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「気になりますか?」
「えぇ、もちろんです」
イサーク殿下の問いかけに、私は困惑しながらも頷いた。すると、私の反応にイサーク殿下は「そうだろうと思いました」と笑みを深めた。
「では、聖女様には特別に面白い話をしましょうか」
「……少々お待ちください」
隣でじっとイサーク殿下を探るように見ていたルイ様が、イサーク殿下の言葉を失礼にならないように、にこやかな笑みで止めた。
ルイ様は周囲を見渡すと「この話はこの場では良くなさそうですね」と小さく呟く。そしてすぐさま遠くに控えていたシリルに合図を出した。
それにシリルはすぐに反応し、すぐにこちらへと来るとルイ様はシリルに指示を出しているようだった。
2人で顔を寄せながらルイ様の言葉に頷くシリルから推測すると、きっと部屋の手配をしているのだろう。
シリルへの指示が終わったのか、ルイ様は振り返りながら「お待たせしました」とにこやかに微笑んだ。
「ご案内致します」
シリルの言葉と共に後に続くと、ホールを出て静まり返った廊下を進んだ先の一室に私たちは案内された。
それはあらかじめ準備されていたかのような立派な応接室だった。私と殿下、そして向かいにイサーク殿下とバラハ伯爵が腰掛けると、すぐに控えていた侍女によりお茶が準備された。
「何かあればベルで知らせるから、皆退室していて構わない。あと、シリル」
「はい。舞踏会はこちらで対応しますので、急ぎの用事があればお知らせください」
「あぁ、頼む」
ルイ様は目の前にカップを置いた侍女に声をかけたあと、シリルへと視線を向ける。シリルはそれだけで何を言わんとしているかを把握したように、さっと踵を返すと礼儀正しく退室した。
イサーク殿下へと視線を向けると、出された紅茶を口にしながら私の視線に気づいたように顔を上げた。音の鳴らない綺麗な所作でカップをテーブルへと戻すと、イサーク殿下は微笑みを浮かべる。
「さて、何から話しましょうか。王太子殿下とは何度かお目にかかる機会はありましたが、こうして話すのは初めてですね」
「私個人としては、イサーク殿下とはぜひ一度ゆっくりとお話ししたいと思っておりました」
「はは、それは申し訳ありません。普段は兄に任せっきりなのですよ。騎士団に所属しているので、あまり堅苦しい空気は性に合わないもので」
イサーク殿下とルイ様は二人とも微笑みながら友好的に会話をしているが、どちらもがお互いの出方を窺っているかのようにも見える。
だが、その空気を変えたのは、ルイ様だった。
「では、あまりかしこまらず、ここではぜひ楽にしてください。その方がお互い話しやすいでしょう」
その言葉と共に、ルイ様は笑顔の種類を意図して変えるように目を細め、気楽な雰囲気を滲ませた。
――わっ、すごい。
ルイ様が柔らかく微笑んだだけで、その場の空気が変わったのが肌に伝わる。イサーク殿下も一瞬驚いたように目を見開いた後、肩を僅かに揺らしてクツクツと笑みを漏らした。
「さすがですね。では、お言葉に甘えて」
イサーク殿下は椅子に深く座り込むと、先程よりも強い眼差しでこちらへと視線を向けた。
「あまり遠回しな言い方も苦手なので、さっそく本題といきましょう。さ、聞きたいことがあるのでしょう。先に質問に答えましょうか」
「あの……先程の話の続きなのですが……」
「闇の精霊を知っていたか、ですね」
「はい」
イサーク殿下の問いかけに、私はまずルイ様へと視線を向ける。ルイ様は私の視線を受けて、ゆっくりと頷いた。それにほっと胸を撫で下ろしながら、イサーク殿下へとおずおずと口を開く。
だが、イサーク殿下は私の疑問などお見通しのようだ。待っていたとばかりに、目を細めた。
「えぇ、知っていますよ。オルタ国では闇の精霊は珍しい存在ではあるが、何よりも大切な存在ですからね」
「闇の精霊が!? そのようなこと……」
「ご存知ない、でしょうね。我が国において闇の精霊の事実は意図して隠していましたから」
――デュトワ国では存在自体が全く知られていなかった闇の精霊が、隣国では認識されていた?
