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醜い魔法使いに嫁ぐ事になったけれどお姫様は幸せになりましたし、魔法使いはちょっと悶々としましたけれど色々受け入れましたし、美形の従者は正直になりました。

作者: 納豆巻

 ある時、ある所に、醜い魔法使いがおりました。

 森の真ん中にそびえ立つ塔が、魔法使いの住処です。

 あるお姫様は妻として、そこで一生を過ごす事になりました。

 牢獄のようなその塔で。



 ***



 遠い世界、遠い時代のお話です。


 とある王国に、ある魔法使いがおりました。

 丁度三十路になったばかりの、男の名はドミニク。

 この魔法使い、そんじょそこらの魔法使いとはひと味違います。

 他の魔法使いは、篝火一つ生み出すのにも長々呪文を唱えて舌を噛みそうになっているのに、ドミニクだけは一言でとても大きな魔法を使えます。

 強く息を吹けば嵐が生まれ、その叫びと共に雷鳴が訪れます。

 杖を掲げた先から炎を生み出し、荒野を炎で埋め尽くすことすら出来るのです。


 そんな凄い魔法使いだから、この度に王国を襲った危機だって、なんてことはございません。

 隣の国から、たくさんの兵隊が攻めてきました。

 それでも、彼には敵いません。

 兵隊たちは、嵐に身を竦ませ、雷鳴に恐怖の雄叫びをあげました。

 凄まじい炎で焼き尽くされる前にと、兵隊たちは揃って逃げ出してしまいました。

 王国は救われて、めでたしめでたし――と、ここからが物語の本題です。

 王様は、謁見の間へドミニクを招き、こう言いました。


「一つだけ、臨む褒美を与えよう」


 魔法使いは、しゃがれ声でこう返しました。


「ならば王様、貴方様の末の御息女を我が伴侶に迎えたく存じます」


 その場にもいなかったのに、お姫様の将来が決まってしまいました。


「よかろう」


 王様の、そんな一言で。

 ドミニクは下級貴族の出だけれど、釣り合わないだのと文句をつけられる者は居りません。

 魔法でカエルにでもされたら堪らない、と影口を叩くのが精一杯でした。

 もっとも、それは彼への盛大な皮肉でもありましたが。

 ドミニクをご覧なさい。

 くすんだオリーブ色のローブは上等な布地だけれど、飾りっ気もありません。

 ボサボサの黒髪が載った頭は、デップリとしていて、でき物だらけ。

 大きな唇に、小柄で猫背のせいか睨め上げるようなその眼差し。

 ヒキガエルとは、そんな彼に与えられた不名誉な渾名です。


「人間をカエルにする魔法は、私でも実現が難しいので、ご安心ください」


 そうやってネタにズレたマジレスすっから、余計周囲からドン引き食らうんですよ。

 ドミニクにそう指摘してくれる人は、だーれもいませんでした。

 彼には、直属の部下は一人だけ。

 ポールという無口な従者が、事務的な態度で接するのみでした。


 そしてドミニクの結婚相手に指名された、王様の十人いる子供の末っ子クリスティーヌ。

 華奢な肢体が今にもぽっきり折れそうな、深窓のお嬢様。

 手入れの行き届いた、長い艶やかなハニーブロンドに白磁の肌。

 ぱっちりとした碧眼は、柔和な顔つきに良く映えて。

 何処か儚げな微笑みは、けれど周囲の人々を引きつけて止まない魅力を備えていました

 側室の子なれど、王の寵愛を受けるその娘。

 もうじき十五で、この国ではそろそろ一人前と見なされる年頃です。

 いずれ何処か名家の貴公子と、幸せに満ちた結婚をするのだろうと信じて誰も疑っていなかったのに。


「わたくしは、此度の婚姻に異を唱える事はございません」


 クリスティーヌは澄んだ声でそう微笑みます。

 けれども侍女の一人は、クリスティーヌがその晩、密かに嗚咽を漏らしていたのを影で聞いておりました。

 周囲は哀れみの眼差しを以て、けれども決定を覆そうとする者はおりませんでした。

 王が公式の場で発した言葉は簡単に覆りませんし、覆してはなりません。

 この婚姻を、挙式を以て祝おうなどとは誰も言いませんでした。

 ドミニクもまた、それを望みませんでした。

 そしてお姫様は速やかに、お城から山を一つ越えた所にあるドミニクの塔へと移り住む運びとなったのです。

 傍仕えの一人も、連れて行かずに。

 つまり、身の回りの事は、ほとんど自分でやらなければいけません。

 高貴な者には相応の役割が有り、雑事に手を煩わせるのは威厳を損ねる行為に他なりません。

 臣籍降嫁によって、クリスティーヌは王族としての地位を失います。

 しかしそれでも、元王族としてそれなりの待遇はあってしかるべきだというのに。


「妻としての役割を果たせるよう、努めます」


 クリスティーヌは塔までの道中、馬車の中で向かい合うドミニクに緊張した面差しで告げます。


「クリスティーヌ様。雑事は、私の従者に任せてくれて構いません。今も、私は彼に多くを任せています」


 ドミニクの言葉に、クリスティーヌは首を横に振ります。


「最低限、わたくし自身の世話は出来るように備えていました。勝手が分からぬゆえ、従者のポール殿に力をお借りする事もありましょうが、全て私一人でこなせるよう努めます」


