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陛下は謁見での言葉通り、本当に私と殿下の婚姻を進めるべく盛大な王宮舞踏会を予定した。それには、国内の貴族のみならず近隣の王族、大使を多数招待し、私を王族に迎え入れることを国内外に正式に発表することに他ならない。
結婚式の日取りもそれまでには決定するだろうとのことだが、早くとも2、3年はかかるだろうと予想している。
というのも、トルソワ魔法学園を卒業してから1年は大教会に通いながら、魔術の勉強や精霊の学びをすることに決めたからだ。
「ラシェルさん!」
「アンナさん、こんにちは」
「あの、今日は……」
教会で学ぶことが許されたため、今日も空いた時間に教会に立ち寄った。本日は、大神官様から直々に国と精霊との成り立ちのお話を聞き、部屋をでたところで明るい声に呼び止められた。
アンナさんは日に日に本来の明るさを取り戻し、毎日充実しているであろう顔をしている。だが、私に声をかけたアンナさんは何かを探すようにソワソワと視線を彷徨わせている。
「あぁ、ごめんなさい。学園の帰りに寄ったものだから、サミュエルは一緒ではないの」
「……そう、ですよね」
サミュエルが一緒でないと告げると、一気にシュンと肩を落とし、耳と尻尾が生えていたらパタンと垂れ下がっているであろうと想像がつく。
「でも、これを預かっているわ」
「え? わ、わ……これ……」
「えぇ、手紙とお菓子よ」
「わぁ、本当に誠くんの字だ! ラシェルさん、本当にありがとうございます!」
鞄からサミュエルからの預かり物を取り出し、アンナさんへと手渡すと、パッと表情が明るくなるアンナさんにクスッと笑いが漏れる。
「順調なようね」
「はい、お陰様で。……時々、幸せ過ぎて怖くなります。自分がこんなに幸せでいいんだろうかって」
私の言葉に、アンナさんはにっこりと微笑み頷き返すと、咲き誇る庭園へと顔を向けた。その視線は、庭よりももっと遠くを見ているようにも感じ、どこか危うさを見せる。
――幸せ過ぎて怖い、か。
「私も一緒よ。この幸せを自分が掴んでもいいものなのか、ずっと自信がなかったの」
「ラシェルさんがですか?」
「意外って顔ね。……私はただ幸運だっただけ。間違えた私を助けてくれる人、支えてくれる人、共に歩んでいける人に出会えたのだから。
でも、今はこうも思うの。それもまた、自分の選んだ道なんだって」
「選んだ道……」
「アンナさんがサミュエルと再会したのもきっと、アンナさんの強い想いが手繰り寄せたものだと思うわ。だから、一生懸命に道を進めば、想像もつかない未来……新たな道が現れるのではないかしら」
過去を悔やむ気持ちは消えることはないだろう。後悔も苦悩も、私が背負うべきものだから。
それでも、生きている限り未来はある。自分を、そして私を信じてくれる相手を裏切らない行いをしていく。
それが、私に今できることなのだろう。
「幸せであればあるほど、この幸せがいつ消えてしまうかと怖くなるのよね。……でも、それは幸せが当たり前ではない、と。幸せが何かを知っているということなのだから。
失うことを恐れるよりも、今手にある幸せに感謝して、大切にしていけたらって。私はそう感じているの」
私の言葉に、アンナさんは「大切に……」と小さく呟く。一瞬俯いたアンナさんが顔を上げたその瞬間。
パチン! とアンナさんが自分の両頬を手のひらで叩く音に、驚きで声を失う。
「よし! 気合入った!」
「な、なにを……」
「ぁあ! 驚かせてしまってすみません。自分で自分に喝を入れてました」
「か、喝?」
「はい。もっと頑張ろうって」
――い、痛くないのかしら。随分な音がしていたけれど……。
「ラシェルさん。私、また誠くんに会えて本当に幸せなんです」
「え、えぇ」
「それと、ラシェルさんに出会えて本当に良かったなって。すごく思います」
「私?」
「はい。ラシェルさんはいつだって暗闇に光を灯してくれるんです。感謝してもしきれないぐらい。……だから、私もラシェルさんが困ったときに助けられるぐらい強くなります。それで、ラシェルさんが殿下と一緒に作るこの国の未来を支えられるようになりたいです」
すっきりと晴れ晴れとした表情に、意志の宿った強い瞳をしたアンナさんの姿が、陽の光を受けて眩くみえる。
もう迷子のような鬱々とした顔をしたアンナさんはどこにもいない。もしかすると、彼女はそう遠くない未来に聖女の力を存分に使うことができるかもしれない。
そう確信めいた何かを、今のアンナさんからは感じさせる。
アンナさんの目の前に立ち、姿勢を正し、自分の手をアンナさんの前へと差し出す。
「私もあなたに出会えて嬉しいわ。ありがとう、アンナさん」
アンナさんはポカンと不思議そうな表情をする。だが、すぐに嬉しそうに顔をほころばせると、私の手をギュッと握った。
「今度の舞踏会、私も大神官様と参加できそうなんです。だから、ラシェルさんの幸せを沢山目に焼き付けますね」
「アンナさんのお披露目にもなりそうね。私も楽しみにしているわ」
「が、頑張ります……」
お互い顔を見合わせて、クスクスと笑いながら肩を震わせる。
すると、ふわっと花びらが舞うように穏やかな風が、私とアンナさんを包み込んだ。