2‐10
「お待たせしました」
「あの……リカルド殿下、ここは一体……」
リカルド殿下の侍従という方に案内されたのは、王宮の端に位置する教会の更に奥まった部屋だった。まるで秘密の場所かのように、複雑な仕掛けがされた隠し扉を通ってこの場所に来た。
部屋に入ると、すでにリカルド殿下が悠然と部屋の脇にあるソファに腰掛けながら本を読んでいた。彼は私に気がつくと優雅に立ち上がり、胸に手をあてながらお辞儀をした。その姿はまるで、この場が舞踏会かと錯覚しそうになるほど。
戸惑う私を安心させるように穏やかな笑みを浮かべたリカルド殿下は、部屋を一周見渡した。
「ここは王族専用の魔術練習部屋、というところですかね」
「随分沢山の書物があるのですね」
「えぇ、それらは全てこの部屋から持ち出せないように特別な術を掛けています。この部屋で読んでいただく分にはお好きにしていただいていいですよ」
この部屋に案内されてまず目に入ったのが、この壁一面に備え付けられた本棚いっぱいに並ぶ書物。リカルド殿下の口ぶりからそのどれもが魔術に関するもの、と考えていいのかもしれない。
「それで、今日の聖女様の護衛は貴方ですか。フリオン子爵」
私の斜め後ろに立つテオドール様は、返事をしながらリカルド殿下に礼をした。
なぜテオドール様が今日この場に付き添ってくれたかというと、急遽ルイ様が国王陛下との謁見が入った為だった。いつもであれば面倒くさそうにするテオドール様があっさりと聞き入れたのは、きっと闇の魔術に対する好奇心に他ならないだろう。
「稀代の魔術師と名高い貴方には一度お会いしたいと思っていましたが、本当に驚きますね。確かに噂通り……いえ、それ以上の方のようだ」
「ありがとうございます。ぜひこれを機会に今後とも縁を繋いでいただけると幸いです」
「こちらこそ。さて、本当なら今日この場で見たことは他言して欲しくないので、フリオン子爵には隣室で控えていて欲しいところですが」
「必要であればそうしましょう。隣室からでもラシェル嬢に指一本触れさせず、かすり
傷も負わせない自信はありますから」
テオドール様の言葉に、リカルド殿下は片眉を上げて「へぇ」と愉快そうに笑う。
対するテオドール様は、いつもの気だるさもからかいも何処かへと隠し、牽制するかのように右手の人差し指を私に向けた。その瞬間、私を囲むかのようにキラキラと淡い光が覆った。
「わっ!」
「……なるほど、かなり興味深いですね。害を持って近づくと貴方に知らせる、といったところですか? それともこの術自体に何かガードのような仕掛けが?」
「さて、どうでしょう」
「まぁ、いいでしょう。大丈夫ですよ、闇の聖女様を害そうとするなんて愚かなことをする予定はありませんから」
驚く私を他所に、リカルド殿下はテオドール様に向き合いながら肩を竦めた。未だ私の周囲を漂う光は、どうやら防御の魔術の一種のようだ。
初めて見る魔術に、恐る恐る光に手を伸ばすと、光はパチンと弾けながら私の体の中へと入り込んだ。
何が起こったのか分からずテオドール様に視線で問いかけるが、テオドール様は教えてくれる様子はないらしい。くるりと踵を返して、手をひらひらと揺らしながらさっさと隣室に引っ込んでしまった。
「では、時間もありません。早速始めましょうか」
テオドール様を横目で見送ったリカルド殿下は、隣室の扉がバタンと閉まったのを確認して口を開いた。
「あの、昨日仰っていた勉強というのは……闇の魔術に関することを殿下自らがご教授してくださるということでしょうか」
「えぇ、その通りです。まずは私を信用して頂かなければいけないですからね。あなたとは敵対するのではなく、協力関係になりたいのです。であれば、これが一番でしょう?」
「我が国では闇の魔術を学ぶことは叶いません。なので、リカルド殿下のお考えが何であれ私としてはとても有難い申し出です。ですが、だからといって殿下に力を貸せるかというと……」
