035.確執は確実
035
「おじゃましまーす……久しぶりだな、シンの家に来るのは」
風下はそう言って靴を脱いだ。
玄関の扉を閉めて、傘を脇に置いておく。二時過ぎまで強めに降っていた雨はほとんど霧雨になっていた。
幸いなことに(なのか?) 伸も叔母さんも家にはいなかった。伸は陸上部で、叔母さんはきっとスーパーのパートタイムに出ているのだろう。男親がいない分、叔母さんの苦労はいかばかりか、といったところだった。
いきなりクラスメートが家に来るとなって気を使わせてしまいかねないことを考えるとやっぱり、《幸いなことに》なのかもしれない。
そういえば風下と伸とは知り合いみたいだったけれど(シンとか呼んでいるし)、叔母さんとの面識はあったりするのだろうか。あるいは、折姫さんとの。
「で、鏡君。部屋はどこなわけ? 一階にそんな場所なかったろうし……じゃあ二階? あぁ、ノーの部屋使わしてもらってるってわけね。なるほどだ」
彼はスリッパも履かずにダダダダと階段を駆け上って、伏郎さんの部屋の扉をばたんと開ける。勿論その目に入るのは以前と同じ空っぽの部屋だけである。
僕がゆっくりと階段を昇り終えると、彼は部屋から不満げに顔を出す。
「鏡君……あんまり人の趣味にとやかく言うのもなんだけどさ――人の趣味にっつーか、人の無趣味に? 少しはなんかやりたいこととか見つけた方が良いんじゃねえの? ノーじゃあるまいし、流石にこれが鏡君の部屋だってんなら正直引くんだけど……」
つか正直引いてるわ、とでも言いたげな身振りを黙殺し、僕は部屋へと向かう。というか風下は僕のことを伏郎さんみたいな人間だと思っていたのだろうか。いや、あながち間違いではないけれど。
僕は部屋の戸を開けて、風下に目を向ける。
「あぁ、なるほど。鏡君が使ってるんだ、そこ」
――ん?
それは、どういう――
「あ、どうもお姉さん。お邪魔してます」
僕の、何か些細な疑問は、部屋中が煌びやかに包まれるに際してその機会を失った。
* * * * *
「鏡君……なんでそいつを連れて来たんだい。答えてもらおうか」
自室のボールチェアの代わりなのか、僕の敷布団を何枚か重ね折りして作った即席椅子に腰かけて、折姫さんは言う。その目は――以前は常に微笑を湛えていたはずのそれは、明らかに僕のことを睨みつけていた。
「すみませんお姉さん、急にお邪魔してしまって。今日のことは俺が提案したことなんですよ。鏡君に無理を聞かせるかたちになってしまって……」
「敬ってもいない相手に敬語を使うなよ。むしろ侮辱だよ、それは。――ボクを馬鹿にしてるっていうんだったら今すぐ帰れ」
「こえーこえー、じゃ、楽に話させてもらうぜ、姉さん」
「姉さんって呼ぶな、なれなれしい。……で鏡君、今のは本当かい?」
風下と折姫さんとの面識はあるのか、という疑問の答えはどうやら十全に《イエス》だったようで……しかしその間柄はといえば、とてもシンやらヒメやらと呼び合えるような仲とは言えそうになかった。折姫さんが一方的に風下を嫌っているだけなのかもしれないが。
そこまで考えて、折姫さんに対しては《僕》が返事をすることはないということに思い至り、咄嗟に「はい」と言葉を紡ぐ。
「……」
彼女は聞こえるか聞こえないかくらいの舌打ちを風下に飛ばして、再び僕の方へと向き直ると、あきれたような声をあげる。
「――ったく、こうなるのが嫌だったから、結構きつく言っておいたつもりだったんだけどね。鏡君にも、そしてお前にもだ」
――《自分を理解できるのは、いつだって自分自身だけ》
折姫さんは風下に目線をちらと向ける。
「《フクのとき》に言っておいたはずだよな、今後屈家のことには関与するなって……忘れたとは言わせないよ」
「勿論、忘れちゃいない。でも鏡君はそのまま文字通り屈家の人間じゃない。鏡家の人間だ、そうだろう?」
「詭弁だね」
「住んでいればその家の人間だとでもいうつもりなのか? でも僕はうちに居候しているノー――伏郎のことを一度としてうちの人間だと思ったことはねーな。ノーはあくまで屈家の人間だ――そうだろう?」
「……はっ! 甘やかすでもなく突き放すでもなく――お前のそういうころが嫌いなんだよ、ボクは」
「まぁいいじゃねえか。物事には流れってものがある。今はそういう流れの最中だったって、それだけの話だろう。教えてくれよ、鏡君について。あんたはわかっているんだろう? わかっていて、それを鏡君と共有していたからこそ、鏡君は今日俺を家に連れて来たし、そのタイミングであんたが出てきたんだ――違うか?」
風下とそこそこに古い付き合いであろう折姫さんは、僕と彼とを交互に見やって、ふうとため息をついて、語りだす。嫌々という風に。僕はまだ知らなかったけれど、もしかしたら《こういう場面で相手に譲ることが無い》みたいな風下の性格を、彼女は知っていたりするのかも知れなかった。
そして語る。
僕のことを。
《僕》のことを。




