110 王太子視点
ラシェルから話を聞いたあと、私は内容を頭の中で整理しようと自分のために準備された客間へと戻った。
ひとりバルコニーから外を眺めていると、夕日が鮮やかに空一面をオレンジ色に染め上げ、心が安らぐ気がした。
「ルイ、大丈夫か?」
「……あぁ、テオドールか」
その時、ノックの音と共にテオドールが入室してきたため、バルコニーから部屋の中へと戻る。そして、既にソファーに座っているテオドールの向かいのソファーへと腰掛けた。
テオドールは気遣うような声を私に掛けはしているが、表情はいつもと同じく涼やかなものであった。
こういうとき、特に実感する。
ラシェルの話に動揺を見せた私とは違い、テオドールはいつだって少し前を歩いていて、大人びた対応を軽々としてくる、と。
「……驚きはしたが、大体は理解したつもりだ」
私の返答にテオドールは「そうか」と頷く。
「でも良かったんじゃない? ラシェル嬢は魔力が戻ったし、精霊王からの加護を受けたとなれば、誰もお前たちの結婚を阻止することはできないだろう。とりあえず、その辺の問題はなくなったんだし」
「あぁ」
そう、良かったことだ。
これは私が望んだ答えであり、ラシェルのことを考えると良かったことなのだろう。
「で、その割りには浮かない顔をしている訳は?」
「浮かない顔をしているか?」
テオドールの言葉に、思わず眉間に皺が寄るのを感じる。
ラシェルのことを考えると、良かったと思っていることは紛れもなく本心だ。だからこそ、テオドールの指摘には心外だ、と思わずにはいられない。
「あぁ、俺にはそう見えるけどな」
テオドールの言葉に、思わず苦笑いになる。この友人にそう見えているということは、きっと自分で考えている以上に浮かない顔をしているのかもしれない。
テオドールには、自分が他人だけでなく自分さえも偽ろうとしても、その心情まで分かっていそうだ。本人に言わせてみれば、《それはない》とあっさり否定するだろうが。
「意外と自分のことは自分では見えないものなのだな」
「あぁ、そういうもんだよ。お前は今までが異常だったんだよ。子供が自分のことを客観的に見て全てを把握しているような顔をしていたからな」
「私にとっては、それが普通で当たり前だったんだ」
「まぁ、生き方なんてもんは人それぞれだ。生まれた環境、家族、出会う人、少しでも違えば同じ人間でも違った考えを持ち、別人みたいになる可能性だってあるからな」
「あぁ。それでも、私という人間自体は変わらないよ」
私が己の感情を持て余すことが増えたのも、他人を思いやる気持ちを持ったのも、全てはラシェルとの関わりが大きい。
私の小さい時を知るテオドールにとっては、私は別人のように見えるのだろうな。
それでも、私が私であることは変わらない。
自分という人格は変わらないが、内面はいくらでも変わることができるのだろう。それを私は、自身の経験で分かっている。
そして、おそらく……。
ふと頭に過ぎった愛しい彼女の姿を思い描き、彼女のことを深く考えこもうとした瞬間、それを遮るかのようにテオドールの言葉が私を現実へと引き戻した。
「お前は何となく分かっているんだろ?」
「何がだ」
「ラシェル嬢のことだ」
テオドールは、こいつにしては珍しく真剣な表情で私へと視線を真っ直ぐに向けた。
「精霊王に加護を受けたこと。それと魔力枯渇は関係があるということだ」
――やはりな。
テオドールのことだから、私と同様の結論には直ぐに辿り着いていると感じた。
そして、テオドールもまたラシェルのことを心配しているのだろう。というのも、いつものからかう雰囲気を微塵も出さずに、核心に迫るのが早いことからして、テオドールが私の部屋に尋ねてきた理由は、この話をするためなのだろう。
「そうだろう、とは思っている。もちろん」
「ラシェル嬢に直接問いただすのか?」
問いただす?
