026.鏡家長男――《鏡 ■》
026
「どうしたんだい、呆けた顔をして……現君。鏡現君。
「君の本名じゃないか。
「――あぁ、ここに来て、そんな風に呼んでくれる友達は少なくなっちゃったのかな。シンもモチも君のことを《ゲンちゃん》と呼ぶし、他の人間はみな苗字で呼ぶだろうからね。
「因みにモチってのは母さんのことだからね、わかってる?
「まぁそれは置いておいて、話を戻すとしようか、現君。
「いきなり不機嫌になってすまないね。どうもボクは誰かに優しく在り続けるというのが得意でなくてね。実際そんなの誰だって得意じゃないだろうけれど。
「生徒の不履行に――不利口に声を荒らげているようじゃ教師失格だ。
「――まぁ、ボクは教師じゃないんだけれどね。ああいう奴らは好きじゃない。
「本当にわかっていないのか知らないが、本当にわかっていないのならば、君にはボクが教えてあげなければならない。
「君に《君》のことを教えてあげられるのはきっと、ボクしかいないんだ。この曲がりくねって折れ曲がったボクしか――ね。フクには無理だろうし……あぁそうだ、あのいけ好かない女にはもしかしたらできるかもしれないけれど、あんなお人よしがゆっくりと現実を語るのを待っているほど、ボクは気が長くない――さっきも言ったように、気が短いのさ。
「じゃあ教えてあげるとするかな――叩きつけてあげるとするかな。
「解答・解説ってやつさ。
「現実ってやつを教えてあげるのが、教諭の使命だからねぇ――まぁ、ボクは教諭じゃないんだけれどね。そういう奴らも好きじゃない。
「まずはそうだな――君の仮説の矛盾点から話そうか。
「君は《君》のことを《多重人格》と評したけれど――烏滸がましくもその結論を導くことで、今までの問題点、違和や不和を綺麗に取り除けるはずだと言っていたけれど、大嘘だよね。
「君の過去のことにも、フクの目に君が映らなかったことにも、フクの耳に君の声が届いていなかったことにも、そして今日――君がクラスメイトや上級生と血を見るほどの喧嘩をしたことにも、なんの説明もついていないじゃないか。
「《多重人格》なのに――君はどうして、友人関係を極力抑えた生活を過ごしてこなかったんだい?そういう負荷から逃れるための力じゃなかったのかい?
「《多重人格》だからって――君の友人だった彼ら彼女らが、そしてご両親が、君のことをそこまで疎ましく思うかな?
「《多重人格》で――フクの目に映るはずの君の姿が消えるとでも言うのかい?
「《多重人格》で――その場にいた他の誰かの耳には届くけれど、特定の誰かの耳だけには声が届かないことがあるとでも言うのかな?
「《多重人格》で――襲ってきた暴漢共に徹底的に立ち向かい、自分の腕を犠牲にして辛勝することができるとでも? 現実のしがらみや面倒ごとからくる心的負荷から逃れるために発現するのが新たな《君》であるはず、なんだろう?《君》が作る新しい《君》。喧嘩を売られて、買う選択肢なんてないはずだ。
「いや、それを可能にする人格だったと、そう言われてしまえばどうしようもないんだけれどね。そういう差異能だと言われてしまえば否定はできない……まったく、差異能のデタラメさには頭を抱えるよ、本当に。
「君のだけじゃなくて、ボクのにも、ね。
「しかしだからといって、ボクが持つ、君の差異能に対する見解は揺らがない。だから違うと思ったのならそれはそれでいい――信じるか信じないかは君次第、というやつさ。
「……あぁ、そうだね。君のそれは差異能よりだと思うよ。
「君は昔っから、流されやすい性格だったんだろう?
「それはつまるところ――選択の拒否だ。
「選択して失敗するのが怖かったから、周りに合わせることにした――それが君の差異能の根元で、それが君の逃げ道だった。
「あは、考えてみれば君とフクとは似ているのかもしれないね。
「傷つかないために自分を消したフクと、傷つかないために自分を他者そのものにした君――どっちもド貧弱な草食系男子だ。
「おっと、口を滑らしてしまったかな。
「まぁ隠し通すつもりもなかったわけだし――むしろ君に叩きつけるためのものだから、なんの問題もないわけだけれど。
「言ってしまえば――君の差異能は、自分を他者そのものにする力、だよ。
「君の苗字を取って《鏡写し》とでも呼んであげようか?