「えぇ、それは今後に期待しておきます。それに、闇の魔術は一歩間違えるとかなり危険な魔術ですから。独学で学ぶにはあまりに危険です。何より、あなたは闇の聖女だ。強力な力をコントロールする術がないまま国を隔てた場所にいると考えると、それも恐ろしいですからね」
「学ばないことが危険に繋がると?」
「その辺りは後で説明しましょう。座学の時間はありません。今すぐに実地で学んでください」
リカルド殿下に促されて部屋の中央、大きなテーブルまで来ると、そこにはデュトワ国にはない魔道具が10個程綺麗に並べられている。
一番小さなものは小石大で、そこから徐々に大きくなっている。
「これは闇の魔術を学ぶ上で使われる魔道具です。小さいものほど扱いやすく、この一番大きいものは最上級者用です」
説明は更に続いた。どうやらこの魔道具は、闇の力、つまりは時間を過去に戻すためのコントロールを学ぶことができるそうだ。今は赤く輝いているが、この魔道具内に力を送り、成功すると青に変わるそうだ。
「この一番大きいものが成功すると、どのような魔術が使えるのですか?」
「そうですね、流石にこの魔道具が作られてからもこの大きさを成功させた者はいません。ですが……この大きさなら、瀕死の人間を回復させることも可能かもしれませんね」
「まさか……そのような……」
――瀕死の人間を回復させられる……?
まさか、という考えと共に頭に浮かんだのは、イサーク殿下が以前見せてくれた傷を癒した光景。さらに、精霊王によって、一度死んだ私が過去に戻って今生きているという事実。
その力の大きさに、思わず手が震えそうになるのをもう片方の手でギュッと握りしめた。
「もちろんそこまでの魔術を使おうとしたら、自分にも相当の負担がかかります。それに……いえ、まずは試してみましょう」
何かを言い淀んだリカルド殿下は、首を左右に振るとにっこりと微笑んだ。
「まずは私が手本をみせましょう。イメージするのです。時間の流れと戻したい状態を正確に」
一番小さな魔道具に手をかざしたリカルド殿下は、あっという間に赤い光を青に変えてみせた。
「今のこれは大した力を入れていないので、花を枯れた状態から元気な状態にするようなものです。一番簡単にできるでしょう」
花を枯れた状態から元気にすることは私もできた。というよりも、私は未だそれぐらいの魔術しか使えないということ。
でもそれが一番最初の段階ということは、この徐々に大きくなっていく魔道具で練習することで、更に使い方を学べるということなのだろう。
私がリカルド殿下の様子を見ながらひとり納得していると、リカルド殿下は「そして、次は失敗例ですね」と微笑みながら青く光った、今まさにリカルド殿下の魔力を込めた魔道具に再び手をかざした。
すると。
――パリンッ!
魔道具にひびが入ったのを確認した瞬間、音を立てて粉々になった。元の形を一切とどめず、砂の塊になった魔道具をみてビクッと肩が跳ね上がる。
「コントロール出来ずに間違えると、時間を歪めて破壊に導きます」
「破壊……そんな……」
《破壊》という言葉の不吉さにぞっと寒気を感じる。それでも魔道具から目が離せない。
「繊細なコントロールが必要になります。僅かでも狂えば、花も畑も……人さえもこのような状態になります」
「人を……?」
リカルド殿下の言葉に、私の想像の中で先程の魔道具のようにマネキンが粉々になる光景が浮かび、ゾクッと恐怖心が沸き上がる。
――なんて力なの……。それが本当であれば……。
「そう。闇の力は善と悪の表裏一体。正しい使い方をすれば、植物を、動物を、人を助ける力になります。ですが、使い方を一歩でも間違えれば人をも殺める力を持つ。これが《素直、無垢》の象徴である闇の精霊の……神の力なのです」
淡々と説明するリカルド殿下の言葉に返事もできないまま、唖然とするしかなかった。
ブックマーク、感想、誤字脱字報告ありがとうございます。
今週末に書籍版2巻が発売されるので、今週は金曜か土曜にまた更新する予定です。
ちなみに、ここを下にスワイプもしくはスクロールして頂くと2巻の書影を確認できます。ご興味ある方はぜひ。ラシェルとアンナが美しく描かれています。
今後もお楽しみいただけると嬉しいです。