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僕の中にあなたはいますか  作者:
《2》迷鏡失意
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037.屈 折姫の注釈




037


「さてさてそこのなにがなんだかわからないであろう鏡君」


 風下が部屋を出ると同時に、折姫さんはその顔を僕の前へとグググと近づける。壁を背にして胡坐をかく僕は逃げることも避けることも出来ずに、壁に背中を押し付けるかたちになる。


「折姫……さん」

「お、良いね。話せているね。僕が()()()()したせいで君が消えたりしなくて良かったよ。分の良い賭けってわけでもなかったからさ。だからこそ、徐々にというかたちをとるほかなかったわけだが……あいつに嗅ぎつけられたのはまずかったな。一気にカタを付けてしまうか、もっと段階を踏んで行うべきだったのかもしれない」

「あの……えっと……」

「ああすまない。なにがなんだかわからないよね。今から順を追って説明するよ。大サービスだぜ? これから君は、そういうのは自分でやることになる」


 にいと含みありげに笑って、折姫さんは続ける。


「君に話しておくことは三つある。前回《君》を――《鏡現》をつまびらかにしたときと同じように、解答を披露してあげよう。ただし解説は省くよ。《理由》は説明するけれど、《理由の理由》までは説明しない。現代文の試験にくっついている語句の注釈程度に考えてくれていい」


 まず一つ目――折姫さんはビッと人差し指を立てる。


「※1.ボクの差異能――(イコール)屈折姫(くっせつき)》。()()()()()()()()()()()。ボクは《鏡現》に入射する外部からの光や、《鏡現》から反射した外部への光を微妙に()()()()()ことで、鏡君という個を《鏡現》という差異能から少しではあるが切り離した」


 物事を屈折させる差異能――《屈折姫》――?。

 折姫さんの言葉を借りて言うならば――

 名は体を表すとはこのためにあると言っても過言じゃないくらい、だ。


「《鏡現(きみ)》が反射だとするならば、《屈折姫(ボク)》は屈折というわけだ。……全く面白い話だよね。ボクがこんなふうに屈折してしまうことは、どうやらこの名前を授かったときから決まっていたことらしい。ボクからしてみれば――迷惑極まりない話だよ。神がいるならそいつを憎むね」


 憎むなどとは言っていながらも、その表情に激しさは見られない。それがなぜなのかは、今の僕にはわからない。

 そしてなんとなく流してしまいかけたが――流されてしまいかけたが、物事を屈折させる、だって? そんな超能力じみた力を、彼女は持っているっていうのか?


「へい、鏡君。ボクの話に驚いたとか、それは違うというリアクションをくれるときは、ぜひ声に出して言ってくれたまえよ。ボクには君の表情を窺い知ることができないんだからね」


 黙りこくってしまった僕に違和感を覚えたのか、彼女は助け船を出してくれる。僕はこれ好機とばかりに質問をする。


「折姫さんは、そんな超能力みたいな、そんな風な力を持っているっていうんですか?」

「うん、そうだね」


 即答だった。


「おいおい鏡君、流石に今更だろう。ボクが部屋をあんなにきれいに照らし出していたっていうのに――まさか気付いていなかったわけはあるまいね?」

「……」


 気付いていないわけがなかった。

 折姫さんと会うたびに煌びやかに照らし出される室内――今まで、それは彼女が用意した簡易プラネタリウムかなにかだろうと無理矢理納得していたのだが、彼女はそれを自分自身でやっていたと言っているのだ。


「ま、ありゃ本物の星じゃあないけれどね。本物の星だっていうんなら少しロマンチックだったかもしれないが……ボクの部屋にある光源から都合した光を星に見えるように捻じ曲げ折り曲げしていたのさ。光源が無けりゃ《屈折姫》はその力を失うも同然だからね。あはっ、いざとなったら(こう)(げん)でなんとかするかな、なんちゃって」


 一段落とばかりに笑う折姫さんだったが、僕からの質問はまだ終わってはいなかった。


「《屈折姫》――でしたっけ、折姫さんはそれをどうやって使えるようになったんですか?」

「君では理解できないよ」


 またも即答だった。


「そして他の誰にも理解することはできない――ボクが《()()》を理解できないのと同じようにね。鏡君、君はさ、なぜ自分が歩けるかを説明できるかい?」

「なぜ、歩けるか……?」

「いやいやマジに捉えることはない。ボクのちょっとした持論だよ。さっきも何回か言ったけれど、ボクは《自分を理解できるのは、いつだって自分自身だけだ》と、そう考えていてね。これはそれの延長線上の話なんだ」


 折姫さんは一旦言葉を区切ると、僕の部屋の中を軽く歩き回って、再び僕の前に戻ってくる。


「言われるまでもなく、ボクたちは筋肉や骨を用いて歩いている。それらに指示を出しているのは脳だね――大脳とか小脳とか、細かいところは知らなくとも――そういうことは理解している。そうだね?」


 僕は頷いて――から、思い出したように「はい」と肯定する。《僕》の首肯は折姫さんに見えていないかもしれないと思ったからだった。


「でもそこに感じる感覚というものは各個人のものだ。どんな器具を使おうとも、誰が何かをどう感じているのかを判別することはできない。君は日々、二対の手足を使って過ごしているから、それを自由自在に動かせるだろうけれど――例えばある朝目覚めて、自分が一匹の毒虫に為っていたとしたらどうだろう? ――ん? はは、別に毒虫じゃなくても構わないさ。《変身》を例に挙げておけば格好いいと思っただけだ。読んだことはないよ──で、そんな風に毒虫に為って、無数の足を手に入れた君は、最初の内はまともに起き上がることすらできないかもしれない。そりゃそうだよね。いきなり鳥人間になったとして、十全に飛べるわけもない。そしてその後毒虫から人間へと戻った君は、友人にその時の感覚のことをきっと説明できないだろう。なにせ相手は人間なんだ。毒虫じゃあない。そういうことだよ。ボクにとっての《屈折姫》は体の一部の様なものなんだ。体っていうよりももっと抽象的に、心とか言った方がしっくりくるかもしれないね。《屈折姫》はCTスキャンをしたって映りゃしないし、薬を飲んで治るようなものでもないだろう。君の《()()》にしたって、伏郎の《屈伏ぷー》にしたって、そんな感じだろう? 差異能ってのは得てしてそういうものなのかもしれないな――やや早計な気もするがね」


 尋常じゃないくらいに足の速い伸、他人の意のままそのものとなって自分を殺す伏郎さん、そして物事を屈折させる折姫さん。そして、自分を他者そのものへと昇華させる僕。それらは根本的に違っていて――さなが別の生き物の如く違っていて、そこに相互理解の余地はない。そう、折姫さんは言っているのだ。


「わかるかな? ボクの、個人主義というか――所詮、他人は他人なのだという主張が。その出所が。元来生物なんていうのは個体によって全く別の存在なんだよ。種類や種族なんてのも、似た奴をまとめて管理するための括りに過ぎない」

「だから折姫さんは――風下のことを嫌っている、ということですか?」

「それはやや不適切だな。ボクは別に個人としてのあいつはそこまで嫌いじゃない。嫌っているのはその価値観と、その力だね」

「力……」


 折姫さんの主義に反するという、才能――


 じゃあ次に行こうか、二つ目――折姫さんは人差し指に次いで、ビッと中指を立てた。




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