魔力が闇の精霊王が住む精霊の地にあったというのならば、魔力枯渇を起こした2年前に何があったのか。
そもそも、ラシェルがなぜ闇の精霊と契約できたのか。
魔力の鍵がこの森だとどうして気がついたのか。
闇の精霊が時を戻す力であるならば、精霊王の力とは。
パッと浮かぶだけで様々な疑問と、それに対する仮定の答えが自分の頭に浮かぶ。
「……だが、それをラシェルに問いただしてどうなる?」
「疑問が晴れてスッキリするんじゃないか?」
確かに以前の自分であればそうしたのであろう。ラシェルの気持ちを考えずに、国にとってのメリットと自分の知りたい感情だけを優先した。
だが、今は違う。
「そんなことに意味はないだろう」
「なぜ?」
「私にとって、目の前のラシェルだけが全てだ。彼女が諦めずに進んだ道が、ラシェルにとっての今、この道だ」
2年前、彼女の中できっと何か大きなことがあった。それは確信している。それでも、それを聞き出したいとは思えない。
「魔力枯渇の原因がなんであろうと、彼女の歩んできた道のりは消えない」
「あぁ、そうだな」
「きっとラシェルはこの先も、前だけを見て進むのだろう。だからこそ、私がしなければいけないのは、ラシェルを利用しようとする輩から守ることだ」
ラシェルがどんな時に喜び、何に心躍るのか。それを理解したいとは思っても、彼女の全てを暴きたいとは思えない。
彼女を尊重し、困難に真っ先に手を差し伸べられる。そんな男になりたい。
私の言葉に、テオドールは目線を足元へと落としながら、安堵したように息を吐きながら笑った。そのすぐ後に顔を上げたテオドールは、どこかすっきりとしたような清々しい表情で私を見た。
「……良かったよ。俺の予想が合っていたようで」
「予想?」
こいつの言葉は時々説明が足りなくて理解ができない。
今も理解していない私に対して、更に説明するつもりもないようで、笑みを深めた。
「何でもない。お前たちはお似合いだよ。俺の想像以上にな」
「それは……そう見えているなら嬉しいことだな」
「……きっと、お前なら守ってくれると信じているよ」
「は?」
テオドールにしてははっきりしない言葉に聞き返すが、テオドールは「いや、こっちの話」と話を切り上げてしまった。私自身も、テオドールに更に問おうとは思えず、「そうか」とだけ返しておいた。
「それで、お前の予想は合っていたのか? 闇の精霊の力の特性について」
テオドールは比較的早い段階で、闇の力について見当がついているような発言があった。だが確信を持てるまでは報告することは難しいと言われていたため、今まではこんなにも踏み込んだ会話はしていない。
だが、そろそろいい頃合いなのだろう。そう思い、テオドールに話を振ると、テオドールはニヤリと口の端を上げて、頷いた。
「おおよそ。光の力は進める力だ。聖女が使える力というのは、生命の時間を進める力。
植物を通常よりも早く成長させ、人の怪我を早く治す力。
そういう奇跡の力だからこそ、王家……と勝手に知った俺以外は知ることができないのだろ?」
そう、聖女の力は王家にのみ伝わるものだ。
奇跡的な力というのは、国を豊かにすることができるが、反対に国を揺るがす可能性も大きい力だ。
「あぁ。悪用されることも聖女を他国に取られることも、この国にとってはあってはならないことだからな」
ただ、この話はあくまで光の加護を受けし、光の聖女の場合である。闇の精霊と契約を受けたのも、闇の精霊王からの加護を受けたのも、この国の記録上ではラシェルが初めてだ。
だからこそ、彼女に危険が及ぶ可能性があるかどうかを含め、国民への公表など慎重に決めていかなければいけない。
そして、もう一つ。
「闇の力。ラシェル嬢の力がどこまで使えるものなのかが分からないが、もし光の力の反対……ということは」
「負傷する前に戻すことや植物が病気になる前に戻すことができる、と考えられるだろうな」
「精霊王の力を借りる加護といえども、人間が使える術には限度があるだろうけどな」
ラシェルのことを考えながら、意図せず自分の口から笑み交じりの息が漏れる。
「どうした?」
「いや、つくづくラシェルは私の想像を超えてくると思ってな」
その言葉に、テオドールもたまらずといった様子で噴き出しながら「同感」と肩を震わせた。
「で、これからどうするわけ?」
「そうだな。まずは、一番身近な敵からけりをつけるさ」
「まぁ、そうなるか」
「あぁ。ただ、その前にやりたいことがある。それが先だな」
私はそうテオドールに告げながら、きっと今も自分の力に混乱しているであろうラシェルの顔を思い浮かべた。
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