85話
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他人を『怖い』と感じるようになった切っ掛けは何だろう……?
ぼんやりとそんな疑問に脳ミソをひっくり返してみると、一番上に積まれた過去は幼稚園児くらいの時に観たサスペンス風のミステリー映画だった。
確か、週末の九時頃とかにテレビ放映された実写映画で、恋人だか妻だかを殺された犯人の連続見立て殺人を探偵役の主人公が解決する……そんなカンジのストーリーだった気がする。
うん、今にして思えば大したコトなんてないありきたりな倒叙ミステリーだったんだけれど、チビな頃の僕にはそれがどうしようもなく恐怖だった。
いや、確かに復讐に狂った犯人がさも愉しそうに嗤いながら人を殺していったりとか、アリバイトリックの為に被害者の身体をバラバラに切り刻んだりとかしてさ、ソレがちょっと古い映画にありがちな生々しい表現で描写されてて怖かったよ?
うん、それだけでも十分恐ろしかったし、実際その映画を最後まで観た当時の僕はソファーの上で縮こまって震えてたよ。
まあ、チビッては無かったけどね。
だから、仕事で夜遅く帰ってきた父さんが『コレはフィクションだよ。何も怖いことなんて無いよ』って、優しく頭を撫でながら慰めてくれもした。
でも、僕はその言葉で更に恐怖を煽られたよ。
だって、僕がホントに怖いと感じたのは、この猟奇的な殺人とそのトリックの全てを誰かが考え付いている上に、その全てを不特定多数の人間が知れてしまうってコトについてだったんだから。
しかもその最初に考え付いていた『誰か』は、父さんの言葉によって『画面の向こうに居る殺人鬼』から『現実の世界に実在する顔も分からない誰か』になっちゃったんだよ。
怖いよ、そう思うと今でも怖い。
だってそうでしょ?
その恐ろしい『誰か』が、脅威の『不特定多数』が、すぐ隣に居るかもしれない。
その『誰か』や『不特定多数』が正体不明である事を良いコトに、僕自身は勿論、父さんや母さんや兄さんを背後から害するかもしれない……その恐怖は、こんな不安に辿り着いてしまうんだから!
ああ、もう、怖い怖い……
僕の不信には、そんな幼少期のおもいでが根底にあるんだと思う。
そう、結局は他人を信用していないからこそ他人を恐れていて、他人を恐れるからこそ他人を信用できないって言う『鶏と卵どっちが先?』理論になるワケで、だからその反動で父さんや母さんや兄さんと言う他人ではない人達に依存してしまうんじゃないか、と自己分析してみたり……
まあ、幾ら分析して原因を突き止めたトコで、ソレを治す努力をしないと――いや、それ以前にその治す努力に意義を見出せないって時点で、もう無意味ではあるんだけどね。
遥か先を往く兄さんに少しでも追い付こうとしているのに、それを蔑み疎んで自分はテキトーにやってるフリをするだけ、それどころかコチラの足を引っ張るだけで何も成そうとしない学生共。
父さんと母さんが持つ力を恐れて醜く無様に遜り、子供相手にも顔色を窺うプライドの欠片も無い教師共……こんなヤツらに一体どれほどの価値がある?
……いや、まあ、我ながら中々酷い選民思想だとは思うけれども、父さんと母さんと兄さんが飛び抜けて優れているって言うのは純然たる事実だからネ。
仕方ないネ☆
とまあ、こんな与太話自体がそもそも無価値だ。
前振りはこの辺にして本題に移ろうか。
まあ、つまり僕は軽めの人間不信と、父さんと母さんと兄さんへの軽度な精神的依存を患った極めて幼稚な精神の持ち主なワケなのです。
でもって、だからこそ――いや、それだけじゃなく、魔物に魔王が奪って殺して痛めつけてくれたお陰でイロイロとマトモならざる精神状態にさせられてたから、だから死者の復活だなんて言う荒唐無稽なコトに挑戦しちゃってるワケで――
ん?
アレ?
そう言えば、なんで僕はこんな脈絡の無い自分語りの過去語りになんて興じてるんだ?
…………、……………………? ………………………………………………!! そっか、そう言うコトか!!
夢は気付けば覚めるもの。
いつまでものんべんだらりんと揺蕩っていられるほど現実は甘くも無ければ優しくも無いってね。
さあさあ、気付いたからにはココで閉幕~、いや寧ろ開幕かな?
それではそろそろ目覚めの時なりー(棒)、なり~(某)、なり――(望)?




