025.才能と差異能
025
瞬間――僕を取り巻くようにしていた星々が、星々で形作られていた光の面が瓦解する。面だったそれは、流れ星のように幾千の線となり元の場所へと戻っていく。願い事を唱える暇もなく――部屋中に氾濫して、反乱していた星々は数分前のように、夜空を想起させるそれへと並べ直された。部屋の中央に流れる《天の川》も元通りだ。
「なんだ、話せるんじゃないか」
僕の目線の先には、先ほどまでと同じように折姫さんが座している。
「良かったよ、《君》の中に君がいて――じゃあ、話を戻そうか。すまなかったね、話を逸らして。逸らして、じゃあないのかな、中断して、か。とにかくボクは気が短くてね。悪いとは思っているんだけれどこれもボクだからね、直すのは諦めているさ。ボクには《君》の声は全然まともに聞こえなくて――酷く、ちぐはぐに聞こえるんだよ。グニャグニャのグチャグチャに聞こえる。だから《君》ではなく君がいてくれて――君が出てきてくれて本当に助かったよ。助かったというか――面白くなってきたよ、かな。興がのったというやつだ」
まくしたてるように喋る折姫さんは、さっきまでの怒気を含んだ声など微塵も感じさせることなく、僕にそう告げる。
どうあれその口は《僕》の中の僕についての答えを――さっきまでに引き続けて求めているようだったので、僕は震える唇を奮い立たせて、言葉を紡ぐ。
大丈夫だ。さっきと同じように、一言ずつ、話せばいい。
「折姫……っさん、ぼっく、僕、は――」
僕の言葉はつかえつかえ、どもりどもり、とびとび、詰まり詰まりではあったけれど、なんとか、意味のある言葉の列を並べた。
しかし、僕が答え始める前に、驚いたように折姫さんが言う。
「おっと、こりゃまた随分と……。じゃあ、いいよ。先にボクが話すことを話してしまおう――君は相槌でも打って話すことに慣れるといいさ。まさかそこまで酷いとは思っていなかったんだ」
「そこ……ま、で?」
確か今の僕は《そこまで》と揶揄されても仕方がないのだろう。言葉一つまともに話せないこの醜態では。
僕は――《僕》の中の僕は、いったいどれほどの間、言葉から遠ざかっていたのだろう――いや、どころかこの場合、僕が遠ざかっていたのは言葉からだけではない。《僕》の作り出す人格が歩き、話し、判断し、目を動かし、鼻をひくつかせ、耳をすまし、目をこらしてきたのだ。
僕はそれを見ているだけだった――感じているだけだった。《僕》の作り出した別の誰かが見聞きした情報を、ただ感じ取ることだけをしてきたのだ。そんなブランクを目の前にして、突然僕自身が行動を起こすなんてことを十全にできるわけがなかった。
わかっていたこととはいえ――自分で出した結論とはいえ、この事実を受け止めるということは、僕にはいささか荷が重い。
僕がしているつもりだったことは僕のしたことではなく、僕のしたかったことは、僕にはできないことなのだから。
「といってもまぁ特にボクが話しておきたいことなんて大した事じゃあないんだけれどね。でもまぁ君が答える《君》についての考えに齟齬が無いように――君が見当はずれの解答を出して恥を晒さないように、筋道は僕がたててあげることとしようかな」
君をたててあげよう――折姫さんはそう言いながら、座っているボールチェアを、くるくると回転させる。その、吸い込まれるような黒色と相まって――星々の光のみによって照らされた部屋の中で一層照り映えるその姿は、さながら月のようでさえある。満ちては欠ける、月。
それではどちらかというとかぐや姫といった感じだが。
「君はこの家に来てから、ここに来るまでに、触れて見て聞いて知っているはずだよね――例えば、そうだ、シンの才能に」
「っえ……えぇ」
肯定一つでさえまともに返すことができない僕の口を恨めしく思いつつも、伸の姿を思い浮かべる。
彼女の才能――端的に言うならば足の速さ、だろうか。中学時代にその才能は、陸上部の部員不足というかたちで、彼女自身にすら害を及ぼした。それほどの才能。
