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「先に進もうか」と殿下に声をかけられ、穏やかな空気のまま花のトンネルを抜けると、視界いっぱいに綺麗な青空が広がった。足元には小さな可愛らしい花々が色鮮やかに咲いている。小さな花は道のように列を作り、それを辿ると小さな教会のような建物がある。
「あの建物は?」
「行ってみよう。あの場所にも連れて行きたかったんだ」
私の問いかけに、殿下は優しく頷くとそのまま私の手を引いて建物の前まで案内してくれた。
「小さな教会のようにみえますが、ここは?」
「ここは、ラシェルの言うように教会だね。王族がこの離宮に来たとき、ここで祈りを捧げているんだ」
「そうなのですね」
殿下は私に説明をしながら、扉を開けて私に中に入るように視線で促した。ゆっくりと教会内に入ると、神官もいないこの場所は誰もおらず物音ひとつしない静まり返った空間であった。
それでも、まず真っ先に目に飛び込んできた大きなステンドグラスの美しさに圧倒される。よく見ると描かれているのは光の精霊王のようで、陽の光を受けて神々しく輝いている。
「綺麗……」
「あぁ。このステンドグラスを作った職人は、実際に精霊王を見たのかと思うぐらいに素晴らしいものだ」
「えぇ、召喚の儀での精霊王の神々しさそのままですね」
今でも鮮明に思い出すことができる。あの精霊召喚の儀で現れた光の精霊王の姿を。
誰が見ても明らかなほど、精霊王はその姿に光を纏っており、まさに神とはこのような姿をしているのかと思わずにはいられなかった。
私がステンドグラスに見入っていると、隣に立つ殿下がこちらを振り返る気配に、視線を殿下へと移す。
「そういえば、ラシェルは闇の精霊王に会ったのだったね。どんな雰囲気だった? やはり光の精霊王に似ていた?」
「どんな……」
殿下の問いかけに、何と答えるべきなのかと口ごもる。
「そうですね……光の精霊王とはあまり似ていらっしゃいませんでしたね。どちらかというと、親しみやすくて……最初お会いしたときは精霊王だと気がつかなかったぐらいでした」
「へぇ、意外だな。親しみやすい精霊王、か。それは確かに光の精霊王とは違うようだ」
黒髪の笑顔が眩しい青年のことを頭に思い浮かべるが、やはり目の前のステンドグラスの人物とは全く異なる、としか言えない。精霊王という存在でありながら、近しい友人のような振る舞いに戸惑ってしまった。それでも、あの方は間違いなく私の想像を超える神の力を持つ精霊王なのだ。
そんなことを考えながら、ステンドグラスから視線を外すと、壁に沢山の絵が飾られていることに気がついた。
――何の絵なのかしら。
絵画の中でも一番大きいものがまず目に入り、近くでよく見てみようと足を進めた。すると、どうやら随分と古い絵であることが分かる。
「この絵画は、この国の歴史でしょうか」
「あぁ、そうだよ。この絵が始まりだね。枯れ果てた土地、空から降りてくる天女……これが聖女伝説。つまりは、この国の成り立ちだ」
「これは?」
「こちらは次の聖女が誕生した時だ。光の精霊王から加護を貰っているところだね」
「では、これは代々の聖女の……」
「そういうことだね。この場所は王家の関係者以外は入ることはできない。この絵から秘密が漏れてしまっては困るからね」
なるほど。
私も精霊王の加護を受けるまでは、聖女の力がどんなものか知ることはなかった。
「秘密とは、聖女の力のことでしょうか。こちらの絵に人を癒す様子が……」
「あぁ、そうだ。この力のことが知られたら、国内はもちろん国外にも争いの種が生まれるからね」
光の聖女の力は、作物の成長を進めたり、傷を癒すこともできると聞く。私の闇の力は、枯れたり病気になった植物を元気な状態へと戻すことができる。つまりは、時間の流れを操る力。そのような信じられない力を得ようとし、利用したいと考える者は沢山いるだろう。
聖女の力とは、使い方を間違えれば、国を豊かにするどころか、国を混乱させて戦の種にもなりかねない複雑なものなのだろう。
「だから、国王はアンナさんと殿下の婚約を推し進めようとしていたのですね」
