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「なんと! マルセル侯爵令嬢は我が国の特産物を口にしたことがあるのですか」
「えぇ。マルセル領で一度、市場で珍しい果物が手に入ったと聞いて。とても甘くてしっとりしていて、本当に驚きました。今でも何度も思い出してしまいます」
「あれは傷みが早いので、なかなか他国には渡りにくいのです。ですが、そこまで気に入ったようでしたら、ぜひまた準備しましょう」
「まぁ、本当ですか!」
和やかな歓談の時間、私はルイ様と共に、近隣国から招待された王族や大使の方々に挨拶回りをしていた。
事前にルイ様は、私に招待名簿が確認できるように送ってくれていた。だから、必要な情報を予め頭の中に入れることができたことで、会話もスムーズにできている。
もちろんルイ様の自然なフォローもあってか、今のところ問題はおきていない。
「あの大臣は随分君を気に入ったようだね」
先程まで会話をしていた近隣国の外務大臣から離れると、ルイ様は私の耳に顔を寄せた。目を細めて優しく微笑む殿下に、思わず首を傾げる。
「そうなのですか?」
「いつもは固い表情を崩すことは難しい方なんだ。今日はグラスが空くのも早かったし、あんなにも機嫌が良い姿は珍しい」
「ルイ様は本当に周囲をよく見ておられるのですね。私も見習わないと」
グラスが空になる速度も見ているなんて……。本当にルイ様の視野の広さには驚く。
それに、私を褒めてくれているが、私が大使と共通の話をしやすいように誘導してくれたのもルイ様だ。
――本当に凄い方だわ。
尊敬の眼差しでルイ様の横顔を見つめると、ルイ様は会場内全体を見渡している。
「さて……次は、あぁ。王妃と話し終わったようだね」
ルイ様の視線を辿ると、そこには2人の男性が王妃様に礼をしているのが見えた。
「あの方は……」
「あぁ、隣国オルタの第三王子だ。一緒にいるのは彼の部下にあたるバラハ伯爵だろう」
――彼が、イサーク・オルタ第三王子。
王妃様の甥にあたる方で、確か騎士団に所属していた筈。
確か隣国では、未だ国王陛下が王太子を指名していない。だが、彼は王位には興味がないようで、数年後には臣籍降下し大公位が与えられるだろうと噂されている。
「彼はあまり社交界には出ないそうだから、私も隣国に訪問した際に数回挨拶した程度だが、剣の腕は相当なものだと聞くよ」
ルイ様は私の腰に手を添え、イサーク殿下の元へと歩みを進みながら私に補足説明をしてくれた。
「あぁ、ちょうど彼らも気がついたようだね」
顔を上げると、赤紫の短髪をきっちりと撫で付け、切れ長の目を愉快そうに細めた凛々しい男性がこちらへと視線を向けた。
涼やかな目元からは意志の強さが感じられ、スラっとしながらもかなり鍛えられているであろうことが立ち姿からも伺える。
「挨拶が遅くなり申し訳ありません。王太子殿下、ご令嬢。本日はおめでとうございます」
「本日はお越しいただきありがとうございます。こちらは、私の婚約者のラシェル・マルセル侯爵令嬢です」
「ラシェル・マルセルです。よろしくお願いします」
私の挨拶に、イサーク殿下は鋭い目元を伏せながら手を胸元へと当てた。
「闇の聖女にお会いできるとは光栄です」
先程、陛下から正式に私が闇の精霊王から加護を頂いたことが発表されていた。皆、その事実に驚きながらも祝いの言葉を述べてくれていた。だが、他国の反応としては、先に光の聖女が誕生していたこともあり、デュトワ国が力を持つことをあまり快く思っていないだろう反応も見えたことも事実だ。
イサーク殿下は、ルイ様も一番警戒している国であるオルタの王族だ。
でも彼の視線からは、私……いや、闇の聖女に対する興味が見える。そこに悪意は感じない。
「闇の精霊王から加護を頂いたとは信じられない。ですが、貴方の姿を一目見たら納得しました。想像以上に麗しい姿に驚いているところです」
イサーク殿下は、隣のバラハ伯爵に同意を求めるように「なぁ、そうだろう?」と問いかけた。バラハ伯爵は、優しく目元を綻ばせながら「はい、本当に」と微笑みをこちらへと向けた。
「おっと、婚約者殿の前でこんなことを言ってはさすがの王太子殿下も気分を悪くしてしまいますかね」
私の腰に回されたルイ様の腕の力が一瞬強まったのを感じたのか、イサーク殿下はおかしそうに片眉をあげる。まるで反応を楽しんで挑発するような雰囲気。
だが、ルイ様はそんなイサーク殿下の空気をさっと追い払うように、綺麗な微笑みを彼らへ向ける。
「いえ、私の婚約者を褒めていただけることは、自分のことのように嬉しいことですから」
さも当たり前のように言い切るルイ様の横顔を窺い見ながら、思わず頬が僅かに赤らむ。
そんな私の様子もお見通しとばかりに、ルイ様は私へと顔を向けるとより一層笑みを深めた。
「随分仲がよろしいようで。デュトワ国の今後の安寧は決まっているも同然ですね」
「そうあるよう努力していくまでです」
傍から見るとルイ様とイサーク殿下は、お互い微笑みながら楽し気に歓談しているように見えるだろう。でも、何故か2人の間に冷たい壁が立ちはだかって見えるのは気のせいだろうか。
2人の空気を気にしながらも、微笑みながら時折会話に参加していると、急にイサーク殿下は顎に手を当てながら考え込むように視線を床に落とす。
「それにしても、闇……ですか」
「何か?」
独り言のように呟いたイサーク殿下の言葉に問いかけると、イサーク殿下は「あぁ、すみません」と顔を上げて真面目な顔つきでこちらを見た。
「いえ、まさかデュトワ国に闇の加護とは……聞いた時は驚いたもので」
「どういうことでしょう?」
「闇の精霊はもちろん、闇の精霊王もデュトワ国にはいないはずだと思っていたので」
――闇の精霊が、この国にいない?
もちろん、この国で闇の精霊と契約しているのは私だけだろうことは知っている。
でも、何故イサーク殿下が当たり前のように闇の精霊を受け入れているのか。そこが気にかかる。
私の契約を発表した当初、国内では表面上は受け入れられたが、その裏では相当混乱が生じていたことも知っている。そして、その噂が隣国へ渡っていてもおかしくはない。
でも、イサーク殿下の物言いはそれとは違う……闇の精霊も闇の精霊王の存在も元々受け入れているような言い方だ。
もしかしたら……。
「闇の精霊の存在を元々ご存知だった、ということですか?」
イサーク殿下は闇の精霊が存在することを元々知っていた。そうとは考えられないだろうか。
あんなにも国中の書物を探しても見つからなかった闇の精霊に関する真実。力は僅かに使えるようになったとはいえ、まだ謎が多く、力もどの程度使えるかさえも知る術もない。
加護を与えられたとはいえ、精霊王に再び会う機会があるかも分からないし、クロとは精霊の地から離れた今、会話をすることはできない。
もしかしたら、その手掛かりを知る人物がいるかもしれない。そう思うと、冷や汗が流れ鼓動が速まる。
戸惑いが顔に出ていたのか、イサーク殿下はこちらへと視線を向けると意味深な微笑みを顔にのせた。
「気になりますか?」
視線を一層強いものへと変化させたイサーク殿下に、私は思わず息を飲んだ。