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僕の中にあなたはいますか  作者:
《2》迷鏡失意
31/59

031.サイノウの懊悩(鏡 現の場合)その三




031


 叔母さんから結構雑な治療を受けて、少し早めの食卓に着く。抑える頭は、未だに少し痛んだ。傷が悪化したというわけではない――その痛みには、患部を思い切り叩くだなんてとんだ荒療治もあったものだ、という抗議の意味が多分に含まれていた。目線の先には朝食を作る叔母さんの姿。あの人には、いくら目で訴えても何も意味が無いようにも思えた。

 実のところ、もう一度布団(昨晩寝たのは床の上ではあったが)に戻って惰眠をむさぼりたいという気持ちもあったが、すっかり冴えきってしまった眼を再び微睡ませるのも骨が折れそうだったので起きておくことにした。

 見ると、時計の針は未だ五時半を差している。

 眠気眼を擦りながら食事の準備を進める叔母さんには悪いが、たまの早起きもいいものだと感じた。

 なにか手伝おうかとも思ったが、いいよいいよと欠伸を噛み殺しながら言われてしまった。まだ僕は客人扱いなのだろうか。特に感じる所があるわけではないが、ただ席に座って出てくる料理を待つというのもなかなかに落ち着かない。こんな待遇、一週間もすれば終わると思うけれど。


 これも――こんな感情も、僕の差異能……《僕》が生み出した結果なのだろうか。

 流されやすいという僕の性格は――とらえようによっては空気を読めて場のことを考えられるというそんな性格は、僕のものではなく、そして僕のためのものでもなかった。

 《僕》の、《僕》による、《僕》のための僕。

 同じような言葉を残したのは、たしかリンカーンだったか。人民の人民による人民のための政治――人民をただ手厚く擁護したそれは、どうしようもなく人民でないものに厳しい。

 手厳しい。

 それは政治そのものに対してだって同じことが言える。人民のための政治が、必ずしも良い政治だとは言えまい。反対する人民がいないというだけのことだ。多数決――人民の大意が政治という一個を支配してしまっている。これでは独裁国家と同じだ。弾圧し、支配する側が一人なのか大勢なのかという違いしかない。少数派にしてみれば、支配される側に回ってみればそこに差は無い。

 心配するものなど――誰一人としていない。

 同じように、今の僕だって、《僕》によって支配されていた。

 僕には、僕を心配することくらいしかできない。

 《僕》を手玉に取って支配することなど、到底かなわないのだろう。


 * * * * *


 伸とともに朝食を済まして玄関の扉を開けたのは、いつもより相当早い七時過ぎのことだった。

 特に何もすることが無かったから――といってしまえば少し寂しいが、初めて徒歩で通学するから念のためという気持ちがあったのも確かだった。こんな左腕ではまともにハンドルを握れるはずもないし、そのまま転んでまた怪我をしては目も当てられない。恥の上塗りで、傷の上重ねだろう。

 塗りたくるのは傷薬だけで十分だった。


「大丈夫ゲンちゃん? 手とおでこ、痛くない?」


 伸はそんな風に、隣を歩く僕の顔を覗き込む。そのひそめた眉は、僕を心配してのものなのか、走って登校できないという不満からくるものなのかは判然としなかった。


「昨日の学校でのこともそうだけど……ゲンちゃん、昨日の夜、なんかあった? すっごい叫んでたよね?

喧嘩――とか? その、あたしそういうのに鈍くって、悩み事とか! 人が何で悩んでるのかとか、全然わからなくて……引っ越してきたばかりで不安なこととかあると思うけど! 困ったことがあったら、あたしにも相談してね」

 ――力になるから。


 そう、たどたどしく言った彼女の言葉は決して嘘ではないのだろう。無理に気遣いをしているような、そんな口ぶり。

 でも残念ながら彼女のそんな提案を飲むことは、当分の間できそうになかった。

 僕でさえ流されることができずに、現実を受け止められず、もやもやとした気分でいまここにいるのだから、解決策もなしに彼女にまで相談をするべきではない。相談することは、相手を否応なく巻き込むことである――と、そんな風なことを、昔の偉人が言っていたような気がする。


 巻き込むべきではないだろう――彼女は日向の人間で、僕は日陰の人間だ。もしかすると日陰ですらない、その間――鏡の中。

 そして正直なところ、僕が悩みを打ち明けたところで――全速力で先へと進む彼女にとっては、後ろを向かないと歩けない人の気持ちなんてわからない、と、そう思う部分もあった。

 

 才能と差異能は、きっと相容れないのだから。




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