第十九話 「蝶」
アリアとクロエは地上へと続く階段を全速力で登っていた。周りの者達を追い越し、ただひたすら進む。
この階段は普段なら割と自由に登れるほどの余裕はあった。
しかし、ゾンビから逃れようと地下街の住民でごったかがえし、薄暗い通路は逃げ惑う者達の汗と熱気でさらに見えづらくなっており、すぐ近くにいるクロエの声を聞き取るのでさえやっとだった。
「暑い」
「もうすぐで地上に着くから 頑張って」
「...うん」
随分と登ったはずだ。これならあともう少しで地上にたどり着けるだろう。ウィルが後方の者達を吹き飛ばしたお陰で人混みに潰されることはなく、なんとかここまでは来れたが。
後ろを振り返ってもウィルの姿はなかった。
あとで合流するといった話はしていない。ただクロエの逃げ道を確保するということだけ。
ウィルは『天国草』も摂取してないし、ゾンビに襲われることはないだろう。あのギャングの拠点にいた者を信用するなら。
アリアの心の奥底に形容しがたいモヤモヤした感情が生まれ始めていた。
(ちゃんと来れるわよね... 子供じゃないんだし...)
地上もおそらく混乱状態に陥っているだろう。ゾンビの数体ならアリアでも対処できる。
ただ治安維持兵はどうだろう。こちらも信用しがたいギャングからの情報だが、嘘ではない気がする。嘘なら嬉しいことに変わりないが、考慮しておかなければならない点だ。コルノン市のギャングは攻撃魔法の威力とレパートリーが治安維持兵に比べ劣っている。それはそもそも貧困層が多いこの街で攻撃魔法を学べるような環境がないという要因によるものだ。それにしては独学かどっかから盗んできたのか知らないがよく使いこなせている方だとアリアは思っている。
クロエがいる中、治安維持兵と戦うことは愚策だ。空を飛べるアリアなら逃げる方が賢明な判断だと言えよう。
「地上だあ!」
目の前を走っていた男の声につられふと前を見ると、白い光が薄暗い通路に差し込み始めていたことに気づいた。
「あともう一踏ん張りよ」
アリアは若干フラついていたクロエを励まし、一緒に地上へとつながる出口を目指した。
徐々に点だった光の塊が大きくなり、外の切り抜かれた景色が姿を現す。
「やっと出れたわ!」
暑い通路から抜け出し、決して涼しいはずはない空気を全身で浴びると体の中に溜まっていた悪いものが抜けたような感覚を味わった。
寂れた住宅街がそこには広がっていた。
最後に地上の景色を見たのはいつだっただろう。アリアは長らく地下街で暮らしていたのでもうほとんど覚えていなかった。出ようと思えばいつでも出られたのだが、人間主導でありアムソトラル王国と敵対関係であるデヴォルカス共和国のそれも廃れた市の地上に出ようと思うことは一瞬たりともなかったのだ。
アリの大行進のごとく階段を登っていた一行は地上へ出ると皆、おもいおもいの方向へ散り始めた。
「クロエちゃん お母さんのところに行きましょ 案内してくれる?」
「あの崖を登ったところに家がある」
「わかったわ じゃあ落ちないようにしっかり私に掴まってねっ?」
「え?」
アリアはクロエを抱きかかえると己の翼を広げ勢いよく空へと羽ばたき出した。
「キャーー!」
「ねえ さっきも飛んだじゃない ギャングのところで」
空に浮かんだことに驚いたクロエにアリアは驚いてしまった。ついさっきギャングの拠点内でクロエを抱えて飛んだばかりだと言うのに。
「あの時の....ことはっ! あまりおぼえてあいわっああ!」
「フフフっ」
アリアは笑ってしまった。クロエが可愛く見えたのと正常なところまで意識が戻って来ていることの安堵を交えて。
眼下には荒れ果てたコルノン市の街並みが広がっていた。
さまよい続けるゾンビの群れから逃げる者、戦う者。今この街にはどちらかの者しかいない。それに該当しない者達は『ゾンビ』へと成り果てる。
ただ、
「ねえクロエちゃん いつもとこの街は変わってる?」
「.....異常なところは変わってないかな...」
「あら....」
予想通りの答えだった。最初から地獄みたいなコルノン市の地上にゾンビがトッピングされても大差はない。
地上では至る所で惨劇が繰り広げられているが、そもそも『天国草』を過剰に摂取していなければ、こんな事態には陥っていないのだ。
しかし、クロエの様子から判断しておそらくお母さんも中毒者なのだろう。
今ここで、不満を口に出すべきではないとアリアは肝に命じた。
翼に力をさらに込め、二人はさらに上昇する。
教会によく似た建物の間を通り抜け、崖を越えると
スラム街があった。
「あの太い通りをそのまま進んで」
「あの通りね 行くわよ」
心の中の毒針をしまったアリアは汚れたスラム街の上空を颯爽と飛んでいく。
クロエを家族に合わすために。
ーーーーーーコルノン市。貴族側外壁。
「ん? 空を飛んでる奴がいるな」
「流石、特級将軍 感知能力は随一ですな。私らでは全く見えませんぞ」
「ジャン司令 貴殿は迎賓館で茶でも飲んでいなさい。何かあったらどうする?」
「ヴァークナイト特級将軍殿 意地悪はもうよしてくれませんか これでも指揮官の地位までは上り詰めたのですよ」
「ハハハ! すまんすまん つい昔のクソ後輩と同じく接してしまった」
「クソ先輩はいつまでも変わりませんな どうですか?久しぶりの陸地は そろそろ魚から昆虫程度には進化するころですかな?」
「そろそろ進化する頃だな.... それはそうと今回は生きが良いのが多いな 楽しみだ」
「ギャング組織全てを総動員させて『ゾンビ』化しておりますので その成果が出始めましたか」
「『ゾンビ』などなってしまえばどれも同じではないか。俺が言っているのはまだ生きている住民の方だ。能力値が高い者が数人確認できるのでな」
「ゾンビになるまで見守りますか?」
「それはつまらん。俺は主催者ではないが、一応人事的な役割も持っているからな.... あいつらは俺が確保しよう」
「何かあったらどうするのですか?」
「これは一本取られたな あとで茶でもご馳走してやろう。 久しぶりの陸地くらいピチピチ暴れさせろってんだ」
「承知いたしました」




