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母は宣言通りに、その後ドレスやアクセサリーを沢山私の部屋を埋め尽くす勢いで並べ始めた。私はもはや母の着せ替え人形のようで、何着着替えたのかさえはっきりしない。
淡いミントグリーンのドレスに決定した時には、疲れ果ててしまい、ソファーでぐったりと横になってしまった。それでも、満足そうな母の顔を見て、それはそれでいいか、と思い直す。
ただ疑問もある。王宮舞踏会や王妃主催のお茶会ではないのに、何故ここまで気合がはいっているのだろうか、と母に尋ねた。すると、母は「殿下とのデートは久々なのでしょう? だったら殿下が驚くぐらい綺麗な姿を見せたらどうかしら」とにっこりと笑みを向けられた。
そして、当日。
殿下が迎えに来たという報せを聞き、広間へとサラと共に向かう。すると、階段を下りると、いつも同様窓から差し込む陽の光にキラキラと輝く金髪が目に入る。
それだけで胸がドキッと大きく高鳴る。だが、殿下が私に気がついて振り返った瞬間。
私を視界に入れ、殿下が驚いたように目を見開くのが見えた。そして、その後すぐ嬉しそうに目を細めて、微笑みを向けながら私のほうへとゆっくりと歩みを進めてくる。
きっと、今この場に他の女性たちもいたら、皆が殿下に魅了されてしまうのではないかというほど、殿下の微笑みは甘く優しく……それでも瞳に宿った確かな熱を感じる。
「ラシェル、とても綺麗だ」
殿下は私の目の前まで来ると、手をそっと差し出す。その手に添えるように自分の手を乗せると、殿下は笑みを深めた。
私はそんな殿下の甘い熱に浮かされるように頬が紅潮するのを感じる。辛うじて「殿下もとても素敵です」と告げたが、声は震えていないだろうか、と心配になってしまう。
――何故かしら。殿下に会うのは久しぶりというわけではないのに……殿下にお会いするだけでこんなにも胸がドキドキして、ギュっと締め付けられる。
「ありがとう。今日はこんなにも美しい君を独り占めできると思うと嬉しくて仕方がないよ。今日が楽しみだったと思っているのは、私だけではない……そう己惚れてもいい?」
殿下は私の目から視線をずらさないまま、握った私の手を殿下の口元まで運び、そっと口付けた。
「で、殿下」
「どうやら私は自分で考えている以上に浮かれている様だ」
殿下の言葉と手に触れた殿下の唇を意識すると、顔から火が出そうなほど熱くなる。そんな私を優しい顔で見ながら、殿下は楽しそうに笑い声を漏らした。「さぁ、そろそろ行こう」と私の手をひく殿下を、隣で歩みを進みながらそっと見上げる。
私の視線に不思議そうに「どうかした?」と尋ねる殿下に、思わず「うっ」と言葉に詰まってしまう。それでも、いつも殿下からの言葉を待っているだけでなく、自分の気持ちも伝えなければ、とおずおずと口を開く。
「……あの、私も。私も今日を楽しみにしていました」
ふり絞るような私の小さい声に、殿下は僅かに目を見開いた。そしてその直後、頬を微かに赤らめながら破顔した。
殿下と一緒に馬車に乗りながら、そういえばこんな風に気負わずに出かけるのは久しぶりかもしれない、と考える。最近は闇の精霊が住むあの精霊の地のことばかりが気がかりだった。それに、自分の魔力を取り戻すことに必死だったから、朝からずっと殿下のことばかりを考えて、ドキドキして……そんな日を過ごすことがくすぐったく感じる。
視線を殿下へと向けるだけで、すぐに微笑みを返してくれる。殿下との会話や表情を見落とさないように、自分の全部を殿下に集中させる。
そんな時間がなんて幸せなのだろう、とそう思うだけで顔が緩んでしまう。
侯爵邸から出発した馬車は、そんな時間を過ごしている内に、あっという間に離宮へと到着した。先に馬車を降りた殿下の手を借りながら、馬車を降りると、色とりどりの美しい花が視界いっぱいに広がった。