「才覚の才に能力の能と書いて才能、さ。ほんっと、素晴らしい才能だよ、あれは。ボクは《屈伸運動》と――勝手にそう呼んでいるけれど。《屈伸運動》――姓に屈、名に伸を持つあいつにぴったりの才能さ。名は体を表すとはこのためにあると言っても過言じゃないくらいだ。その名の通り屈伸運動にまつわる才能。屈伸――知っているだろう? 体育の時間にやるよね、いっちにーさんしー。いつも一緒に登下校している君ならわかるだろうけれど、はちゃめちゃに足が速いんだよ、あいつはさ。でもあいつの才能はそれだけにとどまらない――才能の真価が足の速さだけじゃないって所がまた嫌味だよね。足の速さを基にした屈伸運動じゃなくて、屈伸運動が基となった足の速さってわけだ。あいつの生み出す屈伸運動は人並み外れた――優れた結果を生み出すのさ。外れることと優れることは紙一重ってわけだね。中学時代の話、聞いただろう? 天才も二十歳過ぎればただの人、とはよくいったものだけれど、あいつの才能は周囲に埋もれたりしないんじゃないかな。むしろ肉体機構が安定してくる成人後にこそ、開花するであろう才能だからねぇ」
ペラペラとまくしたてるその言葉の流れは、終わりがないようにすら聞こえた。話し相手が欲しいという折姫さんの願いとは裏腹に、僕が話す――どころか、相槌を打つ余地さえ与えない。
「そ……っれっと、僕に、何の、関け、い、が……」
ただ、今の僕は少し事情が違った。
こんな、一言すらまともに喋れない僕は、逆に言えば周囲を、相手を気にせずにしゃべることができる。己の至らなさを盾に主張を通すようで後ろめたさを感じないでもないが、この饒舌っぷりを前にしては、そうでもしないと会話が成立しそうになかった。
このままでは会話というより独白だ。
「まぁまぁ待ちたまえ。すぐに答えを求めるようでは、君も一人の人間として、まだまだということだよ。それとも君は推理小説を読むときに答えから読む派なのかい? それはほとんど読書をしないボクでもあまり感心しないな。小説執筆者たる面々だって流れと順序を秩序立てて書いているわけだからさ、配慮してあげないと。それは漫画とかにも当てはまるよ。突然読んだこともない漫画の三十一巻から読み始めるようなことはしちゃいけいないよ? メインヒロインと目していたおさげの幼馴染が死んでしまっているかもしれないじゃないか。その彼女にだって、死に至るべき順当な理由があったはずなんだから、それこそ汲んであげないといけないよね――おっと、話が逸れたかな。いやまぁ逸れたとはいっても、ボクの話の順当性を述べるためには必要な過程だったんだよ、くれぐれも了承してくれたまえ。で、だ。話を戻すけれど、シンの才能だけじゃなく、君はフクのサイノウも目にしているはずだよね? ……あぁ、いやはや、あいつのあれは才能と呼ぶにはおこがましいそれだからね。激烏滸だ。だから代わりとして、ボクはあいつのそれを差異能と呼んでいる。異なる差に、能力の能と書いて、差異能。決して才能とは無縁の、劣りに劣った能力差だ。で、そんなあいつの差異能を見たんだろう。他者に尽き従って、自分というものを徹底的に排除するという、あいつの差異能を。ボクはあれを《屈伏ぷー》と呼んでいる。あは、可愛いらしいだろう。真面目に――なのかなんなのか知らないが、どこの馬の骨とも知らないやつに心から屈服しちまうあいつにはぴったりの、滑稽な名前さ」
「差異、能……」
「あぁ。才能と差異能、さ。才能が前へと進む力ならば、差異能は後ろ向きに歩く力。才能が未来を切り開く力ならば、差異能は過去から目を逸らすための力。才能が他者を救うための力ならば、差異能は自分に巣食う力。どれもこれもが真反対。同じなのはどっちもデタラメな結果を引き起こすってことくらいだね」
「デタ、ら、メ……?」
確かに、伸の足の速さ――たしかにあれはデタラメだ。さっき折姫さんが言っていた通りだとするならば、人並み外れた――人並みよりも優れた力。
