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「マルセル侯爵令嬢、話は全て事前に把握している。闇の精霊王から加護を受けたことも、魔力が戻ったこともな」
私と殿下が陛下の向かい側に座ると、陛下は重々しい空気を気にも留めずに口を開いた。
事前に陛下に私が加護を貰ったことを含めて今の段階で分かっていることは、全て殿下経由で報告している。つまりは、事前に報告済みの事柄は省いて話をするように、ということなのだろう。
「はい。戻った魔力と精霊王の加護に関して……殿下と共にこの国の平穏のために使っていけたらと思っております」
私の返答は、陛下にとって正解だったようだ。満足そうにひとつ頷くと、「そうか」とだけ返された。
きっと闇の力に関しても陛下には報告が済んでいる筈だ。ただ、この話し合いには王族以外の宰相も同席している為、闇の力についてのことには触れずにいたが、どうやらそれで間違っていなかったようだ。
「陛下はラシェルが闇の精霊王から加護を貰ったこと、どのようにお考えでしょうか」
私たちのやり取りを黙って聞いていた殿下が、言葉に棘を含んだ物言いを隠すことなく陛下へと浴びせた。それに焦ったのは私だけで、視線の先の宰相はただにこやかに微笑み、陛下は面白そうに口の端を上げるのみであった。
「喜ばしいことだ。闇の精霊王の存在が明らかになっただけでなく、その加護を受けたのだからな。我が国にとってこれ以上ない程に素晴らしいことだろう」
「マルセル侯爵令嬢は、大神官と相談の上で闇の聖女と認定するつもりですよ。光の対となる存在であれば、それが相応しいかと」
陛下の言葉に補足するように言った宰相の言葉に、思わず目を見開く。
――闇の聖女?
この国では光の精霊王を神と崇めているため、光の加護を受けた者が聖女と名乗ることはわかる。だが、闇の精霊王の加護が果たしてどういった立ち位置になるのか、私自身も陛下がどのような判断を下すのかが心配であった。
陛下の様子をみるに、闇の精霊王を光の精霊王の対……と考え、光の精霊王同様に信仰の対象としようとしているのかもしれない。
私の想像でしかないが、きっと闇の力が想像以上であったことが大きいのだろう。
そうひとり結論付けていると、目の前の陛下は殿下へと視線を向けた。
「光の聖女はこの国に留まり、聖女として尽力すると誓ったそうだな」
「はい。彼女は王家とは別の人生を歩むことを選びましたから、婚姻には口出し無用です」
「報告は聞いている」
陛下は何でもないことのように頷くと、隣の宰相へと視線を動かした。
「陛下は光の聖女が国外に出ることなく、この国に留まり聖女としての役割を果たしていただくことを望んでおいでです。聖女が殿下との取り引きに応じ、婚姻よりも強固な契約を結びましたので、こちらからは特に何も申し上げることはありません」
「そうですか。では、光の聖女の件は約束通りに」
「あぁ、今のところは現状で良いだろうな」
光の聖女……つまりはアンナさんのことであるが、陛下は殿下とアンナさんの結婚にこだわっていたようにみえていたため、あっさりとした物言いに驚いてしまう。
だが、宰相は《婚姻よりも強固な契約》と言っていた。それはつまり、国王陛下と王太子殿下だけが使用を認められた他者との契約の術……それを使ったのかもしれない。
契約内容を口にできないだろうから、どのような契約かを知るのは陛下、殿下、アンナさんだけなのだろう。
殿下へとそっと視線を向けると、未だ厳しい顔で陛下を真っ直ぐに見据える横顔があった。だが、僅かに口角を上げてニヤリと笑うと陛下に向けて、一枚の紙を差し出した。
「これで勝負は私の勝ち、ということで良いですね」
――勝負? 勝ち?
