102 テオドール視点
ラシェル嬢の足音が遠のくのを感じながら、俺は深く息を吐いた。
――びっくりした。
「……思い出したのかと思ったな」
小さく呟いた声はガラスの向こうの星空へと消えていくようだ。
煌めく星を眺めながら、俺はあの少女に出会った頃の自分を思い返していた。
『化け物! 近寄るな!』
一番仲が良かった友人にそう叫ばれたのは、12歳の頃であった。
いつもニコニコ笑っていて怒った姿など見たことがなく、新しい魔術を見せると『テオドールは凄いな!』と喜んでくれるような奴だった。
誰よりも信頼していたし、とても大好きな友人だった。
ただ、いつも笑顔でいた友人の表情が曇り出したのだ。それは、その友人は祖父の汚職がみつかったことで、同年代の子供にいじめられるようになったからだ。
ある日、そいつが5人ぐらいの同級生に囲まれて、口から血を流して横たわっているのを見た。
その瞬間、今まで感じたことのない程に頭に血が上り怒りが全身を覆った。
助けなければ。
許せない。
俺は、そんな感情に支配された。
すると、俺の怒りに呼応するようにその5人目掛けて雷が何度も落ちたのだ。
幸い……というべきなのか、そいつらには当たることはなく、いじめていた奴らは泣き叫びながら逃げていった。
だが、残された友人に差し伸べた俺の手は、蒼褪めて震える友人によって払われ、『化け物』と拒絶されたのだ。
その時、自分の存在が揺らいだ。
幼い時から優秀な魔術師を沢山輩出するカミュ侯爵家の嫡男として、才能に恵まれ期待もされてきた。
それでも、そんなカミュ家においてでさえ、俺は異質なのだと理解していた。
習った筈のない魔術も自在に操ることができたし、何より精霊の言葉も理解できたのだ。
そんな中で、誰よりも信頼していた友人からの《化け物》という拒絶の言葉は、薄々感じていた異質さを明確にされたような気がしたのだ。
カミュ侯爵家は聖女の血を引くから先祖返りした。
多くの者はそう言う。
だが、そうではない。
聖女の力よりももっと大きな力……そう、例えば精霊のような力。
そんなものが、己の中にある気がした。
己の異質さの答えを見つけようとしたが、その答えは意外とあっさりと見つかった。
それは、件のことがあってさすがに俺も塞ぎ込んでいた時。
父の契約精霊である火の高位精霊が俺に言ったのだ。
『昔ね、聖女と王の間に生まれた女の子と精霊王が恋に落ちたんだ。二人の間には可愛い女の子が生まれた。その子がお嫁さんに来たのが、この家なんだ!
だから、このお家の人たちはみーんな魔力が強い人たちばかりでしょ。
でも、君はもっと特別! 精霊と聖女両方の力を受け継いだみたいだね。普通は精霊の力を受け継ぐなんてことはないんだよ! だから、精霊はみんな君が好きなんだ』
「精霊王の子孫……だと? そんな過去があっただなんて聞いたことがない」
『人の記憶を操作することなど、精霊王には簡単なことなんだよ』
「だったら……なぜ俺にそのことを伝えた」
『だって、君が悩んでいるから。君が悲しいと精霊も悲しい。君が知りたいと願ったから、教えに来たんだよ』
つまりは、俺は精霊でも人間でもない。
中途半端な存在、というわけか。
精霊から伝えられた真実は、12歳の俺が受け止めるのはあまりに大き過ぎるものであった。
それからの俺は、より一層殻に閉じこもるようになった。
常にローブを頭まで被り、人と接することが怖くなった。
こんなにも巨大な力を持った俺が、今度は誰かを本当に傷つけてしまう可能性があると思ったから。
