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僕の中にあなたはいますか  作者:
《1》僕のサイノウ
28/59

028.合わせ鏡




028


 僕は――僕だけは大丈夫だと思っていた。

 クラスの不良の言いなりになっても、高校入学を前にいきなり叔母さんの家に行けと言われても、差異能とかいう荒唐無稽な力が備わっていると言われても、多重人格だと結論付けられても、大丈夫だと思っていた。数年前に祖父が亡くなった時だって、何だこんなものかと、泣きわめくようなことはしなかった。小学校の頃、クラスで虐められていた子が自殺してしまった事も、落としてしまった宝物も、好きだった女の子も、走って回って転んでした怪我も――流されやすい、僕の性格でだって。

 無感動に無感情に動く僕にだって、自分というものがあると思っていた。芯には――流されたくない僕が、きっとそこにいると思っていた。

 周囲の皆が悲しみ、涙を流すことにだって、我を失うようなことに遭っても――あてられたりはしないと思っていた。

 大丈夫だ、と。

 最後の最後まで僕は僕で在る、と思っていたのかもしれない。

 そう、思い上がっていたのかもしれない。


 でも僕は僕じゃなかった。

 本当の僕はとっくの昔に消え失せて――《僕》になっていた。

 僕だった――もう僕じゃない《僕》は僕を作って、僕ができた。

 僕は、誰なんだろう。

 本当の僕? 真実の僕? 本物の僕?

 本物って何だろう。

 《僕》はとっくの昔に僕じゃなかったし、僕はとっくの昔に《僕》じゃなかった。

 僕じゃない《僕》が勝手に動いているとか、多重人格とか――そんな話ですらなかった。僕は僕という一つの個すら保てていなかった。


 僕はとっくに僕じゃなかった。


 言われなくても、わかっていたのかもしれない。

 あの部屋の前で彼女の独白を聞いていたのか、自分で自分を――《自分》を明らかにしたのかも判別がつかない。

 ここがどこなのかもわからない。

 遠くの方から声が聞こえている。

 夜中だというのに、いったいなんだろう。

 迷惑だなぁ。

 うるさいなぁ。

 少しは静かに、できないのか。


「あああ――ああああああああ――あああああああああ――ああああ―――」


 壊れたキーボードが打ち出したようなその声は、どうやら僕の声に似ていた。

 さっき久しぶりに聞いた――僕の声に似ていた。

 頭が痛い。

 こうやって、考えているだけで。


「ああ――あああああああああ――あああああああああああああああああああああ――ああああああああああああああああああああああああああ――」


 喉が痛くなってきた。

 誰の喉? 僕の喉? 《僕》の喉?

 《僕》の喉なら――どうでも良いや。


「ああああああああああああああ――あああ――ああああああああああああ――ああああああああああ――あああああああああああああああああ――ああああああああああああああ――あああああああああああああああ――ああ――ああああ――あああああああああああ――」


 考えていないと。

 僕は考えていないと、僕でいられない。

 また《僕》に消されてしまう。

 《僕》になってしまう。


「あ――ああああ――」


 流れ出す声に伴って、僕の思考も流れ出しているような感覚だった。

 なんだったんだろう。

 僕はとっくの昔に消えて、《僕》になっていて――僕は、僕がいなかった、僕、《僕》が、が、僕が。今までの僕は《僕》じゃなくて、僕は僕じゃなくて、《僕》?僕が――あれ、僕、僕が……。


 ガシャン、と、何かが音を立てる。

 それはどうやら部屋に置いてあった洋服かけのようで、備え付けられていた大きめの鏡にひびが入っていた。倒れて、割れてしまったようだ。

 ひびの入った世界はそれでも精一杯にこちら側の世界を映し続けて――その壊れた世界の中には僕の姿もあった。

 僕の姿なんてない。僕、僕《僕》?

 僕って、なんだっけ。

 無意識のうちに手が伸びる。

 破片が飛び散らずに残っていたのか、指先から血が滴る。

 床に這いつくばったまま、同じく床に倒れ伏した鏡に顔を近づける。

 僕――僕、《僕》、僕、僕《僕》僕僕。

 ガシャン、とまた鏡が音を立てて割れる。

 《僕》の頭蓋も同じように割れてしまえばいいのにな。

 視界に混じってきた赤に構うことなく、僕は鏡を見る。

 ふと、視界の赤が揺らいだ――薄くなった。

 涙なのかなんなのか判然としないそれも無視して、()()()()鏡に頭を打ち付ける。ガンという鈍い音が頭に響いた。誰にも響かない音が響いた。

 気付けば向こうの僕は泣いていた。血と涙で、顔をグチャグチャにして泣いていた。

 でもその涙はきっと――僕の涙ではない。


 向こうの僕は口を開く。


「《僕》の中に、僕はいるのか?」


 写すもののない鏡は、ただただ虚空を写し続ける。




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