 それと――。


「どうぞ、わたくしの事はクリスティーヌと呼び捨ててください。わたくしはもう、貴方様の妻なのですから」


 クリスティーヌがそう付け加えると、ドミニクは渋面で黙り込みました。

 そのままそっぽを向くドミニクを、クリスティーヌは静かにじっと見つめます。

 沈黙の中、車輪の軋みと、蹄の音が響くばかり。

 この時に馬車の御者を勤めていたのが、ドミニクにとって唯一人の従者、ポールです。

 赤銅色の長髪を靡かせる、整った鼻梁の美男子でした。

 こやつ、ドミニクよりもよっぽど知性をうかがわせる貴公子風なのですが、魔法の素質はありませんでした。

 しかしドミニクの補佐として辣腕を振るい、平民から騎士へと昇格しています。

 家事が苦手なドミニクは、同居する従者へほとんど押しつけていました。


「私には、真理の追究という使命があります。寝食へ時を費やすのも惜しいくらいに大事な使命です」


 めっさヘタな言い訳でした。

 またドミニクは、戦場に赴く際も必ずポールを伴いました。

 それを邪推する者もおりました。

 ――美形の騎士を弄ぶ、醜悪な魔法使い。

 それがたまらないと、一部の方々が。

 蛇足ですが、不細工の鬼畜責めとか、逆にへたれな受けもアリだとか、そんなワードも飛び交っておりました。


 そして、ポールがクリスティーヌとただならぬ関係にあったとささやく者も、多くいたのです。



 ***



「この塔を、出ることは許しません」


 ドミニクは塔へとたどり着いてから、クリスティーヌへそう言い聞かせました。

 森に囲まれた塔の近くは、時折どう猛な獣がうろつきます。

 とはいえ、ドミニクが結界で守る塔には、決して入り込むことは出来ませんが。

 商人を偽った不埒物を間違って招き入れることも無いよう、外へ出られないようにもしておくと。

 ドミニクの説明に、クリスティーヌは神妙な面持ちで肯きます。

 ドミニクは、それ以外に何かを指図するということはありませんでした。


「これから先に困らぬよう、あの方へ色々お教えなさい」


 ポールにそれだけ言って、クリスティーヌの面倒をまるっと押しつけました。

 それをポールはどう解釈したのやら。

 翌日、クリスティーヌを運動用の広間へ引っ張り込みました。


「貴女を、ドミニク様の奥方へ相応しい女性へ育て上げてみせよう!」


 ポールは無表情で、クリスティーヌへ告げます。


「はい、よろしくお願いいたします!」


 敬礼を返すクリスティーヌは、結構ノリノリでした。

 簡素なロングドレスに身を包み、クリスティーヌは訓練へ励みます。

 一見して踊りのような動作は、体幹を鍛えるためで、結構キツいのです。

 時折ポールが罵声を飛ばす様に、少し前にドミニクがはまった、騎士学校もの小説を思い出しました。

 ドミニクは頭を抱えて、静止しようとしました。

 仮にもお姫様に何をしているんだと。


「これは、試練なのです。逃げ出したりしません」


 クリスティーヌ本人が、ドミニクの静止をはね除けます。

 じゃあ、まあ、いいか。

 ドミニクが何かするわけでもないし、と。


「で、では、がんばってください」


 そのまま、放置することにしました。

 時々、二人のやりとりをこっそり覗きました。

 単純にトレーニングだけでなく、家事全般にも及んでいるようでした。


「塩を入れすぎだ! このようなゴミを、ドミニク様に食べさせようというのか!」


「ああ、私はなんと言うことを!」


 たかが料理に、リアクションが大げさだ。


「あら、クリスティーヌ様。こんな所にもホコリがたっぷりと残っていてよ」


「申し訳ありません!」 


 姑か。


「――ギーギンのサーカテナイバイシは、ゲレンストマトケ的に!」


「はい!」


 たまに、意味不明でした。


