023.屈家長女――《屈 折姫》
023
「喧嘩して怪我したぁ? ゲンちゃんから仕掛けたわけじゃないんだろう? じゃあよし。負けたりしなかっただろうね?」
家に帰ってから、叔母さんからお褒めの言葉交じりの説教を頂戴しつつも数駅先の病院へ行き、痛み止めと塗り薬を貰って、家へと着いたのはもうすっかり日の暮れた九時過ぎのことだった。
叔母さんは伸とは違って、僕の反撃を正当なものだと認めてくれているようだったが、しかし別にどちらが正しいというわけでもない。これしきで、伸め憎い奴だとなるわけがない。それぞれ人の感じ方で、考え方なのだから。
僕だって本来は伸のような考え方を持っているはずだった。売られた喧嘩を買いたたいて、店じまいを余儀なくするまで返り討ちにするような輩は、関わりを断つべき奴らであると思っていた。僕だったらばそんなこと決してしないのに、と考えていたはずだった。
でも実際には違った。
僕の体はその物騒で暴力的な選択肢を選んだ。でもそれはきっと、僕じゃない。
僕ではない《僕》。
昨晩の彼女に言われた、《それについて確信を持ったとき》――それは謀らずとも、昨日の今日で訪れてしまったのだ。
「じゃ、ゲンちゃん、おやすみ」
いつもとは少し違う伸の声とともに、僕の部屋の扉が閉められ、電気が消される。叔母さんが早く寝るようにと彼女を遣いに寄越したわけなのだが、彼女らの思惑通りにやすやすと、すやすやと眠るわけにもいかない。
僕は今、僕がどうなっているのかを、知りたかった。
ここ数日、僕の周りで起きた違和や不和を――昨晩の彼女に解決してもらいたかったのだ。実際彼女は《僕》の中の僕についてのみ言及していたわけだが、彼女の持っていたその奇妙さは、彼女を、全てを知った解説役かのように僕に錯覚させていた。
布団に入ってからどれほどの時間が経っただろうか。実際に伸や叔母さんが寝るまでには大体一、二時間くらいだっただろうが、しかしその時間は、当の僕にはその何倍にも感じられた。
何度か意識を失いかけながらも睡魔に打ち勝った僕が体を起こしたのは、日付をまたいだ頃だった。足音を響かせないようにソロリと部屋を出、伸には勝手に入らないようにと釘を刺された《ヒメ姉》の部屋の前まで到達する。僕の予想通りならば――昨晩の彼女が《ヒメ姉》だとするならば、彼女はこの部屋の中にいるはずなのだ。
しかし果たして、たどり着いた《ヒメ姉》の部屋――開けようと手を伸ばしたその視線の先には、ドアノブがなかった。
無意識に一歩後ずさりしてしまう。ここまで来るときにはあったように見えたドアノブは、僕がその目の前に立った途端にその姿を眩ませたのだ。
しかしもし昨晩の彼女が《ヒメ姉》だというのであれば――一瞬でその姿を眩ませた彼女だというのであれば、ドアノブを消失させてしまうことくらい容易なのだろう。なぜ、も、どうして、も、どうやって、も、一つとして浮かばない中、僕はこの状況にどうにか解釈を付け加える。
しかしどうすればと瞬間考えて、宙空に浮かぶ僕の手と、以前伸に言われた言葉を思い出す。
《勝手に入ったらヒメ姉すごーく怒るから》
僕は手の平を自分に向けるように返して軽く握りこぶしを作ると、軽くその扉を叩いた。水面に二滴の水滴が落とされ、ほどなくしてまた何事もなかったかのように、水面は静けさを取り戻す。
果たしてそれは正しかったようで、恐る恐る手を下ろすと、扉には元からありましたとでも言わんばかりに――当然のようにドアノブがついていた。
デタラメだ――そして、異常だ。
でもそれでいい。僕はその異常の答えを聞きに来たのだから。
僕はドアノブを引いて、扉を内側に押し開ける。
「やぁ」
部屋の中は、まるで別世界のようだった。
部屋の中で待ち構えている――まるで伝説上の人物かのように煌びやかで美しい昨晩の彼女についてだけではなく、彼女を取り囲む部屋そのものも、僕にそう思わせた。
――星だ。今も夜空に貼りつけられているはずの星々が部屋の至る所――空間にさえ散りばめられ、きらきらと輝いている。僕にそれらを星と同定させたのは、部屋の中央に座る彼女と僕とを隔てるようにして流れる大量の星々……。
《天の川》――と、僕は瞬間、そう思う。
「随分と早かったね」
部屋の中央に設置された真っ黒なボールチェアから仰々しく立ち上がると、彼女は《天の川》を渡り、僕の元へと歩を進める。
「ボクは屈折姫。ヒメ様でも呼ぶがいいさ、彦星クン」