勝ちとはどういうことなのか、不思議に思いながら殿下が陛下へと差し出した紙を見ようと覗き込む。だが、折りたたまれた紙は何が書かれているのかは分からない。
殿下へと視線を移すと、私の視線に気がついたようで「あぁ、この紙が気になる?」と陛下へと向けていた厳しい目元を緩めて、小声で私へと声をかけながら優しく微笑む。
「何だ、マルセル嬢には賭けの話はしていないのか」
「賭け……ですか?」
「やはり知らないようだな」
「後でゆっくりと殿下からお聞きになるといいですよ。殿下がいかにあなたを想っているかがわかりますから」
陛下は口の端を上げるだけで表情だけを見ると依然不機嫌そうではあるが、その声色は楽し気にからかいを滲ませている。続く宰相の言葉は、完全に私たちの様子が興味深くてしかたがないとでも言いたそうな笑みを浮かべている。
そんなお二人の態度に心の中で首を傾げてしまう。
――正直、陛下はもっと厳しい顔でこの話し合いの場にいると思っていた。
魔力が戻り、闇の精霊王から加護を受けたからといって、全てが思い通りに進むとは思っていない。きっと殿下との婚姻も認められることは難しい……そうどこかで感じていた。
だが今の陛下からは、今までのような氷を纏う冷たさを然程感じない。それどころか、僅かではあるが歩み寄る空気を感じるのは気のせいだろうか。
ふと隣へと視線を向ける。
隣にいる殿下の表情は変わらず眉間に皺を深めているが、陛下へと向ける視線には《何を企んでいるのか》という、見極めるような厳しさが窺える。
陛下は殿下へと視線を向けて、ひとつゆっくりと息を吐いたあと、出された紙を手に取り、「サインは後程しておこう」と言いながら宰相へと手渡した。そして、もう一度殿下と私へと視線を向けると、口を開いた。
「其方たちの婚約の話だな。継続で良いだろう」
「……それだけですか?」
陛下の言葉に殿下は静かに、だがはっきりと問いかけた。その言葉には苛立ちが含まれるようにも感じる。「殿下……」と思わず声をかけるが、殿下の陛下へと射貫くような厳しい視線に口を噤む。
「陛下、ラシェルに言うことはそれだけですか」
「何が言いたい。お前たちの望むとおりになったのだから、これ以上何と言えというのだ」
「そもそも私はラシェルとの婚約を継続する意思があったものを、陛下が勝手にマルセル侯爵とラシェルに解消を申し出たのでしょう」
「あぁ、あの時は光の聖女が誕生したからな。だが、お前と約束した通り、マルセル侯爵令嬢が魔力を取り戻し、光の聖女が国に留まるという条件は満たしたのだから婚約は認めよう」
「結局、陛下はラシェルの力も利用しているだけですね」
殿下の言葉に、陛下は片眉を上げながらニヤリと笑うと、「それの何が悪い」と言い放った。
「良いか、ルイ。私は国王だ」
「えぇ、貴方は確かに国王です。今は、ですが」
――今は?
殿下のわざと強調した言葉に棘を感じるのは気のせいだろうか。だが、陛下もそれに気がついたようで息を漏らすように笑うと、肘置きに腕を置いてゆったりと座り直しこちらを向く。
「もちろん、忘れてはいない。勝負は私が負けたのだから、数年後、そう遠くない未来にお前の治世となることを約束しよう」
殿下の治世ですって?
驚きに目を見張る私を他所に、宰相は何も驚くような表情をしていないことから、この話の詳細をご存知なのだろう。
それにしても、先程の殿下の発言、そして今の陛下の言葉から考えると……。
――つまりは勝負に勝った場合は、殿下に王座を譲り渡すということ?
ひとり混乱する私は殿下へと視線を移す。すると、殿下も陛下の言葉に驚いたように目を見開き、唖然とした表情をしていた。
「なんだ、お前は父が約束を反故にする愚か者とでも思っていたか」
「いえ、ですが……」
「はっきり申してみよ」
「陛下があっさりと王座を降りるとは、予想外で……」
「大方、お前のことだから私が国王という椅子に執着しているとでも思っていたのだろうな。悔しがる顔でも見たかったか」
「……っ」
「お前の期待に応えられなくて、それは残念であったな」
殿下が驚くのも無理はない。私だって陛下は国王としての生き方を最優先にしていると感じていた。
そのために、家族を顧みずに国を豊かにし、他国と渡り合える国作りを無理にでも推し進めているように見えていた。
それを殿下との勝負に負けたからといって、あっさりと手放す?
――でも、それって……。さっきからの陛下の言動を考えると、むしろ……。
ひとり陛下と殿下を交互に見ながら、陛下の言動を振り返ろうとしていると、はっきりとした声が目の前から聞こえてきた。
「お前は私がお前のやること為すこと全てを否定するようにみえているようだが、それは違う。この国に利があることであり正しい方向へと導いていけることに反対はしない」
その顔はまさに国王としての威厳を持ち、国に全てを捧げた王としての表情であった。
陛下との話し合いはまだ続きます。