017.才能の懊悩(屈 伸の場合)
017
入学してから初めての午後下校となる空はいつもより赤く、そして低く見えた。気のせいだろうか、少し雲が多いからかもしれない。
伸と共に駐輪場への道を進む。
実は彼女、登校中はいざしらず、下校時には一緒に駐輪場まで来てくれるのだ。やっぱり荷物を持たせたりとっとと登校してしまうことに多少なりとも罪悪感が――
「朝と違って、帰りは校門で待ってても暇だから来てるだけだよ」
……やはり彼女に限ってそんなことはなかった。もう何度目だろうか。僕も僕でそろそろ学習しないといけない。
駐輪場から校門前まで歩いていると、自然――校庭で行われている部活動の光景が目に入る。
サッカー部やテニス部、走り込みをしているのはバレー部……だろうか。この学校の校庭は結構狭いので、多くの生徒が入り乱れ、何部かの判別をするのは少し難しい。因みに野球部は近くに学校専用のグラウンドがあるらしく、そっちまで移動して、日々練習しているらしい。ご苦労なことだ。
そんな部活動に混じって陸上部も、当然のことながら活動しているようだ。トラックの近くで固まって見学しているのは一年生の仮入部員なのだろう――彼らはユニフォームではなく、学校指定のジャージを着用していた。
伸にとって――部活動紹介はまぁ良いとしても、仮入部というのは行かなくても良いものなのだろうか。できるだけ早くから走り慣れておいた方が良いと思うのだが――と、毎朝あんな速度で登下校している彼女には要らぬ心配だとも思うが。
「ゲンちゃんが勘違いしてたらあれだから言っておくけど、あたし別に部活動が面倒だから仮入部に行ってないってわけじゃないんだよ? 走るの大好きだし」
でもね、とちょっとの間怒るように膨らませた頬を元に戻し、活動を続ける陸上部の方を見て、彼女は言う。
「あたしが走ったら、皆が入らなくなっちゃうから」
屈伸――彼女は僕の予想通り、中学時代にも陸上部に所属していたらしい。部屋に飾ってあったユニフォームは当時のもの、というわけだ。
短距離、長距離、という走り方の根本から全く異なった競技であろうとも、同じ大会で両方の一位を勝ち取るほどに、彼女の陸上に関する才能は素晴らしいものだったらしい。自分で言うのはどうかと思うのだが。
だがそんな彼女にも一位を取れない、上位に食い込めない競技があったらしい。正確に言えば、出場できない競技、だ。
それは彼女の実力不足というわけでは決してなく――言わば彼女の実力過多であった。
リレー。
驚くべきことに、彼女が中学校に入学した年の陸上部の新入部員は、彼女たった一人きりだったらしい。
仮入部の際に本気で走った伸の姿を見て、へー伸ちゃん足速いんだねー私達なんかじゃ全然追い付けないやー、と多くの同級生が陸上部から足を遠ざけたという。
そしてそれは一年生だけにとどまらず、二年生、三年生にまで影響を及ぼした。
ポッと出の一年生が、この一年間必死に頑張ってきた人間のタイムを数秒レベルで追い抜かすだなんてこと、あってはならないことだった。
そういう意味で、彼女の足は他者の時間と経験すらも悠々と抜き去ってしまうのだ。
過去を一瞬で灰燼に帰し、全て無駄だと切り捨てることのできる進化を、誰もが正義ではなく――悪だと言った。
* * * * *
「ほら、あたしってさ、手を抜いたりできない性格なんだよ――いや、この場合足を抜いて、かな」
洒落たことを言って得意げだろうと見た彼女の顔は、悲し気に微笑んでいた。
「だから加入部期間が終わったら陸上部に入って、陸上部にあたしが来ないと思ってる陸上部の全員をごぼう抜きにしちゃうんだ!」
ブワーッとね、と身振り手振りを加えながら彼女は言う。
仮入部に行かなかったのは、だからそのためだったのだろう。
中学時代に輝かしい栄光を残した彼女が仮入部に参加しないことで陸上部のみなを――語弊を恐れずに言えば騙し打ちにするというわけだ。
しかしきっとそんな小細工は――蜘蛛の糸のごとく細やかに張られたそれは、彼女のその才能が全てぶっちぎってしまうのだろうと思う。
彼女のその才能は――陸上部のどの人間にも希望を失わせ、部そのものを壊滅させてしまうに足るものなのだから。
一つのことに打ち込めるということは決して恵まれたことではなく、打ち込めなくなればすべてを失い、打ち込み続ければその一つのことさえも失ってしまうということなのだ。
しかし辛いことに――幸せなことに、僕がそんな境遇を味わうような未来はきっと無いのだろうと、思うべきではないのだろうけれど、思ってしまった。