「――あぁいや、《鏡映し》だろうと《鏡移し》だろうと構わないさ。
「いっそのこと名前全部をそのまま読んで《鏡現》だっていいかもしれないね。
「名は体を――ってのも、もうしつこいか。
「差異能に支配されつくした君に、差異能そのものに成り下がってしまった君にぴったりの――これまたフクと同じように滑稽な名前だ。
「実際滑稽だよ、その根深さは。
「ぶっちぎりのマイナス方向。あまりに根深い――不快な差異能だ。
「下手をすればボクの差異能よりもデタラメな差異能さ。
「君は周囲の他者の性格や挙動、物腰、仕草、思考、行動原理――その人となりを全て写し取って行動する。
「そういう差異能なんだよ。
「勿論君は気付いていないだろうがね。無意識下でだ。だから君はその勝手に動く自分というやつを別の人格だと解釈した。希釈して解釈した。主人格である自分の意思とは裏腹に行動する勝手な人格だとね。
「でもこれならば――ボクの考え通りならば、君の答えで解決できなかったことだって解決できちゃうんだぜ。
「例えば――それなりの友人関係を保って生活してきたのは、君が、君に寄って来る奴らを写し取っていたからさ。いや、君は寄ってこない奴らだって写し取った。
「不良に好かれて大変だと言っていた気がするけれど、それも当然――その手の輩は自分ってやつが大好きだからねぇ。俗に言うところの《ミラーリング効果》の延長線上……《逆ミラーリング効果》とでも言えばいいのかね――自分と相手が似ているのは自分が相手のことを好きだからっていうふうに捉えてしまうんだろう。人間っていうのは自分に似た奴がいるとホイホイと寄ってくる、単純な動物なのさ。それは君の元カノとやらにも言えることだけれど――不良グループの男を彼氏にする女なんて、大体は自分にゾッコンだからね。だから君には、自分のことが好きなような連中ばかりがウヨウヨと集まってきたんだろうよ。逆に、自分のことが大嫌い、みたいな奴らは君に見向きもしなかっただろう?
「シンが君のことを気に入っているのもそのせいだろうね。
「何も不良だけが自分を好きってわけじゃない。才能を持っていて、成功していて、幸せで――どれか一つだって持っていれば多少は、誰だって自分のことを好きになる。
「気付いていなかったのかい? 見ためと言動に反して、あいつはそんなに男子と仲良くしない奴なんだよ。意外だろう?
「でも君にはべったりだ。
「君に対する一貫したぞんざいな扱いも、あいつにとってはデレの一環のつもりなんだろう。
「はは、わかるさ。証拠だってある。
「だって君は、シンのことを《シンちゃん》だなんて呼ばないだろう?
「でも、呼んでいた。呼んでいたとも。
「シンが自身に対して持っている好意をもし仮に他者に向けることがあれば、シンはそういう風に相手のことを呼ぶだろうからね。それを写し取った君がそういう風に、好意的にシンのことを呼ぶのも当然だ。
「面と向かわなければ写し取られることはないらしかったから、ボクにも君の声が聞き取れた。
「逆に写し取られてしまえば――曲がりに曲がりくねったグチャグチャなボクを写し取った君の姿は、そして声は、酷くちぐはぐなものになる。
「他者の内面まで写し取るというその性質は、ボクを相手にしたときはマイナスに働いたというわけだ。内面から屈折してしまっている、このボクを相手にしたときは、ね。
「逆にそんなボクだからこそ、《鏡現》の影響を受けず――《君》ではない君と会話することができる。君とじゃないと会話することができない、と言った方が正しいか。
「相手がフクだって、それは同じことだったんだろうよ。
「でもまぁ、あいつはボクと違って、これでもかというくらいに自分というものが無いからねぇ――君の写し取ったあいつは、最早存在しないほどに希薄な存在になってしまうのさ。あれほどに自分が無い奴を写し取った君を感じ取ることなんてできるわけがない。
「ましてや、誰かの命令を実行している最中だったならばなおさらだ。
「よしんば感じ取れたとしても、あいつにとって君の存在は、酷く薄くて脆い――幽霊みたいなものなんだろうよ。
「そして、さっきのことだってそうだったんだろう?