元々同一の国であったというのに、それはどういうことなのかしら。
イサーク殿下からあっさりと告げられた内容に、言葉を失っていると、隣からふっと息を漏らす音が聞こえ、その音のほうへと顔を向ける。
そこには、口元を緩めながらも警戒心を強めたようなルイ様が、イサーク殿下とバラハ伯爵の様子を注意深く観察しているようであった。
「厳重な秘密として国外に全く漏れないようにしていた。だが、なぜ今その存在を明言したのですか」
「王太子殿下は案外せっかちな方ですね」
「イサーク殿下は今を逃したら数年は会えなくても不思議ではありませんから。遠回しな言い方は、個人的には苦手ではありませんが。イサーク殿下は直球の方が好まれるかと」
ルイ様の言葉にイサーク殿下は肩を竦めた。だが、すぐさま隣に座るバラハ伯爵から「仰る通りですね」と同意されると、愉快そうに豪快に笑った。
「闇の精霊の歴史は、我が国の建国と関わりがある、とだけ言っておきましょう」
「……であれば、デュトワと関係するのでは」
「いくらこの国で探そうとも、コインの裏は見えませんよ。……まぁ、これ以上はさすがにこの場で説明する訳にはいきませんが」
ルイ様の言葉に、イサーク殿下は待っていたとばかりにニヤリと怪しげに笑みを浮かべた。
「ところで、闇の精霊王の加護を受けたということは、闇の力を使えるのですよね」
「……えぇ、まぁ」
「時間の操作というのは、良い師がいなければ扱うのはかなり難しいでしょう?」
その言葉に、平素を装う術を一瞬忘れてしまった。目を見開いた私に、イサーク殿下は口の端を上げて「……なるほど」とだけ小さく呟いた。
――イサーク殿下もバラハ伯爵も闇の力まで知っている……。この国では光の力さえ王族以外は秘密にされているのに。
混乱する私を他所に、イサーク殿下は席から腰を上げて立ち上がると、飾り棚の前に歩みを進めた。そして、その場に飾られた短剣を指さしながらこちらを振り返った。
「今は帯刀していないので、この短剣を貸していただけませんか」
「……短剣?」
「少し汚してしまっても構わなければ」
ルイ様は若干眉間に皺を寄せて考え込む素振りをするが、それを見たイサーク殿下は肩を竦めた。
「そんなに怪しまなくともすぐに綺麗にして返しますよ。あなた方が知りたいであろうことを少しお見せするだけですから。俺はこの場から離れないし、誰かを傷つけるつもりもない」
両手を上げながら真っ直ぐな視線を向けるイサーク殿下からは嘘はみえない。ルイ様も顎に手をあてて考え込んだ後、「では、どうぞ」と許可した。
イサーク殿下はそれに満足そうに頷くと、短剣の鞘を抜いてそのまま迷うことなく自身の腕に刃を当てた。
「なっ! イサーク殿下」
「今すぐ手当を!」
平然とした顔で立つイサーク殿下の腕には、直線の傷とそこから滲む血。驚きに声を上げた私に、イサーク殿下は「深くは傷つけていない。これくらいかすり傷ですよ」といたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「でも、血が……」
――他国の王族が目の前で血を流すなど、何とも恐ろしい……。少し間違えれば外交問題にもなりかねない。
ルイ様も目を見張ってイサーク殿下を見ていたが、バラハ伯爵だけは落ち着いた様子でイサーク殿下の行いを黙って眺めていた。
「闇の聖女様、よく見ておいてください。これが闇の魔術です」
短剣を一度棚に置いたイサーク殿下は、傷ができた左腕を覆うように右手を当てた。そして小さく呪文を唱えると、イサーク殿下の右手からキラキラと輝く淡い光が左腕を包んだ。
――な、何?
イサーク殿下が何かの魔術を使用したことは分かったが、初めて聞く呪文に何が起こっているのかが理解できない。
ただ茫然とその光景を見ていると、その光はすぐに消えイサーク殿下の右手が左腕から離れる。
そこには、驚きの光景が待っていた。
「傷が……消えた?」
「一体どういうこと」
イサーク殿下の左腕に先程まであった傷は、何もなかったかのように綺麗に消えていた。
「デュトワ国の王族が光の適性が強いように、俺たちオルタの王族は闇の魔術を使える者もいるということです」
唇に手を当てたまま茫然と動けないでいる私は、頭の中で今の状況を冷静に整理しようと必死だった。
だが、続くイサーク殿下の言葉に、今にも気を失いそうになるほどの驚きが待っていようとは夢にも思わなかった。
「俺たちオルタの王族は、闇の聖女の子孫ですからね」
ブックマーク、評価、感想、誤字脱字報告ありがとうございます。
未だラシェルが「殿下」ではなく「ルイ様」と呼ぶことに慣れない方も多いのでは……と予想中。
ちなみに作者もまだ慣れていませんが、二人の距離が近づいたということで。
次話は多分、イサーク殿下視点予定です。
最後に報告になりますが、書籍版の2巻が10月10日発売予定です。
詳細は活動報告にて。こちらもぜひよろしくお願いします。