102話
いやあ、吹き飛んだ吹き飛んだ♪
目算七メートルぐらい行ったかな。
ちゃんとゴミ袋も破かないように魔力加減できてるし、ちょーじょーちょーじょー……ってアレ?
なんでソッチ?
『確実に騒音を止める』んじゃなかったっけ?
あれれぇ……?
「…………オイ、さっさと立て」
んでもって、なんで他人ちゃんなんかに話し掛けちゃってるの?
しかも、ナチュラルに上着パサァとかしながらさぁ?
なして突然フェミニズムに目覚めちゃってんの?
そもそも、ついさっきまでほーりつとかどーとくとかりんりとか全部無視して、『不快な声聞かせやがって』なんて動機でブチブチコロコロしようとしてたよね?
あっるぇぇぇ……?
「――――っぅ、ぁ……あ、あり……っ」
と、何一つ意味を成してない声を吐き出しつつ、震えを抑えられないまま身体を起こそうとしている女子さん。
いやうん、メンド臭いから起き上がらないで、喋らないで、息しないで。
ほら~、無駄に話し掛けたりするからだよ~。
もう今度こそ黙らせるしか無くなっちゃうよ~?
どーすんのさコレぇ……
なんて、頭の中では今すぐバックレる気満々になってるのに、何故か足はこの場に縫い付けられたままで口も勝手に動きやがるし。
オイコラ辰巳~?
「いいから、早く立て。コレはアンタの敵だろ」
などと宣いながら、壁に叩きつけられてそのままキモ汚い汗で張り付いたと思ったら自重でずるずると落ちてきたゴミ袋を拾いに行って、そのまま鷲掴みで持ち上げた不細工な顔面を掲げて見せちゃってる。
しかも、マットに座りっぱなしな女子さんの目線に合わせてワザワザしゃがみ込みながら……
うん、何言ってんの?
何やってんの?
こんな汚ッサンなんてばっちいからポイしなさいポイ。
「――ゥ…………っ――ぃ――」
「――ひっ……」
ほ~ら~、やっぱり怖がらせちゃってるじゃん。耳障りな肉声の悲鳴が漏れてるし、汚物もなんかまだ息してるし。
こんな状況で、これ以上どうするつもりなのさ?
などと、思考とは全くの別方向に突き進む肉体を何処か他人事のように眺めてると、カタカタと震える女子さんに痺れを切らしたのか溜め息が漏れ出た。
「はぁ……何で、んな悠長に構えてんのかね? いいか、コイツはアンタを害した敵だ。んなコト、ワザワザ言うまでもねえよな?」
オレの問いにコクコクと首肯を返してくる女子さんだけど、やっぱり未だ多大なストレス環境下にある所為か、ツンと刺さるような臭いが漂って来てるからやっぱり不快だ。
ま、臭いで言えば、今掴み上げてる汚ッサンの方がオレからの暴力に晒された分のストレス臭に加えて、タバコと酒と加齢臭がブレンドされた悪臭があるからず~っと酷いけど。
「でもって、コイツはこの法治国家で実力行使に出るような、モラルも共感性も想像力も欠落した魔物モドキだ。となれば、だ。例え、今この場を逃れたとしても、今後一生アンタを脅かし続けるのは想像に難くない。当然だな。アンタにはコイツを退けられるだけの力はねえし、こんな状況下に於かれちまってるって時点で、ソレを回避するだけの知恵やら機転やら意思やらも欠如してんのは明白だ。コイツにしてみたら、まさにカモネギだろうよ」
な~んて気持ち良さそうに語りながらも、『――ぅ、ぁ……』とか呻く汚物が気に食わなかったのか、持ち上げた頭蓋をガッツンガッツン床に叩きつけまくって――って、待って待って! 死んじゃう死んじゃうって!
ただでさえ、血とか汗とか涎とか鼻水とかが飛び散ってグチャミソに汚いってのに、折れた歯が飛び散ってホントにもう酷い状態だよ……
目の前の女子さんも涙目でメッチャ怯えながらドン引きだよ。
どうすんだよコレ、魔法使わないと収拾付かないじゃん。
魔力もったな~……
ま、『父さんと母さんと兄さんはも|う居ないってのに、こんな魔物モドキがのうのうと息してる現状』ってヤツを目の当たりにし続けてるおかげで魔力ドバドバだから、別に主観干渉の一発や二発ぐらい屁でもないけど。
「で? どうすんだ? アンタはソレで良いのか? これから、一生こんなヤツに脅かされ続ける人生を送りたいのか? トイレでも風呂でもベッドでも、とにかく一人になった拍子に、コイツに襲われた記憶がフラッシュバックする――そんな一瞬も気の休まる瞬間も無く、悪夢に魘され続ける人生……そんなのがお望みか?」
相手の脳に刻み込むようにゆっくりと重く抑揚を効かせて語られる言葉に、女子さんは頭上に『!』なんてオノマトペを浮かばせているかのように大きく目を見開いてから、フルフルと力無く、ただ確実に、首を横に振った。
ソレを見てオレは満足そうに唇を大きく引き裂いて見せると、既にまっ平らに潰れ切った顔面を手放して床に広がった歯の浮く血溜まりの上に捨てた。
そして、
「なら立て。立って踏み潰せ。自分の手で敵を斃せ。そうしねえ限り、アンタを苛む悪夢は一生醒めねえぞ」
悪魔が人を唆すかのように、或いは踏み絵を強要する役人のように、横たわる汚物を差し出した。
……………………なるほどね。
なんでオレがこんな『他人を諭す』なんてらしくないマネに出たか分かった。
似てたんだ、魔王に父さんと母さんと兄さんを奪われた自分と。
重なったんだ、魔界で魔物に捕まって食肉解体された自分と。
今女子さんに言い聞かせた話も、魔界でオレ自身が体験した経験談だね。
ま、魔界にホテルなんて無かったから『トイレでも風呂でもベッドでも』の部分は例え話だろうけど。
ただまあ、確かに間違いは無いね。
死に体だったオレの目の前で兄さんを奪って悠々と高笑いしながら去ってった魔王の姿――アレは今でもはっきりと思い出せるし、一生忘れるコトは無いと思う。
薄暗い地下厨房の天井からオレを釣り上げてゲラゲラ嗤いながら刃を入れてきた魔物共も同上だ。
でも、ソレを思い出して苦しむコトも一生無いね。
だって、ソイツら全部オレの手で確実に殺したから。
ソイツらの死もまた、この目に確と焼き付いてる。
ソイツらがもう二度とオレを脅かすコトは無いと分かってる。
だから、今は平気ちゃんなワケだ。
いや、そうでもないか……
少なくとも、目の前の自分と似た状況に追い込まれちゃってる女子さんに余計な御世話をしたくなる程度には影響されてるし。
多分、苦痛だと認識しないレベルでも何かが微かにオレの心でさざ波立ててるんだろうね。