 しかし、そこにとてつもない一体感があるように思えました。

 というか、ドミニクが蚊帳の外でした。



 ***



 ある日、ちょっとした手続きで書類が必要になった日のこと。

 熱中する二人の掛け声を背に、ドミニクは一人こっそりお城へ出仕します。

 ドミニクとて、乗馬くらいはお手の物です。

 自慢の名馬を駆り、お城へ向かいます。

 お城の近くで空を飛ぶのを禁止されていなければ、あっという間なのですが。

 道中襲ってくる盗賊は、泣きわめいて命乞いするくらいの目に遭わせました。

 小休止の合間に、片手間で。

 余裕でした。

 お城ではひそひそ遠巻きに陰口をたたかれたり、散々でしたが。

 げんなりしながら、ついでに王様へも挨拶しようとしました。

 アポ無しでしたが、案外あっさりお目通りが適いました。


「して、クリスティーヌとは上手くやっているか」


「はい、近頃は我が従者の下、肉体の鍛錬をしております」


「病弱だった娘が……。そうかそうか」


 って、そうではなく――。

 好々爺然とした王様は、首を振ります。


「孫の顔は、何時拝めそうなのだ?」


「……」


 ドミニクは、純潔でした。

 寝所も、別々です。

 ドミニクがそう命じました。

 だから――。


「私から、申し上げる事ではありません、きっと」


 そうなった時、ドミニクは無関係でしょうから。


 謁見の間から退いた後、親戚の女騎士に絡まれたりもしました。

 色々言われました。

 あの御転婆ときたら、クリスティーヌ様の代わりに私を辱めれば良いだろうだのなんだの。

 どんなに汚されようと、心だけはお前の物になったりしないのなんだの。


 ――クリスティーヌ様にはポール殿のような方がお似合いで、お前は身の丈に合った妻を迎えるべきだろう、とも。


「分かっているとも、それくらい」


 苛立ち紛れに壁ドンしてやったら、女騎士は黙りました。

 醜いドミニクの顔を直視できないのでしょう。

 顔を背け、しどろもどろになる様を見て、少しだけ溜飲を下げました。

 宿はどうするのかと言っていたようですが無視して、夜通しで帰路に着きました。

 途中で後悔しつつも、夜明け頃に塔へ戻れば、玄関ホールでクリスティーヌが迎えてくれました。

 寝間着では無く、既に今日という日を過ごす準備は済んだ様子です。


「外の眺めに貴方様を見かけたので、ここでお待ちしておりました」

 

 クリスティーヌは少しむくれた顔をしてから、ポールが用意しているのだろう朝餉の香る方へ、ドミニクの手を引くのでした。


「あの女狐ったら、人の目が届かないと思って随分なことを……」


 クリスティーヌは何か、ボソリと呟いていましたが、意味が分かりませんでした。

 ただ、表情に暗い物が窺えました。 

 かと思えば、次の瞬間にはクリスティーヌは微笑んでいます。

 けれど、ドミニクはひどく居たたまれない気持ちになるのでした。



 ***



 ドミニクにとって、彼女が初恋の相手でした。

 幼き日のクリスティーヌは病弱で、しばしば床に伏せっておりました。

 彼女の治療に当たったのが、出会いの切っ掛けです。

 治療と言っても、醜聞が生まれぬよう過度な接触は避けるよう言い含められておりました。

 ドミニクに出来たのは、魔法の秘薬で対処療法的に苦痛を和らげるのがせいぜいでした。

 それでも、他の医者より副作用の心配も少なく、また確実でした。

 クリスティーヌへ問診する際に、話をせがまれました。

 ドミニクは何を話せば良いか迷った末に、自分の仕事について語ったのです。

 普通の殿方であれば、大げさに盛った武勇伝となるのでしょうが、女性に慣れないドミニクです。

 その様は、事務的に報告書でも諳んじているかのようでした。


「まぁ、それからどうなったのですか?」

 

