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「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
「あぁ、おはよう。今日こそは見つかるといいな」
食堂で朝食をいただいていると、まだ眠そうに欠伸をしながらテオドール様が入ってきて、私の向かいに席に着いた。
「随分眠そうですね。あの後、しばらく起きていたのですか?」
「まぁね。星が綺麗だったし」
着席するとともに、テオドール様は前に準備された紅茶のカップに口を付けながら、私の質問に答えた。
「私、昨日テオドール様とお話をしたあと、少し考えたことがあるのです」
「何?」
すでに朝食を食べ終えており、食後の紅茶を飲んでいた私は、カップをテーブルに置いて、テオドール様をジッと見つめる。
テオドール様はパンにバターを塗りながら、視線を私へと向けた。
「幼い頃、テオドール様は私にとても親しくしていただいたのですよね」
「……どっちかというと、俺が助けてもらったようなものだよ」
「助けた?」
「いや、何でもない。それで?」
私の問いかけに、テオドール様は頭を小さく左右に振り、話を続けるように促した。
「えぇ。それで……私はその当時、テオドール様と過ごした時間をあまり覚えてはおりません。微かに、年上の面倒見の良い方と遊んでもらったような気がするような、というぐらいなのです」
「あぁ。あまり気にしなくていいよ」
テオドール様は、私が覚えていなくても本当に良いと、本心から思っているのであろう。
軽い口調で言ってはいるが、その言葉の奥には他者を思いやる気持ちがにじみ出ている。
だが、その優しさに甘えて、見えていない部分もあるのかもしれない。
テオドール様があの森で見た光景のように、私が死んだ後に助けようと駆けつけてくれていたのであれば……。
そうしてくれる程の何かが、過去に私とテオドール様の間にあったのかもしれない。
「私は覚えていないことが悔しいです。覚えていたら、もっと違った思い出も、関係性を作れた可能性もありますものね」
「俺は今の関係性も気に入っているよ。前まではさ、どう接するのが正しいのか分からなかった。でも、黒猫ちゃんのこともあって、今のラシェル嬢とも過ごすことが増えてさ。
勿体ないことをしたって、そう思ったよ」
「勿体ない?」
「覚えているとか、忘れているとか。そんなことをこだわっても仕方ないってさ。
今、俺と君はこうして話をしているだろう? それで楽しく会話ができる。それで十分じゃん?」
テオドール様は一瞬私の発言が意外だったようで、目を見開いて驚いた表情をした。だが、すぐに優し気に微笑みを向けてくれた。
「そういうものでしょうか」
「そういうもんなんだよ。忘れたなら、また1から作ればいいよ。新しい思い出も、関係性も」
1からやり直す、か。
テオドール様は、本当に不思議な人だ。
彼は私のように前回の記憶を持っている訳ではないのに、それでも私が安心するような言葉を言ってくれる。
今のように。
「やり直す……命ある限り、ですね」
「あぁ、その通りだな。同じ道は辿れなくても、違う道から繋がる可能性だってある」
私の15歳からの人生も、随分変化した。
前であれば、魔法学園の3学年に進級する直前といえば……聖女への嫉妬に狂い始めた頃だ。
それが、今はクロと契約をしたり、新たな友人もできた。
殿下との関係性も前とは全く違う。
それにテオドール様とも。
前はほとんど関わりがなかったのに、今は親しく話すことができている。
前と同じ道ではないけれど、私は確実に前へと進むことができているのだろう。
きっと今後も全てを正しく生きていくことはできなくても、それでも自分の行動や選択次第でいくらでもその後を変えていくことができる。
改めてテオドール様が教えてくれたことだ。
「テオドール様、ありがとうございます」
「ははっ、こちらこそ」
私が座りながら頭を下げると、テオドール様は穏やかな笑みを向けてくれた。
それに私も同じように笑みを返す。
何だか穏やかな時間だわ。
私たちの間に、優しい空気が流れている気さえする。
だが、そんな空気を一変させるように、食堂の扉越しに何やらガヤガヤと騒がしい音が聞こえてくる。
どうしたのだろうか、とキョロキョロと視線を動かす私をよそに、テオドール様は一切動じることもなく優雅に紅茶を飲んでいる。
「何やら外が騒がしいですね」
「あぁ。……着いたんだろう」
「着いた?」
「見に行っておいでよ。きっと喜ぶよ」
着いた?
いまいち理解ができず疑問だらけの頭のまま「では、失礼します」と首を傾げながら立ち上がる。そしてそのまま食堂の扉を開けて、廊下へと進むと広間のほうに数人の人影を見つけた。
――朝から来客?
そう不思議に思いながら、そちらへと視線を向けると、その人影の中央によく見知った人物が立っていた。
――あっ、あれは!
