2-5
「やっぱり、見つからないか……」
一人きりのこの場所では、小さく呟いた声は誰にも聞こえない。この部屋で聞こえる音は、手元の本のページを捲る音だけ。
読んでいた本を机の脇に高く積み上げた本の上に重ねて息を吐いた、その時。
――コンコン
「はい」
ノックの音に顔を上げて返事をすると、開かれたドアから顔を出したのはルイ様だった。
「ラシェル、今大丈夫?」
「ルイ様! えぇ、もちろんです。でも、どうしてこちらに?」
「あぁ。先程侯爵に会ってね。ラシェルが今日王宮図書館に来ていると聞いたから、会えるかと思ってね」
「まぁ、お父様に。個室にいたので見つかりにくかったですよね」
「そんなことはないよ。この図書館を使うときは、ラシェルは奥から二番目の個室を使うだろう? だから、最初からここだと思っていたよ」
ルイ様は私の隣の椅子に腰かけながら私に微笑みかけた。そして積みあがった本をチラッと横目で確認すると、口を開いた。
「で、調べ物の答えは見つかったかな?」
ルイ様の言葉に、視線を本へと向けたあと、顔を俯かせながら黙って首を振る。ルイ様はそんな私に優しく「そうか」とだけ相槌をうった。
イサーク殿下の仰っていた言葉が真実かどうか。私はその真実を知る術がないかどうかをあれからずっと探していた。
闇の聖女が本当に存在していたのか。500年前、デュトワ国とオルタ国が2つに分かれることになった原因の真実はどこにあるのか。
でも、どれだけ調べたとことで私が既に知っていること以上に、新たな発見もヒントも何一つ見つかることはなかった。
「ルイ様は、イサーク殿下の仰っていたことは真実だと思いますか?」
私の問いかけに、ルイ様は積みあがった本を何冊か取ると、ペラっと流し見たあと、もう一度私のほうに顔を向けた。
「そうだね。嘘は言っていないと思う。本来ならば秘密にしなければいけないことを随分沢山話してくれたのだと思うよ」
「……それは何故でしょう」
私の言葉に、ルイ様は大きな手で目を覆いながら深い溜息を吐いた。その後、顔を覆っていた手を外すと私を気遣うような視線を私へと向けた。
「駆け引きだろうね」
――駆け引き、ということは秘密を打ち明けるという程の危険を冒す価値がイサーク殿下にはあったということだろうか。
だとして、一体何が目的なのだろうか。
もしかすると……。
「私、でしょうか……」
その言葉に、ルイ様は眉を下げて困ったように笑みを浮かべた。
「あぁ、十中八九そうだろうね。私も知らなかったが、オルタ国と闇は、この国の光と同様にかなり重要なものなのだろう」
ルイ様は「ラシェルの知りたいことを知るチャンスではあるのだろうが、困ったね」と言いながら、胸ポケットから封筒をひとつ取り出した。
机に置かれたそれはちらっと見ただけで上質だと分かる。
「これは何でしょう」
「オルタ国の国王が来月即位10年を迎えるそうだよ。近隣国を招待し、盛大に祝うらしくそれの招待状だ。私と君宛ての」
「私もですか?」
「あぁ。婚約者である君も、と正式に招待されている」
――私も?
困惑する私、ルイ様は私の両手を優しく握りしめた。僅かに前かがみになりながら、ルイ様は私に目線を合わせた。
「ラシェルはどうしたい?」
――どうしたい……。私は……。
答えは出ている。ヒントが得られるのならば、行きたい。
でも、そう簡単に答えていいのだろうか。ルイ様はきっと、あっさりと重要な秘密を打ち明けたイサーク殿下を警戒している。
しかもあまりにもタイミング良く、隣国へと行くチャンスまで整えられて。
罠ではないか。そう疑ってしまうのは当たり前だろう。だとしても、この国で調べるのにも限界はあるし、何より闇の魔術に関しては一切学ぶ術はないのだろう。
考え込みながら俯いていた顔を意を決して上げると、ルイ様は思いのほか穏やかな表情で私の答えを待っていた。
まるで、私が何と言うかを既に知っているかのように、「正直な気持ちを言っていいよ」と優しく微笑んでくれた。
「正直なところ……行きたいです。もう一度、お話を聞きたいです。過去の闇の聖女についても、闇の魔術に関しても」
目の前で見た光景。イサーク殿下が自らつけた傷が一瞬で消えたあの時の光景。
あれがどうしても目に焼き付いて離れない。意識して闇の魔術を使用したとしても、やはり今の私には枯れた花を元気にする以上のことはできない。
「ラシェルも気がついているかもしれないけど、私の本音を言うと……これ以上深く関わって欲しくない。イサーク殿下の思惑が何かはまだはっきりとは分からないが、ラシェルが目的なのだと分かっている以上、危険がないとは言い切れない」
「えぇ。そう……ですよね」
「でも、ラシェルの気持ちもわかる」
ルイ様の言葉にパッと顔を上げると、そこには困ったように眉を下げながら微笑むルイ様の姿。
「滞在期間は一週間。その間、イサーク殿下自ら案内もしてくれるそうだ」
「では!」
「あぁ、一緒に行こうか」
私を安心させるように目を細めたルイ様に、感謝の気持ちを抑えきれない。「ありがとうございます」と伝えると、ルイ様はゆっくりと瞼を閉じてひとつ頷いた。
「今後はラシェルと共に国を代表して様々な場に出る機会も増えるだろう。どう避けようとしても、隣国である以上どうしても関わらなくてはならない。それに、変に刺激して更に危険を伴う可能性も無くはない」
「はい」
「それにイサーク殿下の言動から考えると、闇の聖女を特別視しているようにも感じた。だから、君を傷つける可能性は限りなく低いとは思っている」
ルイ様はきっと少しの危険でも排除すべく様々な可能性を考え、情報を集めてくれていたのかもしれない。そう思うと、胸のあたりが温かい熱を帯びてくる。
本当に、ルイ様が側にいてくれることで、どれほど力になっているだろう。いつだって私を尊重し、信じてくれるルイ様がいるからこそ、私は頑張ろうと思える。
「それに、ラシェルを傷つけることを私が許すはずがないだろう。何があっても君を守ると誓ったからね」
ルイ様は真剣な表情で私の目を真っ直ぐに見つめた。その瞳の奥に宿る決意が視線から伝わることで、目の奥が熱くなる。
その強い想いに言葉にならずに、きゅっと唇を噛み締めながら頷くと、ルイ様はほっとしたように穏やかに笑みを浮かべる。そして、私の左手を取ると、薬指の指輪の上に口づけを落とした。