そして、また大切に思っている人から拒絶されるのが怖かったから。
それからの俺の日常は、部屋に閉じこもるか屋敷内の図書室で文献を読みふけるばかりであった。
だが、ある日。
気分転換に庭の奥で、寝っ転がりながら本を読んでいると。
「あなた、だぁれ?」
頭上から少女の声が聞こえて、本をずらしてみる。
すると、そこには6、7歳ぐらいの少女が俺をジッと覗き込んでいた。
「……お前、誰?」
「わたし? わたしはラシェル・マルセルよ。今日はおばあ様と一緒に来たのよ」
マルセル侯爵家の孫、か。
なるほど。
祖母の一番仲が良い友人の孫娘ってことか。
「ここは俺が先にいたの。だから、お前は早くばあ様のところに戻れ」
「いやよ! おばあ様ったらわたしのことを放っておいてお喋りばかりなのだもの」
「それが楽しみなんだからしょうがないだろ」
「それで、あなたはだぁれ?」
適当にあしらったところで、この少女は一向に聞き入れる様子はない。
それどころか、近くのベンチにちょこんと座って、興味津々に大きな吊り目をキラキラと輝かせて俺を見た。
「名乗るつもりはない」
「どうして? あ! わかったわ」
少女は何かを閃いたとばかりに明るい声を出す。
俺は、早くどこかに行ってくれないか、と面倒な視線で少女をチラッと見る。
だが、その少女はそんな視線など気にする素振りもない。
「あなたがフラヴィ様のおっしゃっていた困った孫ね!」
「は?」
「最近は顔も見せてくれなくて悲しいとお話していたわ」
「ったく、お喋りな」
フラヴィとは、俺の祖母だ。
つまりは俺のことを、こいつのばあ様に話していたのを一緒に聞いたのだろう。
「とにかく、俺は子供と遊ぶ趣味はない。その辺に俺の弟がいるだろ。そいつと遊べ」
「嫌よ! 弟って、リアンのことでしょ? リアンったら私に虫を投げてきたの。スカートだって引っ張るし」
「ははっ、それは悪かった。きっとリアンはお前の気を引きたかっただけだ」
「そうだとしても、私はリアンとはもう遊ばないって言ったばかりだもの」
目の前の少女は、頬を膨らませて分かりやすく怒っていた。
確かに弟はやんちゃなところがある。
だが、同い年ぐらいの可愛い女の子と遊んで楽しかったのだろう。
どうにか気を引こうとした結果、嫌われてしまったのだろうな。
そう思うと、可愛くて哀れな弟に思わず同情すると共に、笑いが込み上げた。
「そうだわ! 魔術を見せて。フラヴィ様がリアンのお兄様は魔術が上手ってお話してくれたわ」
「何だって?」
「ね、ちょっとでいいから」
ばあ様も余計なことを。
「無理だ」
自分の手を見ながら、小さい声でポツリと呟く。
あの日以来、俺は魔術を使うことが怖くなった。
また誰かに拒絶されるかもしれない。
巨大な力が、誰かを傷つけるかもしれない。
そう思うと、家族以外の前で魔術を使えなくなったのだ。
「魔術、使えないの?」
「あぁ、悪いな」
少女は不思議そうに首を傾げて俺をジッと見た。
ここまで言えば、もう少女はいなくなるだろう。
そう思い、手に持っていた本へとまた再び視線を移す。
それでも、少女はベンチから離れる様子がない。
不審に感じて、本を若干ずらして少女の座るベンチを確認する。
すると、少女はベンチから立ち上がると、そのまま俺の持っていた本を取り上げてきた。
それに抗議しようと、体を起こして口を開こうとするが、俺が話をする前に少女の明るい声が辺りに響いた。
「それじゃあ、わたしが教えてあげる」
「え?」
――魔術を教える……だと?
まだ王宮でのお茶会に招待される10歳にも満たない子供が、俺に?
