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「お久しぶりです。テオドール様、お忙しいところありがとうございます」
私の言葉にテオドール様は優しく目を細める。
するとすかさず、馬車から降りたクロがテオドール様に駆け寄り、『ニャー』と鳴きながらテオドール様の右足に体を擦り付けた。
テオドール様もそれに応えるようにクロを抱き上げると「黒猫ちゃんも久しぶり」とクロの目を見ながら話しかけている。
私もテオドール様へと一歩近づき正面に立つと、テオドール様もこちらへと視線を戻す。
「あの、倒れた私を屋敷まで運んでくださったのはテオドール様だったのですよね。
遅くなりましたが、本当にありがとうございます」
「気にするな。王都でしっかり休めたようだな。良かったよ」
以前、ブスケ領でカトリーナ様に会った時に私は意識を失った。そんな私を王都の屋敷に運んでくれたのはテオドール様だ。
手紙ではお礼を伝えたが、本人に会えていなかったため、改めて感謝を伝える。
すると、テオドール様はクロを片手で抱きながら、もう片方の手で私の頭をポンポンと優しく撫でるように乗せた。
「テオドール様って、私を子供のように扱いますよね」
「そうか?」
「ほら、今も。子供をあやすみたいに……」
「あぁ、悪かった。そういうつもりじゃない。ラシェル嬢が頑張っている姿を見るとさ、つい『よくやってるな』って励ましたくなるんだよ」
――よくやってるって……やっぱり子供に対してするみたい。
そうは思っても口にはしない。先程までテオドール様の手があった自分の頭を手で軽く撫でる。
私の納得してない顔にテオドール様は気づいたようで、目を細めてこらえきれなかったかのように笑みを溢す。
「まぁ、あんまり気にするな。さぁてと、そろそろ探索を始めるか」
「はい。よろしくお願いします」
テオドール様はロジェとレオニー様が準備を終えたことを横目で確認すると、クロを地面へ下ろす。そして、両手を組んで上へと持ち上げてグッと伸びをしながら、全員に向けて出発を告げた。
コースは出発前にロジェやレオニー様と確認済なので、この森に詳しいレオニー様を先頭に私とテオドール様が隣り合い、最後尾にロジェという並びで進んだ。
前回来た時は枯葉も多かったが、今は季節も変わり花の蕾も多く、穏やかで過ごしやすい気候で探索もしやすい。
「やっぱり、向こう側にはいけないのですね」
探索を始めてから2時間。
やはり以前レオニー様が教えてくれた通り、森の奥の一角には辿り着かない。
何かに阻まれるように道が変わってしまうのだ。
私の言葉に、テオドール様はこの森の中でより自然が豊かで花々が綺麗に咲き誇る場所を指さした。
「あそこはきっと精霊が守る何かがあるのかもしれないな」
「精霊が?」
「あぁ。神秘の森と呼ばれる森によくあることだ。
精霊が住まう森や精霊が大切にしている森。そして隠したい何かがある地。
そこに人間が入ることは通常できない。だから、人は入ることのできないその場所を精霊の地と呼ぶ」
なるほど。
真っ直ぐ進んでいるように見えて、道が変わっているように見えるのは精霊の力、ということか。
だが、テオドール様の言葉によると……。
「ここには精霊がそうまでして守る何かがある。……そういうことですよね」
「そうだな」
テオドール様が私の言葉に頷くと、ふと何かに気がついたように手を顎に当てて考え込む。
そしてハッとしたように私とテオドール様の間に立っていたクロへと視線を移す。
「もしかしたら……。
ラシェル嬢。黒猫ちゃんは前にこの森ではぐれたらしいな」
「クロですか? はい。急に走り去ってしまって」
「となると、この黒猫ちゃんは入り口を知っている可能性があるな」
「入り口?」
クロへと視線を向けると、クロは不思議そうな顔で私とテオドール様を順に見た。
「こういった森には、入り口……つまりは精霊の地の中に入るための玄関があるとされている。そこを精霊たちは通るんだ。
だが、全ての精霊が入れるわけではない。俺たちの家と同様に、精霊の地ごとに入れる精霊は鍵……つまりは魔力がその地に受け入れられるかどうかで限られている」
「つまりは、クロが精霊の地に入ったとなると、クロはあの場所に入る権利がある限られた精霊……ということですね」