「きれい……素敵なところですね」
「あぁ、ここは300年ほど前の王女がとても愛した離宮といわれている。彼女は若くして亡くなったのだが、この宮の花々はその当時と変わらず美しい花を咲かせるんだ」
「そうなのですね。だから花の宮と呼ばれるのですか?」
「そのようだな。この場所には特別な術がかけられているらしく、他の場所よりも土が良いそうだ」
王宮や貴族の庭園、王立公園など美しい庭園はこの国には沢山ある。
だが、ここはそれとは何かが違う。
綺麗に整えられているのだが、それでもどこか自然というのだろうか。まるで童話の中の花畑に迷い込んだような、そんな自然さがある。
思わず周囲を見渡しながら見入っていると、クスッと微かに笑う声が聞こえて視線を動かす。すると、殿下が「ここにラシェルを連れて来ることができて良かったよ」と微笑んだ。
「こっちに面白い場所があるんだ。行ってみないか?」
「えぇ、ぜひ」
殿下に手をひかれて更に奥へと進んでいくと、そこには隠されるようにひっそりとした小さな木の扉があった。
その扉に迷いなく殿下は手をかざすと、鍵の辺りがぽわっと淡く光る。
「あぁ、これ? これは王族しか入れないように特別な術がかかっているんだ。だから、こんな木のもろそうな扉だけど、実は頑丈で壊れることがないんだよ」
「私も入って大丈夫なのですか?」
「もちろん。さぁ、こっち」
殿下が扉を勢いよく開くと、そこは先程までの整えられた庭とは違い、足元から見上げる空まで一面に草や木、そして咲き誇る花々でいっぱいだった。
「なんて素敵なのでしょう! まるで花のトンネルのようですね」
「ここは庭師が手入れしていないんだ」
「そうなのですか? それなのに、こんなにも生き生きと美しく咲くのですか?」
「あぁ。ここもきっと精霊の力が働いているんだろうね」
なるほど、精霊の力か。
確かに、あの精霊の地と同様に穏やかで優しい気持ちになれる不思議な場所だ。目に焼き付けるように花や草木に覆われた空を眺める。すると、ところどころに隙間から陽の光が差し込んで、まるで光の道のように見える。
「あまりに美しくて……言葉になりません」
「分かるよ。私も幼い頃にここに来た時に驚いた。私が精霊の力を一番最初に感じたのは、きっとここだったのではないかと思うよ」
殿下が差し込む光に手を伸ばす。
すると、殿下の掌を照らす光がキラキラと宝石が舞うように輝く。思わず見間違いかと、瞬きをするが、やはり光の煌めきは変わらない。まるで生きているかのようで不思議な光景だ。
「殿下、ここに連れて来てくださってありがとうございます」
「ラシェル、一緒に来てくれてありがとう」
殿下へとお礼の言葉を伝えると同時に、殿下の言葉が重なる。しかも、2人とも同じような言葉を発していたことで、思わずお互いの顔をキョトンと見合わせてしまう。ジワジワと互いが状況を理解するとともに、思わず笑い声が漏れて肩が揺れる。
「どうやら、同じ気持ちのようだね」
「えぇ、そのようです。殿下、私本当に今とても楽しいです」
「あぁ。それも私と全く同じだ」
殿下の言葉と共に花びらが私たちの周囲を囲むようにふわっと舞い上がった。まるで魔術を使っているかのように私たちに舞い散る花びらに、感嘆の声が漏れてしまう。
優しく甘い瞳を私に向けながら、殿下は私の髪の毛をそっと触る。近くなった殿下にドキッとしながら、下から見上げると殿下が花びらをひとつ手に持っている。舞った花びらが私の髪についていたのだろう。
「どうやら花たちも、私たちを歓迎してくれているようだね」
そう目を細めて私に微笑む殿下に、私は息を飲み目を奪われた。
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長くなりそうなので区切りますが、デートはまだ続きます。
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