 それでもめげずに、話の続きを促すクリスティーヌ。

 ――自分とも辛抱強く話してくれた人。

 ドミニクはそれだけでクリスティーヌへ好意を抱いておりました。

 コイツ、基本的にチョロいのです。

 だからといって、彼女が自分へ好意を抱いていると思うほど、自惚れる事は無かったのですが。

 刺激に飢えているのだろうというドミニクの考えは、穿ちすぎた物ではないでしょう。

 女性に到底好かれないような男へすがるクリスティーヌを哀れんで、彼は一つの魔法を授けていました。

 ドミニクは、簡単な魔法であれば一つきり、直ぐさま伝授出来る秘術を知っていたのです。

 そうして授けた魔法が、遠見の魔法です。

 人の目には見えないくらいの遠くすらハッキリ見渡せるようになる、それだけの魔法です。

 窓から見える四角い彼女の世界が広がるように。


「いつか、こんな手の届かない遠くへ、行ってみたいですね」


 そんな呟きを聞いて、中途半端な偽善的行為に後悔もしました。

 体も弱く、更に立場もあって自由に出歩けない彼女にとって、それは生殺しではないかと。

 また彼女は、ポールとも度々話を交わしていたと、話題になっているのを耳にしました。

 それを知ってドミニクは、彼女と会話する度に必ずポールについて話題にするようにしました。

 この方は、アイツの事がお知りになりたかったのか。

 大変な粗相を致した。

 初めから、そう仰ってくれれば良かったものを――。



 ***



「……クリスティーヌを、貰ってはくれないか」


 ある日、王様に一人呼び出され、唐突に告げられました。

 隣国の大軍を追い払った直後の事です。

 戦功に対する褒美は、前もって話し合いが行われる事がしばしばあります。

 しかし一人だけ呼び出され、そのような事を告げられるなど、あまりに予想外でした。

 そう、二人の婚姻はそもそも、王様の命令だったのです。

 この度、ドミニクの功績はあまりに大きすぎる。

 かといって、高い地位やたくさんの金銭、土地を与えれば、他の貴族がいい顔をしないのだと。

 ――あまりにも恐れ多い。

 ――いや、そこをなんとか。

 断ろうとするドミニクに、王様は食い下がります。

 王様は、なんか必死でした。

 憔悴した様子の王様に、ドミニクはややあって頷きました。

 この時、天恵のように、ある考えが降って湧いていたのです。



 ***



 ある日のことでした。

 ドミニクはポールを連れ、外出する時がありました。

 クリスティーヌも、数日留守を任せるくらいは問題なくなっていたのです。

 結界の守りがあるから、誰も無断で入れないし、出られません。


「お帰りなさいませ」


 クリスティーヌの笑顔が、ドミニクを待っていました。


「留守中、何か変わった事はありませんでしたか?」


 そう言ってから、ドミニクは目を逸らしたくなりました。

 とんだ失言だ。

 彼女の自由を奪っているのは、誰なのやら。


「何もございませんでした。至って平和なものですわ」


 ――だから、貴方様に教わった魔法で、遠くを見ていました。


「素敵な魔法です。小鳥が飛んでいて、それを追いかけたりもしました」


 楽しげに風景の移り変わりを語るクリスティーヌ。

 ジクジクと、ドミニクの胸がえぐられるように感じられました。

 だから、決心しました。

 ――そろそろ、アレを実行に移そう。



 ***



「これより瞑想の行に入る。何人たりとも部屋に近づいてはならない」


 ドミニクが瞑想の時期と言って、部屋に籠もる時がしばしばありました。

 突然の事ですが、ポールも慣れたものでした。


「承知しました。三日後に、湯浴みとお食事の用意をしておけば宜しいのですね?」


 首を振って、ドミニクは両手の指を広げます。


「いいや。今回は七日だ」


「それはまた、随分と長い」


「月を跨いでしまうな。……先に今月の給金を渡しておこう」


 ドミニクは、部屋の隅にでんと構えた大きな木箱へ目を向けました。

 魔法で開かなくなっている、貴重品入れです。

 ドミニクが開く時だけ、単なる木箱となるのでした。

 そこから、皮の袋を取り出します。

 ずっしりと、金貨が詰まった袋です。


「これは、随分と多くはありませんか?」


 ポールに今まで払っていた金額の、ゆうに三倍はあります。


「お前の仕事を増やしてしまったからな。あって困る物でもないだろう」


 ――これから、入り用だろう?

