2-6
――何故、こうなったのだろうか。
ガタゴトと揺れる馬車の中で、私はひとり心の中で首を捻る。そんな私の姿を目の前の人は気がついたのか、ニヤリと愉快そうに笑った。
「あれ、お姫様は俺と一緒の旅はご不満かな?」
「い、いえ。そんな……」
全力で首を左右に振りながら否定の言葉を口にすると、彼は「はは、分かってるよ」と目を細めながら、膝の上でご機嫌に寝そべっているクロの頭を撫でた。
クロは『ニャー』と甘えた声で彼のお腹に体を摺り寄せる。
その姿はとても可愛らしいが、彼に今日会ってからというもの、クロは久々の再会に歓喜し、私に寄りつくことなく、ずっと目の前の人物――そう、テオドール様にべったりだ。
――やっぱり……何でこうなったの?
「姫を守るナイトは何人いてもいいぐらいだろ? それにさ、君の過保護な婚約者様に直々に懇願されたら、さすがの俺も断れないし」
「いえ、テオドール様であれば断れそうですね。……どちらかというと、隣国に興味があるのでは?」
何故、テオドール様と一緒に馬車に乗っているか。
それは、オルタ国にテオドール様も同行することになったからだ。また、ルイ様は仕事が立て込んでいることもあり、馬車でゆっくりと移動することは日程的に難しく、オルタ国へと続く国境の町で合流することになっている。
そのため、ルイ様はテオドール様やレオニー様を私に同行させてくれている。慣れ親しんだ方たちがいることで、とても心強い気持ちだ。
ただ、テオドール様の興味はどちらかというと隣国オルタ……いえ、過去の闇の聖女や隣国における闇の精霊に関すること。と考えた方がしっくりくる気がする。
「あぁ、バレたか」
現に、私の問いに楽しそうに声をあげて笑う。
馬車の窓枠に肘をつきながら右手で自分の頬を支えたテオドール様は、私へと視線を向けた。
「まぁ、ちゃんと守ってあげるよ。道中もオルタ国でも。それに、ルイが合流する国境近くまで、長旅も続くし」
「ありがとうございます。テオドール様と一緒だと安心です。それに、私の旅にはいつもテオドール様がいてくださるのですよね」
テオドール様と向かい合いながら揺れる馬車に、過去の記憶が蘇ってくる。私の思い出深い旅は、いつもテオドール様と大きな関わりがあるように思う。
飄々としながらも、優しく見守ってくれるテオドール様は、問題ごとも沢山運んでくるけれど、それ以上に沢山助けられて守られている。
「マルセル領から始まってミリシエ領……それから今度はオルタ、か。どんどん行動範囲が広がっていくな」
「はい。知らなかった世界を沢山知ることができます」
穏やかな旅ではなかったけど、どれもが私にとってはかけがえのない思い出。そのどれもが私の考えを改めて、強くしていってくれたように思う。
「君が望めば、いくらだってこれから更に広がっていくよ。ラシェル嬢の世界は、さ」
テオドール様は、まるで子供を見るように優しい目で微笑んだ。きっと、今ご令嬢たちがこの場にいたら、誰もが頬を染めて卒倒しそうなほど、美しい顔で。
♢
テオドール様との道中は変わらず、楽しく心が軽くなる旅だ。立ち寄る先々で珍しい食べ物や美しい景色を眺めながら、あっという間に国境の町へと到着した。
本日の滞在先に到着する頃には、もう日が傾き始めていた。
レオニー様の手を借りながら馬車を降りると、遠くから人影が私のほうへと走り寄るのが見えた。遠目でも夕日を浴びて輝く金髪に、それが誰であるかが一目瞭然だった。
「ラシェル」
私の元まで走り寄ったルイ様は、嬉しそうに顔をくしゃりとさせながら笑った。
「ルイ様、到着していたのですか?」
「あぁ、昨夜にね。疲れたかな?」
ルイ様の腕がエスコートするように腰に回され、話しながら屋敷内へと入る。今日の滞在先であるこの屋敷は、辺境伯が所有する別邸であり、国境近くのこともあってか頑丈な造りになっているそうだ。
「えぇ、ゆっくりと来たので。ルイ様こそお忙しいなか、馬で駆けて来たのでしょう? 出発の明朝までゆっくりと休んでいてくださいね」
「私は大丈夫だよ。ここに着いてから、さっきまで随分と休んだからね」
ルイ様の顔を窺うようにそっと見上げると、確かに本人がいうように顔色は悪くなさそう。それでも、多忙で無理をしやすいルイ様に心配になってしまう。
そんな私の心境に気がついたのか、ルイ様は私を安心させるようににっこりと微笑みながら、私の髪をなぞるように撫でた。
広間の大きなソファーに促されるままに座ると、ルイ様も私の隣へと腰掛ける。
「ラシェルも疲れをよく取って。明日からはオルタ国だ。私たちも十分に注意を払うし、ラシェルに危害を加えるような真似はおこさせない」
「はい」
「だが、オルタでは今、王太子が決まっていないことでの後継者争いで王宮内の空気が良くないらしい。光の聖女であるキャロル嬢を手にしようと画策していた第一王子もいる」
ルイ様の目元は、先程までの優しいものから警戒する厳しいものへと変化した。
「闇の聖女というオルタ国では重要と考えている君に、どう接触を図ろうとしてくるか……」
「えぇ、心得ています」
顔を上げてルイ様へと視線を合わせて大きく頷く私に、ルイ様はふっと息を吐きながら空気を和らげた。そして、ルイ様の大きな手が私の頬を包み込んだ。
「でも、あまり怖がらなくていい。レオニーもロジェもいる。それにテオドールも」
「それに、私にはルイ様がいてくださるのでしょう? 私は何も怖くありません」
どんなことがあろうとも、私にはルイ様がいる。それがどれほど私を強くさせるか。きっとルイ様が想像するよりも、もっともっと大きな存在。
それが伝わるといい、と願いながらルイ様の手に自分の手を重ねる。すると、ルイ様は僅かに頬を染めながら破顔した。
「あぁ、もちろん」
「ルイ様もあまりご無理をなさらずに。まだまだ頼りないかもしれませんが、いつでも寄りかかってください」
「ありがとう、ラシェル。そうだ、珍しい茶葉を持って来たんだ。良ければ今から一緒にどうかな?」
「えぇ、ご一緒させてください」
何があろうとも、私に力を与えてくれる存在がいるからこそ、大丈夫。そう感じながら、私はルイ様に微笑みを向けた。