027.どくはく
027
鏡現は鏡家の長男だ。
彼には自分というものがなく、自分という者がいない。
いつも状況に流されて、自分を蔑ろにしてしまっている。そしてそんな状況にすら、流されてしまっている。
それはただの――普通のことのはずだった。誰だって傷つきたくないし、誰だって自分より大事なものなんてない。人それぞれ、守り方が違うだけで、守る対象はいつだって自分なのだ。
例えば屈家長男――屈伏郎は自分を消した。選択を拒絶することで、己の力で未来を切り開くことを放棄した。言うなれば、自分を自分で殺してしまうことで、他者に殺されることから守った。彼の自我はもう二度と日の目を見ない。彼の差異能は、そういう風にできてしまっている。
例えば屈家長女――屈折姫は自分から目を背けた。酷く不格好な自分を見ることを拒絶し、世界でさえ、まともに見ることを止めた。他者が見る彼女は彼女ではなく、彼女の見る他者は他者ではない。
例えば――だから、鏡家の長男である鏡現にしたって、それらの一例でしかないのだ。
各々思うところあれど、一括りにして、まとめ上げられる。彼の場合はそれすらも危ういのだが。
鏡家長男――鏡現は自分を写した。自分に写した。自分を守るため、傷つかないために、他者を自分に写し取った。他者が見る彼は彼という一個人ではなく、他者自身である。
そういう差異能が、育まれてしまった。
その差異能は誰に頼まれることもなく、《自分》を救う一心で――彼に根深く巣食っていた差異能は、いつしか自分というものさえ、《自分》の一部分として取り込み、差異能そのものと融合させて、消し去った。
他者を写すのに、自分なんていらない。
そのあとには《自分》だけが残る。
形而上の、形骸化した、虚ろな、無為な、不確かな、不安定な、概念の様な、観念的な、《自分》だけが。
《彼》だけが。
《彼》はふと考えた。
いや、考えるまでもなく、写し続けていく中で自然とそれは生まれてきた。湧いて出てきた。
自分というものが、《自分》の中にはいない。
そういう、自己の不存在に気付いてしまった。
例えばそれが、屈伏郎のような差異能だったならば、話は違っていたのだろう。自分を消し続けることに躍起になる差異能だとするならば。
でも違った。
鏡現の差異能は――《彼》は、他者を写し取る差異能だった。
だから写し取った。
感じとる部分を。
内側の部分を。
昔あった、自分と呼ばれるような部分を、《自分》で作り直した。写し直した。
誰もを写し取って、《彼》の中に生まれたのが――写し出されたのが、彼だった。