 ドミニクは歯噛みして、そう言いたくなるのをこらえました。


「では、有り難く」


 ポールは深々と頭を下げて、塔の一室に籠もるドミニクを見送ります。


「後は上手くやれ」


「奥方への指導も、塔の守護も怠りなく行います」


 扉は閉ざされ、二人の間に隔たりが生まれました。

 この部屋の中は、結界に囲まれておりました。

 中の様子は誰にも覗けませんし、どれだけ騒いでも音が漏れる事も有りません。

 それが可能なのは、それこそ結界を作ったドミニク本人くらいでしょう。 


「瞑想など、嘘だがな」


 ドミニクは呟きました。

 普段、塔を守る魔法も、ドミニクが瞑想をする時は衰えます。

 と、そんな嘘をポールに吹き込んでいました。

 元々は、一人になって何もせずに休む為の口実でした。

 要するにドミニクは、二人へチャンスを与える事にしたのです。

 普段閉じ込めておけば、逃亡の好機を逃すはずも無いだろう。

 そして十分な資金も与えた。

 姫君を娶るに至った大功も、隣国の動きを察知し、大軍が湿地に囲まれた隘路でもたつく時を正確に予測したポールの物だと思っています。

 二人で、何処へなりとも逃げてしまえば良い。

 賢いポールの事だから、切っ掛けと時間的余裕さえあれば、勝手に何とかするに違いない。

 そして誰もが、収まるところに収まったのだと、納得するだけだ。

 ああやはり――、と。

 ドミニクなりに好いた女性を幸せにしようとする、せめてもの愛情のつもりでした。

 婉曲かつ捻くれた手段である事は自覚していましたが。

 部屋からドミニクが出た時、そこには誰も居ないはずだ。

 ドミニクを待つ者など、誰も……。


 自ら仕向けておきながら、その時が訪れる事が恐ろしくてならない。

 美しいクリスティーヌがいなくなる事。

 そして、長らく仕えてくれたポールを失う事もまた、耐えがたい痛苦でした。

 ドミニクは、目頭が熱くなるのを感じました。

 食料はあらかじめ部屋へいくらか備えてありました。

 けれども、あまり喉を通りません。

 時折、世界を隅々まで焼き払う妄想に溺れました。

 奇声を上げて、壁へ頭を打ち付ける時もありました。

 相反する思いが、交互に脳裏を過ぎりもしました。

 ――部屋を出たくない。

 耳を塞いで目を閉じて、一生閉じこもっていたい。

 ――部屋を出たい。

 早く結果を目の当たりにして、楽になりたい。

 ドミニクは、一日がとても長く感じていました。

 結局、ドミニクはきっかり七日で瞑想の部屋を出ます。

 めまいがして、足取りもおぼつきません。

 ドミニクは、体が弱っている事を自覚しました。

 今の自分でも食べられそうな胃に優しい料理など、どうやって調達すればいいのやら。

 途方に暮れながら扉を開き――。


「お待ちしておりましたわ、旦那様」


 霞んだ視界の中、ドミニクを迎えるクリスティーヌを見て、最初は幻覚だと思いました。

 そろそろ、死ぬのかも知れない、と。


「随分とおやつれになって……。まずはお食事に致しましょう」


 彼女に促されるまま食卓に着き、スープをすくった匙をさしだされました。

 アーンと。

 透き通った色のスープの味は、少しくどいものでした。

 そこでようやく、これが現実だと気付きました。


「何故なのですか……?」


 呟きが思わず、溢れました。


「味がお気に召しませんでしたか? まだまだポール殿のようにはいきませんね」


 わたくしが作ったものですの――。