私とテオドール様から視線を向けられたクロは、『ニャ!』と驚いたようにその視線から逃れるように、後ろから護衛していたロジェの後ろに隠れた。
「さすがに教えてくれない、か」
クロの様子を見て、テオドール様は肩を竦めてみせた。
「でも、限られた精霊しか入れないとなると……私も入ることはできないですよね」
「まぁ、通常は。でも、ラシェル嬢はなぜここに何かがあると確信したんだ?」
テオドール様のその質問に、何と答えるべきかと考え込む。
実はここで一度死んで……なんて言えるはずもない。
だが、こんなにも協力してくれているテオドール様に、全てを秘密にしておくことの方が失礼な気もする。
「実は……。私、意識を失っている間に夢を見たのです。いえ、夢というより……実際にその場にいたと思っていたのですが」
「それで?」
「えぇ。その夢の間に、あの精霊の地に入っていたのです」
「なぜ精霊の地の中でも、ここであると分かった?」
「……一度来たことがあるので。それに、この森ではぐれた筈のクロが現れて、私を案内してくれました」
さすがに、テオドール様に伝えられることはここまでだろう。
その後の話をすることは、過去の出来事も話すことになってしまう。
テオドール様も、ロジェやレオニー様も私が一度死んだことなど知らないのだから。
だが、私の話を聞いたテオドール様は「へぇ」と興味深そうに腕組みしながら相槌をうった。
「それは本当に夢じゃないのかもな」
「え?」
「精霊が何らかの働きかけをして、この場にラシェル嬢を呼んだのかもしれない」
「精霊が……。でも何故?」
「それは分からない。だけど、これで分かった。
きっとラシェル嬢はあっちに入ることができるよ」
「本当ですか!」
「だけど、そのためには入り口を見つける必要がある。きっと黒猫ちゃんの様子からすると、ヒントは与えてはくれないだろうな。自力で見つけろ、ということだろう」
入り口を見つける……。
でも、どうしたらいいのだろうか。
思わずクロに対して乞うような視線を向けるが、クロはプイっと顔を背けてしまった。
そんな私たちのやり取りに、テオドール様はおかしそうに笑い、「まぁまぁ」となだめるように私に声を掛けた。
「数日はかかると思うけど、森の中で黒猫ちゃんの魔力が変化する場所を探してみよう」
「私に分かるでしょうか……」
「どうだろうな。でも、他に方法はないよ? 諦める?」
弱気な発言をした私に対して、テオドール様は微笑みを浮かべたまま鋭い視線を向けた。
――諦めるですって?
「いいえ、諦めません」
「よし。だったら隅々までこの森を調べよう」
私の返答にテオドール様は、視線を穏やかなものへと変えて、ひとつ頷く。
そしてテオドール様は、ロジェのほうへと体の向きを変えて「ロジェ、この森の地図出して」と声を掛けた。すかさずロジェは鞄の中から地図を出すとその場に広げる。
レオニー様も加わり、時間を確認しながら今日一日で回る場所を決め直しているようだ。
私もその輪に加わろうと足を出すと、『ニャー』と足元にクロがやってきたのがわかり、しゃがみ込む。
クロはどこか居心地悪そうに弱々しい声で鳴く。
そんなクロを励ますように頭を撫でると、クロは嬉しそうに私の手に頭を擦り付けた。
「クロ、大丈夫よ。あなたにも色々と事情があるのよね。
これは私が見つけ出さないといけないことだって分かっているわ。
だから、気にしなくてもいいのよ」
『ニャー』
どうやら、クロはこの中の誰よりも様々なことを知っているらしい。
それでも、その答えを私に伝えることはできないようだ。
そして、そのことに罪悪感があることもクロの様子から窺える。
安心させるようにクロの頭を撫でると、クロは満足したのか、私の手から離れてテオドール様のほうへと駆けていった。
「結局テオドール様のほうに行ってしまうなんて……。本当にクロは調子がいいんだから」
でも可愛い、と小さい声で呟く。
クロの様子に、思わず頬が緩んでしまう。
その時、サァーっと風が通り抜け、私の髪を揺らす。
それは精霊の地の方角から流れてきた風である。
まさに、私がこれから行おうとしていることを監視し、応えるかのようであった。
ブックマーク、評価、感想、誤字脱字報告ありがとうございます。
気がつけばもう100話!驚きです……。