なぜ彼がここに。
そう冷静に考える頭とは逆に、私の足は足早に進んでいく。
自然と上がる口角のまま。
「殿下!」
そう声をかけると、殿下はゆっくり私へと視線を向けた。
私へと視線を止めると、殿下はとても嬉しそうに目を細めて笑った。
「ラシェル! 会いたかったよ。体調は崩していないか?」
「えぇ、それは……。それにしても、どうしてここに」
私の前まで歩み寄った殿下は、私の頬を包むように両手を当てると、私の顔を覗き込んだ。
そして、私の顔色を見て「良かった。大丈夫そうだね」とほっと息を吐いて胸を撫で下ろす。
「どうしてここに、だったね。実は、これからブスケ領のシャントルイユ修道院に向かう道中なんだ」
「まぁ、でしたら今日はこちらにお泊りに?」
「そうだよ」
殿下の返答に私は随分嬉しそうな明るい顔をしたのだろう。
殿下は私の顔を見て、楽しそうに笑みを溢した。
その時、コホン、と咳払いがしてハッとする。
その音を辿っていくと、どうやら殿下の後ろに立っていたシリルによるものだったらしい。
「ラシェル嬢。卒業パーティー以来ですね」
「えぇ。ごきげんよう」
シリルは殿下の隣へと立つと私に向かって礼をしたので、私も礼を返した。
「殿下の説明の補足をさせていただくと、今回のシャントルイユ修道院での脱走が起きたことで、修道院の警備や人員の再確認と見直しをしていたのです。それがおおよそ済んだので、最終的な片づけをしに現地へと行く途中なのです。
ただでさえ、あの修道院は特殊なので、同じことは二度と起こってはならないことですから」
「まぁ。そうだったのね」
「ラシェル嬢には、怖い思いをさせてしまいました」
「そんな……。私の方こそ迷惑をかけてしまってごめんなさい」
シャントルイユ修道院がいくら問題を起こした貴族女性の行き先だからとはいえ、殿下やシリルの管轄ではないだろう。
それに、カトリーナ様から恨みをかったのは私なのだから、私が巻き込んでしまったようなものだ。
申し訳なさそうに眉を下げたシリルに、私は胸の前で手を左右に振り、否定を口にする。
すると、お互いが顔を見合わせてしまい、思わずクスクスと笑みが漏れた。
シリルとも、あのパーティーでお互いの今後を話したことで、空気が良くなった気がする。
「それにしても……。あらかじめ立ち寄ると手紙で知らせていただけたら……。って、あら?」
そういえば。
先程のテオドール様の様子を思い出すと、テオドール様は殿下が今日お越しになるのを知っていたようだった。
「ルイが来ることは昨日知らせが来ていたよ」
後ろから急に聞こえた声に、思わずパッと振り返ると、テオドール様が相変わらず飄々とした雰囲気で何やら紙を手に持ち、ヒラリとはためかせた。
きっと、テオドール様が今手に持っている紙こそ、その知らせというものなのだろう。
「では、私だけ知らなかったのですか?」
「昨日教えていたら、気になって眠りが浅くなっていたでしょ。今は体力勝負だから、ゆっくり休まないとな」
なるほど。
確かに、昨日は久々にあんなにも歩いたものだから、疲れ果ててあっさりと眠りについてしまった。
でも殿下が来ると知っていたら、嬉しくてドキドキして眠れなかった可能性も……否定できないかも。
「それに、ほら。
今のラシェル嬢の笑顔を見ていたら、サプライズで恋人同士の再会を演出できたのも間違っていなかったと思っているよ」
テオドール様の言葉に、思わず私と殿下は顔を見合わせてしまう。
少し頬に熱を感じるのは、きっと気のせいではないのだろう。
「私は早くラシェルに会いたくて、昨日といわず城を出発した時からずっと君を夢見ていたよ」
「……殿下。恥ずかしいので、あまりそういうことは」
「何で? 心からの想いだ。それに、もっといっぱい可愛らしいラシェルを沢山見ていたい」
シリルのコホン、という咳払いの音に、またもや殿下と顔を見合わせる。
「そういうのはお二人の時にしてください」
「ははっ、そうだな。シリルの言う通り、こんな愛らしい姿を見るには、人が多すぎるからね」
殿下は楽しそうに顔いっぱいに笑みを浮かべて笑う。
でも、私は恥ずかしくて頬に熱を感じてしまう。
「そうそう、ラシェル。さっきレオニーから状況は聞いた。今日も森の探索をするそうだな」
「はい、その予定になっております」
「であれば、今日は私も一緒に同行させてくれないか」
殿下が、一緒に?
「ですが……殿下は修道院へ向かうのでしょう?」
「修道院へは明後日の予定だから、今日は移動もないし騎士たちの休息日にあてているんだ」
「殿下もお疲れでしょう?」
「私は寝ているのは性に合わないからね。だったら、少しでもラシェルの近くにいた方が、疲れも取れてしまうよ」
私の言葉をことごとく笑みを浮かべながら否定していく殿下に、困惑してしまう。
殿下が一緒に着いて来てくれるのは嬉しい。
でも、殿下は今まさに王都から到着したところだ。それを私に付き合わせていいのか……。
悩む私に、テオドール様がわざとらしい大きなため息を吐く。
「まったく、ルイは相変わらずだな。ラシェル嬢、こいつも連れていってやってくれ」
「私は良いのですが……殿下、本当によろしいのですか?」
「もちろん。テオドールには及ばないが、私もそれなりの魔力を持ち合わせているから、存分にこき使ってくれ」
「殿下をこき使うなど!」
王太子をこき使うなど、なんとも恐れ多い……。
そう必死に否定する私に、テオドール様は楽しそうに声を上げて笑いながら「そうしなよ!」と殿下の肩に腕を回した。
「いいじゃん。本人がやる気なんだから。
さっ、あと1時間後に出発だ。ラシェル嬢は黒猫ちゃんにも声かけておいて」
「あっ……はい!」
テオドール様は私にそう声をかけると、足早に客室の方向へと消えて行った。
シリルは「私は領主館に残って休みますから」と宣言しながらジトっとした視線を殿下に向けている。
「ラシェル。今日は見つかるといいな」
私は、本当に良いのだろうか、と視線で殿下へと問いかけてみるが、当の本人からは《どうした?》といわんばかりに、にっこりと綺麗な笑顔でかわされてしまった。
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