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僕の中にあなたはいますか  作者:
《1》僕のサイノウ
19/59

019.もの言わぬ者




019


 フク兄――そんな風に聞こえた気がした。最早、気がしたとかそういうレベルではなかった。玄関の扉を開けた伸は、扉の前で佇むノーのことを《フク兄》と呼んだのだ。


「あ、ゲンちゃんもおかえりー、ゴミ捨て場わかんなかったでしょー、土曜日捨てに行ったとき、上の空って感じだったもんねー。だからあたしが、フク兄に《ゲンちゃんに道を教えてあげてきて》ってお願いしたんだー。もともと水曜日はフク兄の当番だったからね」


 ノーが、《フク兄》――伏郎さんだったというのだろうか。

 いやしかしそれを否定する根拠は何一つない。どころか、これまでのことはこのことを暗示しているようでもあった。風下の《一人じゃなんもできない》という言葉も、学校の《本館》を使用する先輩であるということも、先輩であるのに一年生の風下に尽き従っていることも――全てが全て、ノーが伏郎さんであることをこれでもかと示していた。

 あらゆる選択を拒み、他人の言うがままに――他人の言う我儘に沿って行動する彼のことを。

 出来過ぎた話ではあるが、過ぎた話はどれも出来過ぎているように見えるものだろう。ノーに対して持っていた疑念が氷解していき、その内側から伏郎さんの姿が現れる。

 ――いや、まだ一つ、解決していないことがある。

 彼には、僕が見えていないのだ。

 こんなことを頭から信じて口に出すのも憚られるが、そうと考えるしかしょうがないことなのだ。彼には僕が見えていない。

 現に今もそうだ。伸が《ゲンちゃん》と呼んだ先に誰の姿を捉えることも出来ずに、僕の方向と伸とを不思議そうに、交互に見比べている。

 その説明は、どうつける?

 驚きの中、そんなことを考えていると、伸が不思議そうな声をあげる。


「ゲンちゃん、どしたの?……あぁそっか、ゲンちゃん、フク兄と会うの初めてなんだっけ」


 わざとらしく腕をポンと叩くと、彼女は伏郎さんの肩を持ち、僕の方へと向かせる――彼女の身長は彼のそれよりも十五センチほど低いため、実際には彼の二の腕を掴んで、だが。


「フク兄! この子がうちに居候することになったゲンちゃんだよ! で、ゲンちゃん! この人がフク兄ね! 二人とも仲良くするんだよー」


 実の兄の前で年上ぶる彼女の笑みは、酷く空回りしている。伏郎さんからしてみれば彼女は、何も無い虚空に対しての自己紹介を求めてくる、おかしな妹なのだ。

 この状況を彼女にどう説明したものか――


「あ」


 徐に声を上げたのは、伏郎さんだった。

 まるで今まで乗れなかった自転車に突如乗れたかのような、間違い探しの残り一つを何の気なしに見つけてしまったかのような――意識が欠如した、反射的な声だった。

 その目は確実に、僕に焦点を向けていた(・・・・・・・・・・)

 ――僕のことが見えるようになった(・・・・・・・・・)

 まさか、なぜこんな、いきなり。

 驚き見開く僕の目には、彼の目に映る僕の姿が鏡のように映し出されている。

 これまで一度として僕を捉えていなかった彼の瞳は――理由という過程を飛ばして、今まさに目の前の僕を捉えたのだ。その証拠に、彼は深くお辞儀をして、その歳に似つかわしくない言葉を僕に言う。


「これはこれは、失礼いたしました。ゲン様。私めの愚昧がご迷惑をおかけしませんでしたでしょうか? 私、僭越ながら屈家長男を務めさせていただいております、屈伏郎と申します。若輩者ですが、何卒よろしくお願いいたします」


 初めてちゃんと聞いた彼の声は、形容しづらいものだった。敢えて言うならば、平均的な声、だろうか。初めて千さんの声を聞いたときに、彼女の声を《何も残らないような声》だと感じたが、それとは少し違う。

 どう言おうと、どこまで言おうと、それは僕の主観的なそれでしかないのだが。

 単純なですます調以外の敬語には疎いのでその言葉遣いが正しいのかはわからなかったが、少なくともそれは彼の人となりを示すに十分だった。

 何も選択しない――したくない彼は、日常より自らの言葉にそういうフィルターをかけているのだろう。誰かの言うがままにもなれないときに、一時のその場凌ぎとしてそれを使うのだ。彼の、その誰にでも当てはまるような声もそういったフィルターの一環というわけか。

 《ゲン様》だなんて、初めて呼ばれたよ。

 自分を圧倒的なまでに排除した酷く儀礼的なそれは、他人を自分の近くにまで寄せ付けさせないためのものなのか。いや、彼の場合、その()()()()()()()というものすらも決定的に欠落している。

 薄くて、弱くて、脆い――いや、実際のところ、彼は薄くはあれど、弱くもなければ脆くもないのかもしれない。

 砕かれる恐れのない――文字通りの無私は、彼の弱さや脆さを隠すためのものだとも考えられる。壊されるものが無ければ壊されることもない、というわけだ。

 その生き方は僕の流されやすさと重なって見えて、あまり良い気分じゃなかった。話を聞いたときですら感じたこの違和感――彼が《僕》なのではないかという錯覚。本人を目の前にしてそれが起こらないはずがない。自分に似た何かを見せつけられるというのは、こういうことなのか。ドッペルゲンガーに遭った者どうしは自己嫌悪で殺し合うというが、それにも納得だった。