今まで感じてきた違和や、不和、気持ち悪さに異常な非常――それら全てをひっくるめて、内包する力。理解不能な物事に解釈を付け加えるための分類分け。
――それが才能であり、差異能だとでもいうのか。
「そん、な、無茶苦、ちゃな」
「そう、無茶で苦茶で、はちゃめちゃだ。……おっと、なんだいその怪訝な顔は――まさか、君もこんな非科学的なものを信じられるわけがない、とでも言うつもりなのかい? 面白味の無い男だね。かの著名な人も言っているよ、《非科学的だからといって、存在そのものを否定することなどできるものか》とね。――細かい所が違っていてもご愛敬だ。でも大まかにはそういう意味だったはずさ。その場に在るものを――目の前で起こっていることを信じないなんて、そっちの方がよっぽど非科学的だよね」
「在る、も、のって、僕は伸の……」
「あぁ、そういえば君はまだ、フクの差異能についてほとんど触れていないんだったっけ。飛びぬけたシンの才能にしか出会っていない、のか。それじゃあ信じられなくてもしょうがないか。きっとフクの差異能に関しては、学校で誰かに尽き従っているのを見た程度なんだろう? それじゃあまだまだだ。甘々だ。あいつの差異能の本質には程遠い。パッと見、あいつの差異能は《言われたことしかできない》という風に見られがちだけれど、実は違う――あいつは《言われたことなら何でもする》やつなんだよ。文字通り、なんでもさ」
すると折姫さんは一旦口を閉じ、辺りをキョキョロと見回すと、手近にあった小さな置き物を手に取る。どこかのお土産だろうか。
「避けるな」
突然、先ほどまでの間延びするような、ともすれば真相を隠してしまうほどにぼやけた声とは裏腹に、芯を持ったその声と共に、彼女は手に持つそれを僕に向けて投擲する。どうもその置き物を僕に手渡そうというつもりではないらしい。
しかし勿論、僕がそれを避けようと思おうと思うまいと――僕の体は反射的に、手を顔の前の交差させてその飛来を防ごうとする。果たして、腕に――昼間に刃物傷を負ったばかりの左腕に置き物は直撃し、グルグル巻きにされた包帯などお構いなしに衝撃を伝える。
「―――!」
ゴト、という低めの音とともに床に転がったその置き物は無事で済むのかもしれないが、僕は無事ですまなかった。夜は僕に悲鳴を上げさせるつもりがないらしく、僕は蹲るようにして痛みが引くのを待つしかない。
「避けないでって言ったのに……っていうのは少し意地悪かな。あれあれ、どうしたんだい、そんなに痛かったかい? ――あぁそうか、怪我をしているんだったね。そういえばさっきまで家にいなかったのも病院に行っていたからなんだっけか、ごめんね」
手刀のように立てているその手はきっと謝罪に用いられるそれをモチーフにしているのだろうが、彼女の顔からは全く反省の色は見られない。
「つまりそういうことだよ。君は避けないにしても防ごうとしたけれど――これがフクだったならば、避ける素振りすら見せなかっただろうね。だってそれが、ボクの言った事なんだから。いやまぁ、別にボクの言葉に限定した話じゃなくってね? あいつは――あの屈伏野郎はそういう差異能の持ち主なのさ。自分を持たず、意思を排除し、そうやって本来残るはずの反射という機能すら消失させている。それほどまでに屈伏しているのさ。姓に屈、名に伏郎を――おっと、さっきもこんなことを言った気がするよ。名は体を表すとはよく言ったものだ、ともね」
「そん――な……」
自らの反射すら無効化するほどの――力。
それには、もはや一個人の精神なんていうものの型から外れた、底知れぬ恐ろしさを感じた。自分というものを圧倒的に蔑ろにしているがゆえに、生理作用すら無効にするなど、本来あるはずのないことだ。あってはいけないことだ。
それが才能であり、差異能。
「すごいことだ、なんて思うなよ。あいつはただ逃げているだけだ。過去や、自分から。あいつに限った話じゃないけれど。本来差異能っていうのは、そうやって生まれるものだからね」
「逃げ、て……?」
