2‐9
「それは……一体どういうことでしょう」
「えぇ、今伝えたままですよ。単刀直入に、ぜひあなた方にはこちら側についていただけないかとお願いしているのです」
その晩の会食は、和やかな空気に包まれていた。食後の紅茶を口に付けながら、リカルド殿下がその言葉を発するまでは。
――こちら側。その言葉を発することの意味を知らない者はこの場にはいないだろう。
まるで今日も天気がいいですね、とでも言われたかのような微笑みに、さらりと告げたリカルド殿下。隣のイサーク殿下の重々しい空気感との対比に戸惑う私と違い、ルイ様は口からふっと軽く息を吐くと、両手を組みながら背もたれにもたれた。
そして、鋭い視線で真っ直ぐにリカルド殿下を見据えた。
「あなたが狙っているのは、《皇太子の座》ということですか」
「えぇ。話が早くて助かります」
《皇太子の座》ですって……。
オルタ国において、次期皇太子として声が大きいのは依然第一王子のファウスト殿下だろう。というのも、この国有数の公爵家出身の王妃様が推しているのが第一王子とされているからに他ならない。第一王子は目立った功績は残していないが、歴史が古く王家との縁も強い公爵家の後ろ盾は何より大きい。
対する第二王子のリカルド殿下は、ファウスト殿下の双子の弟にあたる。昔は双子は不吉で一族を滅ぼすと忌み嫌われていた。今は時代が変わったことで、表立って非難する人はいないが、それでも未だに高位貴族では特にその考えは根深く残っている。今も尚、後に生まれた方は養子に出されることも多いと聞く。
きっと、リカルド殿下も王家という壁がありながらも風当たりは強かったのだろう。それをねじ伏せたのは、彼の圧倒的な能力だといわれている。そのおかげか、新興貴族はリカルド殿下を推す声が大きくなっているそうだ。
――それでも、さすがにデュトワ国がリカルド殿下を支持するのは……。
「すぐに頷くことはできません。リカルド殿下にデュトワ国が付いたとして、失礼ながら皇太子が第一王子殿下であるファウスト殿下に決定したら。今後の同盟関係に響きますから」
「やはり王太子殿下は慎重ですね。まぁ、確かに今の私はこの国の第二王子であり、未だ兄を推す声は大きいでしょう」
「それを覆すほどの自信がおありだと?」
ルイ様の答えは想定内だったのだろう。イサーク殿下が何も口を挟まずに、紅茶を手に持つ姿が目に入った。動揺する素振りも説得しようとする素振りさえない。だが、今のルイ様の問いかけに、紅茶を持った手を僅かに止めて愉快そうに口の端を上げると、そのままカップを口に付けた。
問われたリカルド殿下は、表情を変えずに微笑みを絶やさないまま。だが、細められた目から覗く紫紺の瞳からは、キラリと意志の宿った輝きが見えたように思い、ハッと見入ってしまう。
「もちろん」
リカルド殿下の力強い言葉に、ルイ様はふうっと息を吐いた。先程吐いたため息とは違い、今度は重く憂鬱そうなものだ。
「お話はわかりました。何故、国の秘密を打ち明けてまでもラシェルをオルタ国に呼んだのかも。欲しい後ろ盾は私……いえ、デュトワではないですね。欲しいのは――闇の聖女。つまりはラシェルに認められたという証」
ルイ様の冷たい視線を微笑みで受け流すリカルド殿下は、「本当に説明が少なく済んで助かります」と笑みを深めた。
「私……ですか」
「えぇ、あなたです。オルタ国の信仰する神は精霊王……それも闇の。その遣いとも云われる聖女に認められたとなれば、形勢は一気に逆転します」
「えぇ、でも」
「わかっていますよ。あなたは頷くわけにはいかないということも。ですから、今すぐとは言いません。ただ、私が次期国王となった方が貴方がたにとって得となりえるかと、今私から言えるのはそれだけですね」
