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僕の中にあなたはいますか  作者:
《3》迷鏡失墜
53/59

053.一口両舌、あるいは




053


「鏡……くんっ!」


 引き絞っていた弦を話しながら、風下は言う。


「それで、何本目だ?」


 滴る雫を袖口で拭って、彼は弓を持ち替える。指の運動のつもりらしい。

 僕も……たしか、百二十本目? の矢を巻藁に打ち込んでから、一息つく。すでに床の色はかなり濃くなっていた。外はもうすでに夕暮れ時のようだ。


「ああ、聞くまでもない……のかな、この場合は。俺は今のが百二十本目なんだけど……」


 諦めたように、というか当然のように、《(かれ)》は首肯する。目の前の風下(じぶん)との一致を肯定する。


「……《()()》って、実際どんな感覚なんだ? 俺の行動を(うつ)して、矢を打ってたってことなんだよな?」


 彼は苦笑のような、責めるような、困惑するような、葛藤するような、そんな目で僕を見る。

 その質問に対して、ただ一つのシンプルな答えを返すことは、今の僕にはとりあえずのところ無理そうだった。

 実際に、弓を引くという感覚はあるのだ。それに付随した疲労感も同様に。学校での練習に使っていたゴム弓とは打って変わって強く張られた弓に、最初は驚いて咄嗟に腕を戻してしまった。驚いたというのはこの場合、そんな弓をこともなげに引いていた言売先輩に対しての驚愕だ。伸のときと同様に、そこに存在する途方もない《差》を前に、尻込みしてしまった。もしかすると、未だ完調とはいかない左腕の疼きに、かもしれないけれど。

 対して僕の射型に――否、《(かれ)》の射型について、僕が関与している部分はほとんどといって良いほどになかった。言売先輩でもその差異を見いだせなかったであろう、模倣能力。

 発言に関しての決定的な決定権はなく、しかし発言の内容を発案することはできる――


 動けるのか動けないのか。

 話せるのか話せないのか。

 見られるのか見られないのか。

 信じられるのか信じられないのか。

 こんな不可思議な状況の中で僕は――いや、こんな不可思議な状況そのものである《僕》の中で僕は、《僕》にどう寄り添っていくことができるのだろうか。


 その答えは、まだ出ない。


「鏡君もわかんねー……か。ま、そりゃあそうだって話でもあるんだけどよ。《()()》がなんなのか、自分でわかっているくらいなら、こんなところに来てこんなことをせずとも……」


 流石に失礼だと気付いたのか、彼は口を噤んで扉の方を見やる。もし今の会話を弓道部員、ましてや言売先輩に聞かれでもしたら大目玉を食らう――いや、だから、()()()()()()、のだったか。そこまでを含めて、底までを含めてこそ、先輩の()()なのだから。


 * * * * *



「先輩は……多分、心が読めるんだろうな」


 ――は? 風下の思いもよらない一言に、僕は、本当に僕は、声を上げてしまった。


「心が、読める、って……一体、何を言ってるんだよ……そんな、超能力じゃ、あるまいし」


 言って、我ながら馬鹿な反応をしたと思った。僕は今の今まで一体何を見てきたのかを、何を知ってきたのかを、全て無視したかのような己の言葉に辟易した。一体何を言っているんだ、は僕の方だろうに。

 それでもしかし、彼は僕の意見を無下にするわけでもなく、ああ、と気づいたように言葉を選び直す。


「そうだよな、違う。そんな便利な才能(なにか)ならもっと――。まだ考えてる途中なんだ、混乱させちまったらごめんな。《勘》についても、どうも冴えなくって……」


 彼はまた正面に向き直って、弓をつがえた。

 でも――弓を放つと再び彼は僕へと向き直る。忙しい奴だ。


()()()()()()()()()()がある……よな? 心が読めるかどうかはともかく、どこか何かがおかしい。鏡君も、そんな気がしないか?」


 ……たしかに僕も、彼と同じそれをどこかで感じていた。

 自ら語った生い立ち、今日までの練習風景、話し方、教え方、後輩部員へのあたり、今日の台詞、その言葉の選び方。

 なにかのなかになにかがあるようなないような。

 何か――矛盾、している?


