056.随感随筆、あるいは
056
人付き合いというのは、大変なものだ。
誰しもが当然のように行っているその実態を前に、僕は舌を巻かずにはいられない。
相手の話を聞いて、それについて自分なりに考え、自分をもってして答える――しかもそれを、人と居る間中……一日中繰り返す、だって?
そんなものと同列の容姿を持っているということさえ、本当に恐れ多い。
人間の誰しもが、そんなことをなす才能をもっているというのだったらば――僕はやっぱり、人間ではないのだろう。
そうだとすれば僕は、《僕》なのだ。
* * * * *
気付けば数分が、数十分が、数時間が――一日が。経過していた、という経験は、案外誰にでもあるものなのかもしれない。
夢中になって走り回った校庭や、大好きな作家の新作小説を読んだ布団の上や、流れ落ちる汗にさえ気を払わないで没頭した対戦ゲームを思い出してくれれば、大多数の人は、賛同してくれるのではなかろうか。
そしてそんなことを言うからには勿論、僕にも似たような経験がある――すでにその頃には、僕は《僕》になっていたのかもしれないけれど――宿題もせずに近所の公園に集まって、我を忘れて野球をしたような、そんな経験が。
我を忘れて。
そう、我を忘れて、だ。
それは、今の僕には、決して許されていないことだ。
我を忘れて――その自分はどこへ行く?
――わからない。
また帰ってくる保証のない自分を手放しに信じることなんてできるものか。
手放してしまうことなんて、できるものか。
だから僕は意識する。自分というものの存在を意識する。ちょっとの隙さえ作らないように、常日頃から絶えずに意識する。息も絶え絶えになりながらも意識をし続ける。
今の僕には、息をすることよりも意識をすることが大切で。
意識の絶えないために息が絶えてしまうことさえ、下手をすれば許してしまうほどだった――
長起きて顔を洗って口をゆすいだら伸に呼ばれるままに朝ご飯を食べてそれは焼き鮭と味噌汁と漬物だったけれどそのまま伸に連れられて学校へ向かいそのときに履いていた靴は二日前に伸が買ってきてくれた物で履き心地は中々良くていくらだったのか聞いても答えてはくれなくてそうこうしているうちに学校に着いたのでいつも通り先に行ってしまう伸を見送ってふと意識した左手の痛みに首を振って自転車を止めていると風下とたまたまバッタリ出くわしてそのまま教室へ向かってそのときに話した内容は今度やる文化祭の話だったけれどちなみにその出し物は実はお化け屋敷に決まっていてありきたりと言えばありきたりなその内容は廃病院の一室で起こったことという設定になったらしいという情報を彼から聞きながら階段を一歩ずつ踏みしめていくと教室に着く前に十三人の生徒とすれ違ってその内の三人は確か僕と同じクラスだなと思ったわけだけれど特にちゃんと名前を覚えてもいなかったのでそのまま見て見ぬふりをして教室に着くとそこはやはりいつも通りの教室で榎木さんのおかげで僕に意外とではあるのだけれど好意的に話しかけてくれる人も少なくなくてその一人一人への返事を《僕》に横取られないようにしながら無理に言葉を紡いでいくとなんとなく以前よりも言葉が出しやすくなった気がして舌の滑る口の中にちょっと嬉しくなってすぐに福井先生が教室に入ってきたのでこのことは昼休みか放課後にでも話そうなんて思いながら――
――世界の気候は「ケッペンの気候区分」によってA,B,C,D,Eの五つに大分されかつその中でも細かい区分がなされており最寒月平均気温と裁断月平均気温がその指標の一つとなっておりこれは農耕限界となる温度とも絡んでくる話ではあるのだが各気候区分にはそれに準じた植物があり北から針葉樹落葉広葉樹常緑広葉樹であり局地的にはオリーブなどの硬葉樹が見られる地域も――
――アボガドロ定数とは1molの物質が内包する粒子の個数でありその値は6.0×10^23とされておりこれはこの数だけ集まった炭素12が0.012kgとなるように設定されておりここでmol数に関して理解のしづらい者はダースと同様に考えてみるとわかりやすくこの問題文中では――
――行くはかきくくけけの四段活用であり射るはいいいるいるいれいよとなる上一段活用であるがこれは数が限られているので覚えることが推奨されていて残りは着る似る煮る干る見る鋳る居る率るであり覚え方はひいきにみいるなどが一般的であるためそのように――
――放課後に風下に部活に顔を出さないかと言われてでもまだ仮入部員なんだしと返しつつ実際に入部することを決めかねている自分との折り合いはまだつけられていなくてそれよりも今は一刻も早く僕になりたくて校庭を走る伸を眺めてそれと同時に彼女と併走する女子の姿にも気付きそしてその女子のことを《ハナちゃん》と呼んでいた伸の笑顔を思い出しながらどうやら《ハナちゃん》には病弱で休みがちな双子の弟が居るらしいとも聞いていて男女の双子とは珍しいと思ったことを割と新しく覚えていて――
――どさり。
部屋の扉を閉め、敷きっぱなしにしていた布団へと倒れ込んだ。叔母さんからはよく注意されるが、今日はたまたま大目に見てもらえたようだ。
――――――
自分でも驚くほどの深く長いため息の後に、枕へと顔を埋める。
驚愕と、困惑と疲労と――その混沌の中で、次に何を思えば良いかと考える。考えられる。たった一人になった今だからこそ、今だけは、ふと、意識を意識しなくてもいい。
「疲れた」
それは、今の僕が精一杯に発した、本音だった。
そしてどうしてこんなことをしているのかも忘れて、生き延びるためにしていることなのに、こんなことをしているくらいならいっそ消えてしまいたいなんていう馬鹿な感情がこみ上げてきて。
「なんなんだ……《僕》って奴はよ……」