リカルド殿下の言葉に戸惑う私に、目の前に座るイサーク殿下から気遣うような視線が向けられる。
その時、テーブルの下で固く握った私の手の上に、ルイ様が優しく添えるように手を重ねた。その手の温もりを辿るように隣へと顔を上げると、ルイ様は鋭い視線を前に向けたまま、ギュッと私の手を包み込んだ。そして、リカルド殿下から視線を逸らさぬまま口を開いた。
「あなたがそこまで野心家だとは思っておりませんでした」
「野心、ね。そう受け取られても仕方がないでしょう。……闇の聖女様、この国はあなたの目にはどう映りましたか」
「そう……ですね。私はここまでの道中とこの王宮内しか知りません。ですが、とても近代的だと感じました」
リカルド殿下の予想外の問いに、思わず肩が揺れた。だが、すぐにそれに答える様に、オルタ国に入国してから王宮に着くまでの道中を思い浮かべる。
ルイ様とテオドール様と共に馬車に揺られながら、窓から見た街並み。未だに戦争の痕跡が残るデュトワ国とは違い、建国時から戦争をせずに守りを固めていたオルタ国はデュトワ国よりも人々や街も豊かに見える。
だが一方、オルタ国は他国との関わりをほとんど持たないせいか、オルタ国独自の文化を何よりも大切にしている。……柔軟性には欠ける、つまりは排他的とも取れる。
『ラシェル嬢、あれがオルタの有名な魔塔だよ。この国の魔術師たちの技術は相当なものだ。まるで未来を見て来たかのような想像もできない魔道具を何百年も前から作り続けている。技術力では今はまだデュトワをも上回るだろうな。だが、あと10年あればどうかは分からないけど。え? だってデュトワには俺がいるし。それに日に日にオルタの輝きは薄れていっているのと、周辺国の進歩がオルタに猛スピードで近づいてきたのもあるかな』
そう考えながら、ふと王都の端にそびえ立つ立派な塔を指さしながら、テオドール様が仰っていた言葉が頭の中に過ぎった。
「そう。国を閉じて秘密を守るという信念を固持した結果、他国に頼らなくとも自国のみで、ここまで国を安定させた。だが、それももう限界なのです。闇の精霊が森を移ってしまったことも、その要因のひとつでしょう。この国は発展と守りを大切にしたと同時に、何よりも重要なものを失ってしまった」
確か……レオニー様が教えてくれた。闇の精霊が住むあの精霊の地が、あの森が時間を止めたのは50年ほど前だと。つまり、元々オルタ国の森に住んでいた闇の精霊は、何か原因があってここに住めなくなった? そして、あの森に移り住んだ?
「今だけに目を向けるのならそれでもいいでしょう。ですが、私たちの子供や孫、更にその先は? 私はこの国の未来を守りたいのです」
考え込んでいた私は、リカルド殿下の凛とした静かに響く声にふと顔を上げた。だが、その表情を見てただ驚きに声を失った。
だって、国の未来を願うその表情が、まるでルイ様と同じ……決意をした瞳だったから。
言葉を発することができないまま、茫然とする私とは違い、ルイ様は「なるほど」とだけ小さく呟いた。
「第一王子殿下にはそれは無理だと?」
「兄をご存知でしょう? あれは国王の器ではない」
「リカルド殿下の仰りたいことはわかりました。ですが、すぐに同意することはできません」
「そうでしょうね。では、私は信頼を勝ち取るためにも違うアプローチに移りましょうか」
――違うアプローチ?
「マルセル侯爵令嬢、明日は私と一緒にお勉強しましょうか」
「リカルド殿下とですか」
「はい、私とです」
ポカンとした表情の私に、優しく穏やかに微笑むリカルド殿下。そして、面白くなさそうに足を組み替えるルイ様。
和やかとはほど遠い会食が終わりを告げると同時に、外から吹く強風が部屋の窓を揺らした。