「矛盾――そうだな、そうかもしれねえ。先輩の言っていた言葉と、やっていることとが食い違っているのかも……でも、なにが? って話だな」


 先輩は――昔から弓道をやっていて、最初は無理矢理だったけれどだんだんと好きになっていって、今ではどころかそれを強要した母親のことを尊敬すらしていて、高校二年生の先輩で、後輩に優しく、その失言にも寛容で――いや?

 何かが、引っかかった。

 いや……だが、それはあまりにも、憶測に過ぎない、憶測に過ぎな過ぎる仮定だった。

 

 先輩は、弓道に対して真摯じゃない。


 もっと言ってしまえば、適当だ。

 弓道をつまらないなどと言うのか? 僕達の無知を笑って許すものなのか? 無作法を、無礼を、見逃すものなのか? 大事なのは行為そのものであるからと、呼び名や形式を軽視するものなのか? そもそも、矢が打てるよ、などと初心者を誘うものなのか?


 ()()は、あなたがこれまでの人生を捧げてきたものであるはずなのに。


 あまりにも的外れな事を考えているというのは僕が一番よくわかっている……の、だが。一度そう考えてしまうと、言葉の一字一句や態度、表情、事細かな仕草まで、全てそれに当てはまるような気がしてきてしまう。

 勿論僕が知る先輩の全てがそれに当てはまるわけではないし、僕が知る先輩が先輩の全てではないということもわかっている。

 しかしどうだろうか、一つ二つの憶測に過ぎないあれやこれやが、隠し込んだその内から、漏れ出してしまっていたものだとしたら? 今の先輩ではなく、本当の彼から、溢れ出てしまっているものなのだとしたらどうだろうか。

 弓道とわかり合った《彼》ではなく、未だ弓道に縛り付けられている彼だとしたら。

 そしてそのうえで自分を欺き、気分を騙って、()()()()()()()()()()()()()()なのだとしたら――


 その《(にせもの)》はまるで、《僕》と(おんなじ)じゃないか。


 * * * * *



「そろそろ今日の練習は終わりだけど……どうかな、何本くらい打てたかな」


 同時に最後の一矢を打ち込んだ風下と《僕》は、同時に振り返った。

 扉を開けて、その向こうから先輩が顔を出していた。その奥では他の一年生がせかせかと片付けを始めているのが見てとれる。


「ああ、先輩……ええと、今ので百七十本目です」


 一歩、先輩と僕との間に立つようにしながら、彼は言う。諦めきれない、という気配が声からしみ出しているのがわかった。《僕》のことや先輩のことはどうあれ、自身の興味として、とりあえず一度は、矢を射てみたいということなのだろう。


「おお、結構頑張ったね。思いのほか大変だったでしょ? 二人とも同じくらいなのかな」


 僕を見る先輩の視線を遮るように、風下は返す。


「ええ、そうです。こいつあんまり運動しないくせに、結構頑張ってたんですよ」


「ふうん……そうか。……二百本とは言ったけれど、どうかな、ちょっとだけでも、あっちの的で射てみるかい? このままじゃああまりにも不完全燃焼だろう」


 先輩の好意に、風下は肩を竦め、チラリと僕の方を見た。

 それは、やった! 矢を射られるかもしれないぞ、鏡君! といったものでは、きっとない。

 ()()()()

 先輩がそう言うであろうということは、なんとなくわかっていた。

 風下がそれでも約束ですから、と断ろうとするのを今日一日頑張ったんだから、とかわして、矢を打たせようとしてくれることも、わかっていた。


「君は……どうする?」


 先輩と目が合う。先輩は笑っていたが、そこに何か弓道に対する愛みたいなものは一切見えなかった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そんな風な心が、手に取るようにわかった。


「いえ、結構、です」


 絶対の意思を持って僕は、そう答えた。




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