「聖女の力があったからこそ、何度も危険な状態にあったこの国を立て直すことができた。歴代の王たちもまた、国の為にその力を使うように自由を縛ったのだろうな」
「……本当に、そうなのでしょうか」
「え?」
殿下の言葉に違和感を覚える。確かに話だけを聞けば、国の為に聖女を他国に取られないように、そして力を秘密にするために王族と結婚することが最善であったのだろう。彼女たちの意思を無視して。
それでも、その違和感はどこからくるのだろうかと絵画を一枚一枚じっくりと見る。
そして、ひとつの結論に辿り着く。
「どの絵の聖女も皆、幸せそうな顔をしています。……きっと、彼女たちは自分でそれを選んだのではないでしょうか」
「自由に自分の力を使うこともできず、王家に縛られると知って尚、か」
「信じられませんか?」
「いや、そうではない。本来であれば、もっと違う生き方も選べたはずなのにと」
やるせない気持ちになる、ということなのだろうか。殿下は今まで、国にとってメリットや害があるかどうかが大きな基準になっていた。それが国の為とあらば、どんな冷酷な判断でもしていたのだろうし、するつもりだったのだろう。
もちろん、今後も時に非道な判断を迫られる機会は多々あるだろうし、冷酷にならざるを得ない時もある。
もちろん、それ自体が間違っている訳でもなく、為政者としてはひとつの正しい形ではあるのだとは思う。だが、その生き方に疑問を持った時に、殿下は今まで苦しまなくても良かった他者への思いやりを感じるようになったのだろう。
だからこそ切ない表情で絵画を見ているのかもしれない。もしくは、私を重ねている可能性もある。精霊王の力を与えられた聖女たちに、私の今後を。
それでも、殿下は今までと違い様々な可能性と道を模索した上で、最善を選ぶのだろう。そんな殿下だからこそ、私は心から尊敬し、いつだって彼のことを信じていられるのだ。
「力を自由にできないと仰いましたが、少なくとも私は……精霊王から借りている力を自分が正しいと思えることでしか使いません」
私の言葉に殿下は優しく目を細めて「あぁ」と嬉しそうに微笑んだ。
その笑みを見て、ふっと肩の力が抜ける。やはり、殿下もまた私のことを尊重し、信じてくれているのだと。そう殿下自身が言葉で、態度で示してくれる。
だからこそ、私はあなたと共にいたい。
心から、殿下のことが好きだから。
だから、きっと……。
「きっとこの絵の彼女たちも私と同じで、自分の幸せが王族の誰かと共にあったのかもしれません。そう信じることも悪くないと思います」
「あぁ、そうだな」
殿下は眉を下げながら、視線は一枚の絵画へと向けられている。その絵は、幸せそうな顔をした聖女が愛おしそうに赤子を抱き、その後ろでかつての国王が穏やかな顔で見守っている様子が描かれている。
「幸せな家族、仲が良い親子関係があることは知っている。それでも、私はこのように母に抱かれた覚えも、父のこんなにも温かい視線も受けたこともない。……この絵は本人たちが幸せだからこそ、見る側も温かくほっとするのかもしれないな。きっと、私はまだ知らない感情が多いのだろうな」
「私もです。私もこの国のこと、精霊のこと……知らないことだらけです。それでも、殿下に教えていただきましたから。知らないことはこれから知ればいい。遅いということはないのだから。足りないことも悪いことではない。補ってくれる誰かがいればいいのだから、と」
殿下は私の言葉に目を見開くと、目元を赤らめてはにかむように笑った。
「ありがとう、ラシェル。いつだって君が気づかせてくれるよ」
「同じですよ。私も殿下がいつも手を差し伸べてくれて、ゆっくりと歩いてくれるからこそ、前を向き続けられるのです」
殿下は先程までの暗い影の差す微笑みではなく、清々しい笑みで私へと視線を向けた。そして、大切なものを包み込むかのように優しく私の手を握る。
殿下はそのまま私の手を引き、祭壇のほうへと足を進める。
私たちの会話が止まると、一気に静寂に包まれた教会内に、私と殿下の二人分の足音だけが響き渡った。