あっけに取られて何も言えない俺に構わず、少女は楽しそうに笑いながら話を続ける。
「わたしね、魔力がとってもとっても強いのよ! だから、私が魔術を習うようになったらあなたに教えてあげる」
――何を馬鹿なことを。
魔力が強いといっても、俺にとっては皆たかが知れている。
それに……。
「魔力が強いことは、果たして良いことなのか」
「どうして?」
「普通の人間……俺はそれになりたいよ」
最近はこの魔力さえこんなにも持って生まれなければ。
そう思わずにはいられない。
そうすれば、友人から嫌われることもなかった。
怖がられることもなく、人と一緒でいられた。
「普通って面白いの?」
少女はキョトンとした顔で俺を不思議そうに見つめる。
「私は魔力が強くて嬉しいわ! 特別だもの」
「特別、ね」
特別なんていらない。
俺にしてみれば、多少魔力が人よりも強いこの少女でさえ、俺にとっては普通の人間だ。
「わたしは普通じゃなくてもいい。だって、沢山の魔術が使えるって楽しいじゃない! そう思わない?」
……楽しい?
確かに、幼い時から魔術は俺の周りに当たり前のようにあった。
新しい魔術が使えるようになると、両親に見せた。
すると、『テオドールは凄いな』と喜んで頭を撫でてくれたのが、嬉しかったっけな。
皆に喜んで欲しくて、精霊と遊ぶのが楽しくて……より魔術にのめり込んだ。
それでも……俺は。
人とは違う。
「……化け物なんだ。俺は」
「化け物? お化けとか妖怪みたいなもの?」
「そっ。魔力が強すぎて、友達から怖がられたし、お前よりも何倍も何十倍も強い魔力を持っている」
何故、俺は会ったばかりの。
しかも年下の少女にこんな話をしているのだろう。
そうは思っても、一度呟いた弱音は止まることがなかった。
慰めてほしいわけでも、怖がられたいわけでもない。
でも、もしかしたら誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
それでも、反応が怖くてローブのフードを深くかぶり直す。
だが、俺のそんな弱さは、彼女には全く関係がなかったようだ。
「あなた、そんなに魔力が強いの!」
キラキラとした明るい声色に誘われるまま視線を上げる。
すると、そこには水色の瞳を輝かせて俺を熱心に見つめる少女の姿があった。
「……お前を傷つけるのなんて簡単なぐらい強いよ」
「でも、あなたは傷つけないでしょ?」
「何でそんなことを言えるんだよ」
「だって、リアンみたいにわたしのことをいじめないもの」
少女の答えに思わず口の端が上がる。
そりゃあ、まだ5歳の弟と12歳の俺は違うだろう。
気を引きたくてスカートを引っ張るような真似などしない。
「だって、魔力が強かったら好きに魔術を使うこともできるのでしょ?
いじめるのに使うのも、助けるのに使うのも……どっちもできるよ」
――誰かを助ける為の魔力。
大切な人を守る……力?
思わず、両手を顔の前に出して見つめる。
俺の魔力は、傷つけるだけの力では……ない?
少女の言葉は、ただ真っ直ぐに俺の心に突き刺さる。
まるで、暗闇にたった一筋差した光のように。
俺の心を明るく、優しく包み込む。
そうか。
俺は、誰かにそう言ってもらいたかったのか。
俺の力は異質だけど、恐怖ではない、と。
人間とか精霊とかどうでもいい。
俺の力を、俺を認めてほしかったのか。
「……子供のくせに、いいこと言うな」
「あなただって子供じゃない」
口から、不器用な渇いた笑みが零れた。
「テオドール」
「え?」
フードを右手で外して、少女を見る。
すると、少女……ラシェルは俺の姿を見て、目を丸くしている。
「俺の名前。テオドールだ」
だが、俺が名を告げたのだと分かると、ラシェルは嬉しそうに顔を綻ばせてニッコリと笑った。
その瞳は、その日の青空と一緒でとても澄んだ水色で、綺麗だなとそんな感想を持った。
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さらっと精霊王の過去が出てきました。
次回もテオドール視点が続きます。