 そう続けるクリスティーヌを遮るように、ドミニクは叫びました。


「そうではなく! どうして、貴女は未だここにいるのですか!? 自由になる機会があったはずなのに!」


 クリスティーヌは、ドミニクの言葉にキョトンとした顔をしました。


「私は、結界を解いて七日間、何もせずにいた。外へ、遠くへ逃げられたはずだ!」


「愛しい御方がここにいるのに、何処へ行けと仰るのですか?」


「私のいないところへ、行けば良いでしょう。ポールと共に」


「どうして、旦那様のいないところへ、などと」


 クリスティーヌの表情は、段々と憂いを帯びていきます。


「皆が言っている……! 私のような者より、ポールの方がよっぽど貴女へお似合いだと! その通りだ、同意するよ!」


 息を荒げながら、ドミニクはなおも叫びます。


「可愛らしい姫君よ! 何処へでも行けば良い! このようなところに、いるべきではないだろう!?」


 沈黙が降りてきました。

 ドミニクの荒い息が、喧しいくらいに。


 そして、ドン、とドミニクへぶつかってきました。

 クリスティーヌが、ドミニクの胸へすがりつきました。


「ここ以外に、貴方のお側以外の、何処へ行けば良いのですか?」


 目を潤ませた悲痛な声に、ドミニクはたじろぎました。


「ドミニク様、わたくしの愛しい旦那様。どうか、見捨てないでくださいまし」


 そんなワケがない。

 動揺し、めまいを覚えるドミニクへ、クリスティーヌはなおも言い募ります。


「貴方様が、わたくしの初恋でした」


「お父様へ、貴方様の妻になりたいと度々ねだりました」


「貴方様への輿入れが決まった日の晩は、感極まって涙が溢れました」


 どれも、にわかには信じられませんでした。

 でも、信じたいとも思いました。


「けれど、貴女は外へ思いを馳せていたのでしょう? こんな牢獄めいたところではない、遠くを」


 そう思ったから、引きこもったのに。

 その間に逃げて欲しいと願ったのに。

 ……クリスティーヌは、静かに首を振りました。


「もう一つだけ、貴方様に隠し事をしておりました」


 もっと早く伝えていればよかった――。

 クリスティーヌは、申し訳なさそうに続けます。


「わたくしが遠見の魔法で眺めているのは、外の世界ではありません。かつてはそうでありましたが、今は違います」


「では、何を?」


「ドミニク様です。貴方様を、私は見つめてばかりいました」


 遠くへ行く貴方様を、見えなくなるまで、ずっと見つめておりました――。

 クリスティーヌの言葉に、ドミニクはどう返せば良いか分かりません。

 ただ、もう一度だけ、だまされた気になっても良いのではと、思い始めました。

 ドミニクは、基本チョロいのです。


「――私も誤解を解いておかねばいけませんね」


 いつの間にかやって来たポールが、ドミニクの傍らで跪きました。


「申し訳ございません。一つ、隠し事をしておりました」


 ポールは、いつにない神妙な面持ちで告げます。

 私は奥方様に良からぬ感情を抱いておりました、と。

 そうかやはり慕情を――。


「嫉妬です」


「はぁ……!?」


 困惑するドミニクに向かって、ポールは絶叫しました。


「私がお慕いしているのは、貴方だけです! ドミニク様だけなのです!!」


 貴方様の好みに合わせようと髪を伸ばしたり色々しましたけどダメで貴方の愛を独り占めする奥方が妬ましくて辛く当たる事もありましたがもう奥方の愛が本物である事を確信しているので二人の関係を心から祝福――うんぬんかんぬん。