そして、祭壇前へと着くと一層ステンドグラスの美しさが際立って見えた。今にも飛び出てきそうな程色鮮やかな光を纏う精霊王の姿に、思わず息を呑む。
隣の殿下をそっと伺い見ると、殿下も私と同じように真っ直ぐにステンドグラスへと視線を向けている。
「ラシェル、私はこの国が好きだ」
大きな声量ではなくとも、はっきりと言い放つ殿下は何かを決意したかのように、凛々しい姿でただ前を見つめている。
「この国の民が好きだ」
次に告げた言葉に、ただ黙ってひとつ頷いた。
――えぇ、殿下。存じております。あなたがこの国の為に尽力している姿は私もシリルもテオドール様も近くで見ておりますから。
殿下は誰よりもこの国を愛して、敬っている。民の優しさや強さを知っている。そんな殿下が私に様々な国の姿を見せてくれたからこそ、私はこの国をより愛することができた。美しい姿を知ることができたのだ。
「そして、君」
「私、ですか?」
ゆっくりと私のほうへと振り返った殿下は、甘く熱い視線で私を射貫くように見つめた。まるでその視線に捕らわれるかのように、私は殿下から目を離すことができなかった。
殿下はふっと息を漏らしたあと、視線は私へと固定したままその場に膝をついた。
「で、殿下……何を」
殿下の行動に慌てふためく私を他所に、殿下は更に笑みを深めた。
「ラシェル、君を愛しているよ」
「あっ……」
「命尽きる時まで、君を守り抜く。必ずだ」
「殿下……」
殿下から愛の言葉を告げられたことは初めてではない。それなのに、何故か目元が熱くなり、涙が溢れそうになる。口から出た言葉がかすれて揺れてしまう。
だって……あまりにも殿下の想いが、その瞳から伝わってくるから。
「だから、どうか隣で笑っていてほしい。それが私の幸せなんだ」
「殿下、これ……」
殿下は繋いでない方の手でポケットから何かを取り出す。だが、直ぐにそれは指輪なのだと分かった。
窓から差し込む光に反射するように、キラッと輝く宝石が目に入ったからだ。殿下はその指輪を迷うことなく私の繋いでいた左手の薬指へとはめ、そこへと唇を落とした。
「これは君のものだ」
「もしかして……契りの指輪……?」
信じられない思いで殿下を見つめると、殿下は肯定を意味するように優しく微笑んだ。それに、ただ茫然と自分の左手を顔の前へと掲げた。
指輪の中央に大きく光る宝石。窓から入る光が、宝石に反射してキラリと輝き、それに誘われるままに覗き込む。
すると、そこには殿下の刻印である鷹の紋章。
鷹は、殿下が出生時に与えられた殿下自身を表す紋章である。
そして、契りの指輪とは王家の男子が生涯に一度作ることを許されるもの。自分の全てを捧げ、預ける相手へと贈るものであると聞く。
だがそれを作るには、100日間欠かさず魔力を込める必要があり、時代と共に契りの指輪を贈ることはなくなった。
もう一度殿下へと視線を戻すと、殿下は立ち上がり「君にこれを贈るとずっと前から決めていたんだ」と頬を僅かに赤らめながら笑った。
「ありがとうございます、殿下」
視界が涙で歪む。
殿下の想いが、優しさが……そして私の胸から溢れ出てくる殿下への愛が……。全てが私の胸を熱くする。
殿下へ向けて精一杯の微笑みを向けようとするが、今の私はしっかりと笑っているだろうか。
だが殿下は私の不器用な笑みを浮かべた顔に添うように、両手で私の頬を包み込んだ。
「ラシェル、私の妃。生涯、君を想い愛することを誓う」
その言葉に、私の目から耐え切れなかった涙が一筋頬を伝った。
「だから、どうか私と結婚してほしい」
「はい……はい。殿下、私もあなたを愛しています」
何度も何度も首を縦に振る。涙で殿下の表情をはっきりと捉えることはできないが、それでも嬉しそうに目を細めた殿下の顔が見えるかのようだ。
ゆっくりと殿下の顔が近づく気配に、ただ自然に瞼を閉じる。
その直後、唇に温かいものが触れる。
二人きりの小さな教会。
窓から差し込む優しい光に包まれながら、殿下は私の唇に温かく優しいキスを落とした。
ブックマーク、評価、感想、誤字脱字報告ありがとうございます。
今回更新分を一度消してしまい、遅くなってしまいました。
書き直した結果、何故か前よりも長くなるという不思議。