「――あぁ、フクのことじゃない。その話はとりあえず一区切りさ。
「ボクが言いたいのは今日の学校でのことについてだよ。
「その怪我――喧嘩で負ったんだろう?
「見てたよ。ここからね。
「その傷は――心的負荷を軽減させるための《多重人格》じゃあ決して起こりえない、喧嘩で、負ったものだろう?
「にしてもあいつらもあいつらで十分気が短いよ……あぁ、あいつらって言うのは君を襲った奴らのことでね――俗っぽく言えばボクのファンクラブの連中さ。
「ボクのこの美貌で、さらには優しい言葉をかけられて、一も二もなく懐柔された、愛すべきゴミ共さ。
「あぁいう奴らを手玉に取るのが、ボクは好きでねぇ。
「昔の自分を貶めているようで――最高の気分さ。
「大方、シンと君とが仲良くしているのを見て妄想たくましく、君がこの家に居候しているとでも勘繰ったんだろう。実際その推測は見事的中したわけだ。ボクが住むこの家に、他の男が住んでいるというその推測がね。《他の》って言うのはフクを除いてっていう意味だよ。あいつの性格はクラブの連中にも伝わっているだろうから。
「あぁ、そうだ、君の喧嘩の話だったね。
「元々自分のことが嫌いな奴らだったからね、あいつらは。そういう自分を写し取る君のことを疎ましく思っていたんだろうよ。
「自己嫌悪ってやつさ。
「これはさっきの――不良やら彼女やらと別れたのにも、君が両親に疎まれていることにも同時に説明が付けられることなんだけどね。
「自己嫌悪。しかもその対象となるのは――本来自己にしか向けられることのないはずのその嫌悪の対象は、君だ。
「なにせ、相手は君で、君は相手なんだ。
「本来、他者に対しては同族嫌悪程度までしか進行しないそれを、君は自己嫌悪へと昇華させることができる。
「君の写し取りは――《鏡現》は。
「そりゃ嫌われるさ。
「君との付き合いが長ければ長いほど、他者の嫌悪は君に向けられる。
「自分のことが大好きな奴らとしか築けず、いずれ崩れ去ることが決定しているんだよ……君と他者との関係ってやつはさ。
「おっと、話が逸れたね。思い付いたことを口走っちゃう性格なのさ。ごめんごめん。
「喧嘩の話だったね、そう、喧嘩喧嘩。
「君の差異能は何も普段の行動だけを写し取るものじゃない。
「君は、クラブの奴らから君に向けられていたであろう害意を、写し取った。
「朧気な殺意を写し取った。
「そりゃあ止められないよね。自己嫌悪によって増幅された君への殺意を写し取ってしまったんだ――そんなになるまで喧嘩を続けもするだろう。
「逆に言えば、写しとるべき相手が逃げてしまえば君の殺意は消滅する。実際にそうだっただろう?君はあそこまで鬼気迫る戦闘をしておきながら、逃げた奴らを追うようなことはしなかった。
「写すものが無い鏡はただのガラスだってことさ。
「……さて――だ。
「君の考えの矛盾は大体潰し終わったかな。
「最後の最後は《君》の中の君についてだ。
「君は《多重人格》という《君》の中に、かろうじて、君という主人格が残っているという仮説を持ってここに来たみたいだけれど、《鏡現》という君の差異能を前提にして考えてみればこれだって違うとわかる。
「――あれ、現君、どうしたんだい、急に立ち上がって。
「え……もう寝るって?
「あぁ、もうこんな時間か。
「まぁ、良いよ。じゃあ部屋に帰りな。
「おやすみ。腕の件、お大事に――
* * * * *
「全く――本当に嫌いだぜ、君みたいな奴はさ。
「ボクの話をここまで聞いておいて、最後まで聞き入れないとは――受け入れないとは、ね。
「まぁ好きにするがいいさ。
「部屋の前で聞き耳を立てていようとも、布団にくるまって眠ろうとも。
「ここからは――ボクの独白だ」