「物理的な何かから逃げているってわけじゃないさ。選択するという選択肢から逃げ続けているってこと。観念的な話で申し訳ないけれどね。あいつは自分で選択するということがどうしようもなく怖いのさ。その選択肢を選んだ自分が失敗するということが怖い――いや、怖がっていたが正しいのかな。もうあいつには、《怖がる自分》というものすら無い。あいつの自我は、もうこれ以上ないほどに希薄になってしまった。自身の差異能によって、失われてしまった。もし仮にこれからあいつが自我を持つようなことがあっても、またすぐに失われてしまうだろう――あいつに巣食った差異能は、望まれなくてもあいつを救う。生み出された理由を全うしようと――救おうとして、失敗する」
一旦話を区切って、折姫さんは天井を見上げる。
意識してはいなかったが、天井にも、無数の星々が散りばめられている。まるでプラネタリウムにでも来た気分だ。
「まさか、《これ》も才、能……?」
「お、段々と話せるようになってきたじゃないか。それは重畳。――あぁ、そうだよ。この部屋の散りばめられたお星さまとか、天の川とか――これはボクの力だよ。とはいっても、これもフクと同じように才能っていうよりは、差異能よりなんだけどね――」
そこでふと気付いたように、折姫さんは僕に向き直る。
「ちょっと、恥ずかしいことを言わせないでおくれよ」
自らの弟の差異能を――延いては伏郎さんの過去や人柄をおもしろおかしく茶化していたくせに何を言うのだろうか、この人は。
彼女はそこで、さてと一息ついて僕と目を合わせる。
「もうそろそろ良いんじゃないのかな? 聞かせておくれよ。君が《君》に対して出した結論を、《君》の中の君が出した結論を」
「――はい」
ここに来てやっと、今までは仮説にすぎなかった《僕》の中の僕についての答え合わせというわけだ。
我ながら、鏡で自分の顔を覗いてみればきっと今の僕は神妙な面持ちなのだろうと思う。僕は内心、緊張、していた。
他者との接触を避け、逃げるために新たな人格を形成し続ける《僕》。そして折姫さんのした話の意味――きっと、僕のこれもそれに類似した力であるということなのだろう。
それを認めてしまえば、認められてしまえば、僕は今まで飲み込めなかった違和や不和を無理矢理飲み込ませられることになる。それは決して楽なことではないだろう。そういう答えが決定してしまえば、僕の生活は一変する。
僕ではなく《僕》が送る生活を許容してしまうということは、僕の存在意義さえ、危ぶまれるそれなのだ。今この場では平静を保てていても、明日の朝や授業中、昼休みや下校中にそれを思い起こしては、僕という存在の無為さに戦々恐々と過ごすことになるのかもしれない。
でも僕は受け止めるべきだと思った。
自分という存在を、受け止めねばならないと思った。
流されたくない――ともいえるし、もしくは、ここまできてしまってはなるように流されてしまえと思ったのかもしれない。
どちらにしても――僕は《僕》についての考えを、彼女に語る。絞り出す。
僕もきっと、差異能を持っているということを。
その差異能は《多重人格》であり、《僕》という存在の中には、僕という個がいるということを。
「ちっげーよ」
僕が話し終えると同時に――否、話し終える前に、彼女の声が僕の声をかき消すように部屋に響いた。
「ちっげーよ、君の差異能はそういうことじゃないだろうが。そういうんじゃないんだよ……」
ガシガシと頭を掻くようにして、彼女は言う。気が短いと自負する彼女の声からは、再び怒気がにじみ出ている。
「楽な方へ楽な方へと流されてんじゃねえよ。それが《君》の元で、《君》だからこそってのはわかるが。その中の君が、自分はこんな可哀想な境遇なんだって、適当に自分を落として――でも本当に落ち切った本当の《君》ってやつからは目を逸らす――その態度が気に食わないんだよ。被害者ぶってるんじゃねえぞ」
瞬間、ボールチェアに座っていたはずの彼女は僕の目の前に立ち現れる。
「そうだろう、鏡――現!」




