172話 DEMvsタイムリーパー編 その四
『幻想楼閣』――超能力者界隈でのマスターの渾名がこんな中二チックな物だと知った時は、つくづくキャラの濃い人だと感心したものだ。
いや、笑いを堪える必要もあったけれど。
由来は勿論、五感情報ならなんでも発信できると言う強力なテレパシー能力から。
マスターが本気でこの能力を使えば、蠅を龍に見せることも沼地を花畑に見せたりすることもできるらしい。
完全催眠かな?
そしてこの日、先輩と俺へ研究所への注意喚起をするべく呼び出し、喫茶店も午前営業を休みにしていたマスターは、研究所勢力の襲撃や俺達への尾行を防ぐべく結構力を込めて能力を展開させていたそうな。
曰く、先輩や俺みたく招いた相手以外には、そもそも喫茶店バンジョウを認識できなくなっていたらしい。
まあ尤も、先輩の超能力者感知センサーみたいな、五感以外の感覚を誤魔化すことはできないらしく、マスターもそうした超感覚で探り当てられる可能性は想定していたとか。
だから、一番早くその『来るはずの無い来客』へ対応できたのもマスターだった。
「――っ!? 伏せなさいっ!!」
その鋭い声が自分達に向けられたものだと理解できたのは、マスターの声に一早く反応した上に置き去り状態だった俺を引っ張って座席から引き摺り下ろしてくれた先輩のお陰だった。
先輩の小さな身体が発揮できる程度の膂力では到底不可能なアクションは、恐らく念動力も併用してこそ成立したのだとは思うけど、普段の先輩からは想像もできないその強引さ――必死さが、遅まきながら俺の中の危機感を呼び起こすのにも一役買ってくれたのだと思う。
ただ、目まぐるしく変わる視界から外れてしまった所為で、マスターとリンさんがこの時何をしようとしていたのかは分からなかった。
そして、それを知る機会もすぐに失われることになる。
マスターの一喝の直後から、複数の重くて硬い足音が店の出入り口から幾つも殺到していたけれど、『グッ!?』とか『ガッ!?』とかの単音の苦悶の直後にゴミの詰まったビニール袋が幾つも積み上げられるような音が連続していた。
それを聞いて、『何かが起こっている』と漠然とした緊迫感に追われながら押し込まれたカウンターの下から店内へと視線を向けようとした直後、至近距離で雷が炸裂したかのような轟音が店内を席巻した。
それと同時に発生した凄まじい突風――衝撃波によって、俺の身体を押し込んでいる先輩共々カウンターの奥へと叩き付けられることになった。
『――――』
ふと気が付くと、やけに身体が重い。
視界が点滅して、耳鳴りがする。
『――――……』
瞬きを繰り返して段々と焦点が合ってきた視界に、見慣れた茶髪に彩られた小っちゃい頭が見えてきた。
『――――!!』
あ、目が合っ――
「――コーイチ君!!」
――ハッ!?
意識飛んでた!?
「――せ、先輩!? 一体何が――」
「話はあとっ!! 目を閉じてっ!! そのまま付いて来てっ!!」
は……?
なんでそんな――
どうやら無意識の内に先輩をカウンターとの激突から庇ってたらしい自分を自画自賛する間も無く、念力も使って有無を言わせず立ち上がらせた先輩は、そのまま俺の手を引いて走り出そうとしていた。
が、しかし、だ。
こんな訳の分からない状況で目なんか閉じれるわけが無い。
ただでさえ――店の窓際が壁ごと吹っ飛んでいて、床にはガラス片や材木、壁材の破片なんかが散乱している悪条件。
しかも、何か――これまでのループやルートを通しても嗅ぎ慣れない臭いが鼻を突いて――
――――ッッッ!!!!!!
「コーイチ君!?」
縺れた自分の足に躓いて這い蹲った俺は、しかして立ち上がることができなかった。
臭いの源泉、その正体を直視してしまったからだ。
俺や先輩のように細かな破片を浴びたまま横たわったリンさんは腰から上が消えていて、その消えた上半身と思しき破片と赤い飛沫や水溜りが店内のあちこちに――それこそ、入口の辺りで一固まりになって倒れている真っ黒な覆面達の方にまで飛び散っていた。
その、非現実的過ぎるのにどうしようもなく現実であると突き付けてくる惨状に、俺は吐き気を抑えることができず……
この致命的な遅延が俺達の結末を決めた。
「コーイチ君!! だめ!! すぐ逃げないと――っっっ!?!!!!」
蹲る俺の背を擦りつつも焦燥に駆られる先輩が無音の悲鳴を上げた――直後、再びの轟音。
しかし、今度はあの文字通り吹き飛ばされるような衝撃は襲って来なかった。
初対面の時にしたように、店の外へ向けて掌を突き出した先輩が不可視の運動エネルギーを放ったのだ。
見たところ、先輩は俺と先輩自身を包み込むような半球状に念力を展開しているらしく、その外側では店を滅茶苦茶にしたのと同一と思しき暴虐が巻き起こっていた。
店内に残っていたテーブルや椅子、瓦礫が津波で押し流されるかのように店奥へと吹き飛ばされていくのは勿論、標的となっているらしい俺と先輩が低い位置に居る所為でFPSでしか見たことが無いような装備の覆面達とリンさんの遺体までもがバラバラに千切られながら吹き飛ばされていく。
「――――せ、せんぱ、い……ッ!?!!!!」
胃の中が空になっても収まらなかった吐き気の所為で酸っぱ臭い口元を乱暴に拭いながら先輩の方を見遣る。
見上げた先輩の横顔は明らかな消耗で蒼白になっており、大粒の汗と血涙がこの力場の展開に死力を尽くしているのだと示していた。
「よく……聞いてっ、コー、イチ君っ」
途切れ途切れに紡がれる言葉がまるで先輩の命を削り取っているかのようで、思わず耳を塞ぎたくなるような衝動に駆られた。
しかし、この状況で先輩の意思を踏み躙る真似ができるわけも無く、俺は今にも倒れてしまいそうな先輩の、それでも前を見据える力強い横顔をただ見上げることしかできなかった。
「今、すぐっ、能力を……使って。それでっ……君は、家から、一歩も出ずにっ、今日を過ごして……」
「――――……そ、れは……」
逃げて忘れろ、ってことか?
こんな――こんな救いの無い結末を放置して?
「……君はっ、気にしなくて良い、から……これは私達の、問題でっ……なのに、君をっ……巻きこん、じゃって……」
恐らくは超能力者センサーで見据えていたであろう敵の存在から視線を外した先輩が、俺の方へと振り向き――
「――――ごめんね……コーイチ君……」
……絶対に、一生忘れられないような――絶対に、一生させちゃいけない表情で、俺に別れを告げた。
…………………………心に、火が付いた。