「ゲン様? どうされましたか?」


 僕を見る伏郎さんの言葉でふと我に返る。もうそこに伸の姿はなく、彼は一人で、僕が家に入るのを待っていた。


 * * * * *


 叔母さんが伏郎さんに対して「このバカ息子が! どこ行ってたんだい!」と嬉しそうに言う光景や、伸が無言で夕飯を食べる伏郎さんに対して学校で合った事を嬉しそうに話す光景からは、彼が本当に、屈伏郎であることがひしひしと伝わってきた。


 * * * * *


 暗闇に慣れた視線が、天井の壁紙へと突き刺さる。

 いったい彼はなんなのだろうか、と、布団の中で考える。なぜここにきていきなり、彼の目に僕が映るようになったのかについてだ。

 ゴロンと右半身を下にするように寝返りを打つ。

 彼は言われないとできない(・・・・・・・・・・)のではなく、()()()()()()()()()()()()のではないか。というのが真っ先に思いついた仮説だった。言われなければ他人を視認することすらできないというのは、驚嘆を通り越して恐怖に値するが。伸にそう言われたから――《フク兄! この子がうちに居候することになったゲンちゃんだよ!》と命令されたから、僕のことが見えるようになったという寸法だ。この場合の彼女の言葉は命令というには相当弱い気がするが。

 いやしかし、とその仮説はすぐさま取り下げた。

 伸に《ゲンちゃんに道を教えてあげてきて》と言われた彼は、実際のところ僕に道を教えてくれてはいない。結果として僕はゴミ捨て場までの道のりを知ることになったけれど、彼がしたことは道を教える行為ではなく、落ちていたゴミ袋を捨てたということだけだ。当然だ――見えない相手に道を教えることなんてできるはずがない。ゴミを運ぶことで僕に――見えない何かに道案内をしたという風にも取れるかもしれないが、彼からすれば僕が落としたゴミ袋は誰のものでもなく、ただそこに落ちていただけの物である。袋の中身からそれが屈家のものであると同定できたとしても、それを運んだからといって《ゲンちゃんに道を教えてあげてきて》という伸の言葉を遂行したことにはならないだろう。それはだから、彼が他者の命令の範囲内において、遂行のために課せられた命令を拡大解釈できるということに他ならない。伸の《ゲンちゃんに道を教えてあげてきて》という言葉は、延いては《ごみを捨てて来い》という言葉と、実際にはほとんど相違ないのだから。

 となるとまた一周回って同じ問題が発生する。どうしてこれまでの彼には僕のことが見えていなかったのか、だ。

 一周回って全く同じ疑念のようだが、一周回って得た新たな仮説はある。

 僕は実際、何度か彼にぶつかってしまっている。そのときの僕は彼に与えられた命令を阻害する障害物であり、避けることが最善の選択だったはずだ。だとしたら――先に挙げた言葉で言うならば彼は命令を拡大解釈し、僕のことを視認するべきだったのだ。しかし、彼はそんなことはしていない。


 だから違うのだ。

 ここまでつらつらと、彼と僕との間に起きた異常を――彼が僕のことを視認できていなかったという異常を解釈しようと考えを巡らせてきたが、やはりどれも真実とは違う気がした。

 《言われたことしかできない》とか《命令を拡大解釈できるか否か》とかそういうことでは、きっとない。

 この出来事の根本は()()()()()()()()にあるはずだ。

 彼には、もっと違う何かが……。


 * * * * *


 考え事をしていたら一時間ほど経っていたようだ。

 寝る前にもう一度トイレに行っておこうと部屋を出る。時刻はまだ十一時過ぎだ。寝るのには早い時間だと自分でも思うが、今日は特に疲れてしまった。千さんの件といい、伏郎さんの件といい、理解できない事態は――それが僕にもたらす損得に関わらず、僕の精神を疲弊させる。

 厳密に言えば、伸の信じられないほどの足の速さだって理解できない事態ではあるのだが。

 部屋を出て、伏郎さんの部屋を背に階段を降りる。

 まだ寝る時間には早いからと言ったが、伏郎さんに対してその言葉は用をなさない。彼は特にすることもなく、部屋の中で立ち尽くしているはずだ。大学受験を控えているであろうその身でも、まさか勉強なんてしているわけがない。叔母さんに言われたというのならばともかく、叔母さんは彼に命令することを控えていた。

 トイレを済ませ、バラエティの笑い声が響くリビングの扉を横目に通り過ぎる。因みにリビングの扉にはすりガラスがはめ込まれており、うっすらとその中身が見えるようになっている。叔母さんと伸とがソファに腰掛けてテレビを見ているようだった。

 階段を昇ると、驚くべきことに目の前の扉が内側に開いた。中から出てきたのは当然のことながら伏郎さんだ。

 ――いや、驚くべきことになんて言うほどの事態では本来ないのだが、そこから進展した事態は僕を驚かせるに十分だった。


「ゲン様、突然で申し訳ないのですが、一つ伺ってもよろしいでしょうか?」


 二階の廊下の電気はついていない。一階のリビングの光だけがこの場を――僕と彼とを照らしている。おぼろげな光で映し出された彼の瞳は、学校の駐輪場で初めてぶつかったときと同じように憂いなど微塵もなく、ただ真実味だけを帯びていた。

 僕の方から質問攻めにしたいくらいの気持ちだったが、つぎに彼から投げかけられた質問で僕は言葉を失った。



 ――()()()()()()



 いや、今更意識するまでもなく、昔から、僕は言葉を失っていたのかも知れなかった。


「なぜ、ゲン様は、ご帰宅されてから一言もお話しになられないのです?」





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