢さが顔に出ているでしょう?」
「いえ……そんな」
3つ目の大きさの魔道具を赤から青に変えることに成功した私は、目の前の魔道具をテーブルの端に寄せて、リカルド殿下の言葉を待った。
「私は彼を、自分の双子の兄を蹴落とそうとしているのですから。私だって傲慢です」
「でも、殿下は国の未来を想ってのことですよね」
自嘲の笑みを浮かべたリカルド殿下は、小さく溜め息を吐いた。
「昔からあんな人ではなかったのです。まだ幼い頃……10歳頃までは兄弟3人、本当に仲が良かったのですよ。私は母には嫌われていましたが、それでもファウストが『俺が将来国王になって、この国もお前たちもみんな守ってやる』だなんていつも慰めてくれて。いつも競い合うように一緒に勉学に励みました」
「そうなのですね」
懐かしむように手元をみながら微笑むリカルド殿下の言葉に、少し驚きを感じた。先程のファウスト殿下とリカルド殿下の様子から、確執は幼い頃からだと思い込んでいたけど、仲のいい時代があったのか。それなら……。
――今の状況はお互いにとっても、それに弟のイサーク殿下にとってもどれほど辛いだろう。
「でも、いつの頃か……ファウストよりも勉学も魔術も剣も、どれもがいとも簡単に勝つことができるようになっていたです。ファウストは最初は差を埋めようと、頑張っていましたが、その差は開くばかりで。いつからか努力をやめてしまいました。私は嫌な子供で、その状態にファウストへの申し訳なさよりも自分の王族としての責任感よりも……まず、両親にざまあみろって気持ちを抱きました」
「なぜですか?」
「兄弟のなかで誰よりも疎んでいた私が、一番出来がいいんだって。母への当てつけですかね。貴女の愛しい息子は、貴女の嫌いな息子に負けたんだという優越感。だから、勉強もより力を入れて、母の悔しそうな顔をもっと見てやろうと思っていて。……そうやって自分の理解者であるファウストを自分の手で傷付け続けたんです」
私には、どちらの気持ちも分からない。それでも、想像することはできる。
周囲から期待をかけられ、自身も次期王太子となると努力していても、才能に恵まれなかったファウスト殿下。
反対に肉親から厭われて期待されていなかったにも関わらず、才能に恵まれたリカルド殿下。
どちらも互いを傷つけたいと思っていた訳ではないのに、そうしなければ自分を守ることができなかったのかもしれない。
「ふと気づけば、いつも隣にいたファウストとは修復不可能な関係になったのです。避けられて、憎まれて……当たり前ですよね。彼の自尊心をめちゃくちゃにしたのですから」
「だから、ファウスト殿下は王座に固執するのだと?」
「えぇ、彼は母からずっと次期国王となることを期待されていましたから。努力も自分で試行することも放棄した結果、そうなる未来以外考えていないでしょうね。……誰も幸せになんてならない。ファウストが王太子になれば、国が崩壊する。私が王太子になれば、ファウストという不穏分子を第一線から退かせなければならない。そうしたら、彼にも母にも憎まれ続けるでしょうね」
「どちらの道も幸せにならないのなら、より多くの人が幸せになる未来を選ぶ……ということでしょうか」
私の問いかけに、リカルド殿下は眉を下げて微笑んだ。返答は返ってこなかったけど、その沈黙と表情が、肯定を意味するのだと容易に理解することができる。
「私がいなければ、母は貴族たちから非難されなかった。ファウストは劣等感に悩まされなかった。まるで自分が疫病神みたいです」
――疫病神だなんて……。
なんと返答すればいいのだろうか。リカルド殿下の気持ちを考えると胸が痛くなり、うまく言葉がでてこない。
だが、その時。
「それは違いますよ」
静まり返った室内に、凛とした声が響いた。その声に振り向くと、そこにはコツコツと靴を鳴らしながらこちらに近づく、ルイ様の姿があった。
ルイ様は隣に並ぶと、私に柔らかい微笑みを向けてくれた。そして力のこもった眼で、真っ直ぐリカルド殿下を見据えた。
リカルド殿下もルイ様の突然の登場に驚いたのか、珍しく微笑みを忘れてポカンとした表情をしている。だが、そんなリカルド殿下の様子を気にすることなく、ルイ様は口を開く。
「あなたがなにもしなければ、あなたが危惧している通りにこの国は緩やかに衰退していくでしょう。危機感を感じる人もなく、じわじわと。もしくは、危機感を感じていても歯がゆい思いで唇を噛むしかないまま」
発展を続けて平和な時代が長ければ長い程、それが続かない未来がくるなんて考えもしないだろう。でも、気づいた時には、あっという間に地盤が崩れて全てが崩壊して手遅れになってしまう。
……それに気がつけるか。それをどうにかしようと正しい方向に働きかけることができるかで50年後、更に100年後、と国の姿は変わってくる。
――だからこそ、リカルド殿下はどうにか協力者を増やそうと私たちに近づいた。
「民にとって王族や貴族のいざこざなんて関係ない。ただ国を守り、民のために尽力できるか。自分たちの生活を守ってくれるかが全てではないでしょうか」
「……どれだけ心が醜く汚れようとも、真っ当な政治で民を照らすことのみが求められる、ということですね」
「えぇ、私だって褒められた性格などしていませんから」
ルイ様はそれまでの強張った空気をガラッとかえるように、冗談めかして秘密を話すように唇に人差し指を添えた。
その意図に気づき、私もふっと肩の力を抜く。私もルイ様にならうように、こそっと内緒話のように「……私もです」と告げた。
すると、リカルド殿下は一瞬目を丸くしながら茫然とこちらを見た。だが、すぐにおかしそうに肩を竦めると、クスクスと笑い声を漏らす。
「はは、なるほど」
何かを思いついたようにリカルド殿下はニヤリと口角を上げて微笑んだ。
「では、手を貸してくれるのですね?」
「それはどうでしょう」
挑発するようなリカルド殿下の物言いに、ルイ様は同じように読めない表情で挑むように笑った。