010.楽園学園入学式
010
車輪を二十分ほど回していると、学校が見えてくる。敷地をぐるりと囲うブロック塀の上に設置された鉄製の柵を通して、あまり広くはない校庭に四階建ての校舎が三つ、そして全天候型のプールや体育館などが目に入る。
私立楽園学園。全校生徒は千を超えるマンモス校だ。偏差値はあまり高くなく、中の中の下といったところ。だからか、近くの中学校の卒業生はその多くが流れるようにこの学校に入学することになるらしい。それなりに勉強のできる中学生たちは十数駅離れた別の公立高校を受験するらしいが。そういう視点で言えばこの学校はそんな学校に落ちた受験生たちの受け皿という意味合いもあるのかもしれない。楽園とはよく言ったものだ。
まぁしかし、かくいう僕も同じようなものだろう。この辺りで受験の二次募集の制度を採っている学校なんて、ここしかなかったのだ。
右手に学校を控えさせた桜並木を自転車で走っていると、登校する生徒の中に伸の姿が浮かびあがる。彼女は目一杯に背伸びをして、新入生達を大輪の花で迎える校門の前でこちらに向けて手を振っていた。
「おーいゲンちゃーん!こっちこっちー!」
まだ春――入学式当日だというのに初夏の蝉の如く激しい自己主張を繰り返す彼女の元へ自転車を寄せると、お前は用済みだとでも言われそうな乱暴さで、前かごに積んできた彼女の鞄が持ち主によってかっさらわれた。
「ゲンちゃんありがと。そういえば三十分から体育館で入学式だって、遅れないようにね」
駐輪場はあっちらしいから、と校門の左手を指し示しながら先に体育館の方――校門の右手側へと駆けて行ってしまった彼女の後姿を見て、ため息が漏れたのは言うまでもない。
* * * * *
校門を跨いで左側、駐輪場へと足を運ぶと、もうすでに結構な数の自転車が見受けられる。プラスチック屋根の付いた駐輪スペースが一、二、三、四列ズラリと並び、しかもそれぞれに百台弱はくだらないかというくらいの自転車がギッシリ詰め込まれ――停め込まれていた。
自転車を押しながら一回りしてみたが、目立った空きスペースが無かったので既に停められていた自転車に無理矢理ねじ込む。取り出すときにも一苦労しそうだ。
そういえばと、駐輪場を離れようとして足が止まる。もう頭に馴染み始めてきていたヘルメットを外し、自らの鞄と見比べる。流石に中に入れることはできないか。今持っているのは学校で指定された一般的な大きさの学生鞄なので――中にほとんど何も入っていないとはいえ、ヘルメットみたいな丸っこいものを入れるとなると少々目に余りそうだ。
仕方ないので、自転車の前かごの中に置いておくことにした。防犯意識みたいなものは欠片もないが、わざわざヘルメットを盗むようなもの好きはいないと信じて、その場を後にする。ヘルメット云々よりも今は遅刻するかしないかの瀬戸際なのだった。
駆け足気味に校門まで戻り、今度は校門入って右側の体育館の方へと向かう。校門前の天気は僕が自転車を停めている間に時化から凪になってしまったようで、さっきまではそれなりに見受けられた新入生の波は、もうほとんど残っていなかった。
受付でスリッパを借りて、もうその中身がほとんど一杯になった体育館の扉をくぐると、今が四月だと忘れさせるような蒸し暑い空気が僕の頬を撫でる。人が集まると、それだけで凶器になるというわけだ。暑い――詰襟ではなお一層、だ。
体育館には一面パイプ椅子が並べられており、新入生どうしが隣近所と駄弁っている。当然と言うべきだろう――ここら一帯の中学生の多くがこの学校に進学するからか、すでにグループが成立しているようだった。昔なじみの仲というわけだ。もうクラスが一つの個になりつつあるであろう九月やそこらに転校してくるよりかはいくらかマシだろうが、この時期であろうとも、《転校生》というレッテルからは逃れられないようだ。
というか、馴染む馴染まないで言うならば僕にとっては向こうの――僕が元々通うことになるはずであった学校の方が馴染みづらかったのかもしれない。なんせ一年以上まともに口を聞かなかった連中だ。新しく始められる《こっち》の方が、いくらかマシだろう。
まぁ、馴染もうと馴染むまいと、ぼくにとっては結局どうでも良いことなのだけれど。
クラス順に並んで座れ、みたいなことはないようで(というかまだクラスの発表はされていない)、僕はとりあえず空いていた後ろから三列目の端の席に腰を下ろした。
隣にはおとなしそうな女子が文庫本を手に座っている。最近有名になった作家の著作のようだ。名前くらいは見たことがあった。周囲の喧騒が彼女の周りでは静まり返り、その影すら見えない。彼女もまた、僕と同じように高校からこの辺りに引っ越してきたのだろうか。周囲と一線を画したその静けさは、同じような――同じようであろう境遇の僕にさえ、声をかけるのを許さない。声をかけられる理由が声をかけられない理由と一致するというのも珍しい。
なんにせよ、初日から目立った行動をするのはあまり得策とは言えない。別に結果嫌われてしまってもそれはそれでどうでも良いことなのだけれど、結果憎まれるようなことになってはまずい。痛いのは、嫌だ。
学生鞄をパイプ椅子の下に仕舞い、何の気なしに体育館前方のステージを眺める。放送委員と思しき先輩方がなにやらわちゃわちゃと準備をしているようだった。お疲れ様です。
* * * * *
ものの数分で入学式が始まった。
始めの言葉――校長の挨拶――合唱部による効果斉唱――生徒会長の言葉――新入生代表の挨拶――終りの言葉。
結構かけて入学式が終わった。体育館後方に設置された時計は十時過ぎを示している。
入学式からこれからの人生を大きく変えるような教訓を得られるなんて微塵も思ってはいなかったが、どう贔屓目に見てもなんの意味も無い式典だった。このご時世、どこも同じようなものなのかもしれないけれど。
入学式が終わると所連絡が伝えられる。体育館外の掲示板に各生徒のクラスが張り出され、体育館内では、これからの学校生活で使用することになる上履きやジャージの販売が行われる。準備が出来たら十一時前にはそれぞれのクラスに集合するように、とのことだった。
解散を告げられ、新入生たちがそれぞれに動き出す。中には上履きやジャージのために用意するように言われた代金を忘れた者もいたようで、「あっやべ!」なんて声が喧噪の中聞こえたり聞えなかったりする。
僕は必要な分と数百円の余剰分しかないのでそんな輩に構っていられない、というか構えない。
* * * * *
もうサウナみたいになってしまった体育館を出ると、春先の涼しい風が首元を駆けて行く。風の通ると通らないでここまで違うものなのか。
右手の方を見ると、何やら人だかりができていた。クラス分けの発表らしい。並んで順番に見た方が早いだろうに、誰しもが我先にと押し合いへし合いを繰り広げている。馬鹿なのだろうか――なんて達観しても、僕だって結局見ることになるのだけれど。
同じように達観した風な連中と共に、掲示板から一歩引いたところで人の波が引くのを待っていると、その波をかき分けて「ゲンちゃーん!ゲンちゃんはC組だよー!」と元気な伸の声が聞こえてくる。
彼女もどうやら、馬鹿の一員のようだった。