 ポールのカミングアウト。

 他ならぬポールが言ったのです。

 何処かの誰かが、大胆な告白は女の子の特権と言っていたけれど。

 コイツは男でした。

 浴場で背中を流させた事もありました。

 あの時、コイツは自分に欲情していたのでは――。

 ドミニクの背中に嫌な汗が流れました。


「旦那様」


 クリスティーヌはドミニクの目をしっかと見つめ、真剣な面持ちで告げました。


「浮気は、許しません」


「しませんから。絶対に、しませんから!」


 うふふ、冗談です――。

 クリスティーヌは訓練で少したくましくなった力で、夫を抱きしめます。


「逃がしませんわよ」


「はい。私も、貴女を何処にも逃がしません」


 ドミニクもまた、クリスティーヌの背中で固く腕を結ぶのでした。

 ……ポールに愛されているという、認めがたい事実からの逃避でもありましたが。



 ***



 一羽の小鳥が、空を羽ばたいておりました。

 遠目の魔法で見通す先、高く高く羽ばたいて。

 そこに自由を見いだす者はたくさんいるでしょう。

 けれど、その自由は過酷さも伴っている事を、クリスティーヌは知っていました。

 翼を持っていても、何処までも羽ばたけはしません。

 小鳥が、羽を休めようと近くの木へ舞い降りて――。


「大きな蜘蛛ですこと」


 その巣もまた、小鳥を捕らえるくらい大きな物でした。

 絡め取られた小鳥は、逃げ出す事も叶わずに――。


「ご愁傷様」


 意に介した風も無く、魔法ではない眼に映る眺めへとクリスティーヌは向き直りました。

 王城へ出仕するためにと、遠ざかっていく馬車が一つ。

 そこへ、魔法の焦点を合わせます。

 その中のドミニクが、時折こちらを振り返るのが馬車の壁越しにもよく見えました。

 向こうには、こちらが見えていないだろうけれど。

 気に掛けてくれるのが、とても嬉しい。

 ……ドミニクは知りませんでした。

 クリスティーヌが遠目の魔法を、障害物を透過すら出来る千里眼へと昇華させていたことを。

 この魔法においてのみ、ドミニクさえも遠く及ばないだろうことを。

 ついでに、読唇術も会得済みだということを。

 見えなくなるまで見つめ続けるとは言ってはいたけれど、どれだけ遠くであってもドミニクを捉え損なった事が無いという実績を。

 そしてこの力で、ドミニクとクリスティーヌの婚姻を妨げようとする者の弱みを握り、黙らせもしたことを。

 余計な邪魔が入らぬよう、傍仕えもはね除けて。

 そんな事実を、ドミニクは知りません。

 ポールだけはドミニクにとって有為の人材であったため、しぶしぶ受け入れましたが。

 彼のドミニクへの忠誠は、クリスティーヌから見て本物であるように思えました。

 主の意に沿わぬ事はしないだろう。

 何度も会話し、ポールという男を分析した結論です。

 苦渋の決断ではありました。

 ドミニクが愛用する艶本の傾向から考えて衆道へ傾く恐れは小さいし、まして彼を力尽くでどうこう出来る存在は何処にもいません。

 ドミニクもポールへ甘える事が少なくなり、若干距離を置くようにはなりました。

 その分、クリスティーヌへ頼るようになったのは、喜ばしい事でした。

 二人の距離は少しずつ、確実に縮まっています。


 ……そしてクリスティーヌは、静かに呟きました。


「――皆さん誰しも、しがらみに囚われている。そう、囚われすぎています」


 単純に生存の為であったり、地位や名誉を守るためであったり。

 余計な事に、囚われすぎている。

 まるで、世界そのものが牢獄のようではありませんか。

 自分以上に自由な者はいないだろうと、クリスティーヌは確信しています。

 ドミニクが魔法を掛けた塔に、不埒者は立ち入れない。

 牢獄のようであるけれど、世界一安全な場所。


「ここで、ずっと貴方を眺めていられる」


 心地良い、不安の無い場所で。


「――逃がしませんわよ」


 クリスティーヌは家事に精を出しつつも、にやけ顔で夫を見つめ続けるのでした。


 おしまい

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 「分かっているとも、それくらい」  苛立ち紛れに壁ドンしてやったら、女騎士は黙りました。  醜いポールの顔を直視できないのでしょう。  顔を背け、しどろもどろになる様を見て、少しだけ溜飲を…
[気になる点] 誤字:「あの目狐ったら、人の目が届かないと」   :「あの女狐ったら、人の目が届かないと」 では?
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